北斎怒涛図

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北斎は、最晩年の天保十三年(1842、北斎馬歯83)の時に信州小布施を訪ねて以来、四度にわたって小布施に足を運んでいる。晩年の弟子である高井鴻山を頼ってのことだった。鴻山は北斎のためにアトリエを用意し、ここで自在に筆を執らせた。北斎はその期待に応えて、多くの肉筆画を残してやった。その代表的なものは、祭屋台のために描いた天井画や、一茶ゆかりの寺岩松院のために描いた鳳凰図などである。

祭屋台の天井画には、上町祭屋台天井画「怒涛」一対と、東町祭屋台天井画「鳳凰図」一対がある。怒涛の方は、文字通り怒り狂うかのような波濤の様子を描いたもので、男波、女波からなる一対の作品である。どちらも、桐板に直接着色するという方法で描かれている。周囲にある装飾的な文様は鴻山の手になるものである。

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(怒涛図、男波)

男波は、その名にふさわしく、波の勇壮な様子を強調したものである。ベロ藍をうまく使って陰影を演出し、波頭の迸る様子をリアルに描きだしている。

周囲の装飾的な文様は、暖色主体であり、寒色ばかりの本体と鮮やかなコントラストを示している。なお、本体部分の大きさは、約118センチ四方である。

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(怒涛図、女波)

女波のほうは、男波に比較して、波の様子は穏やかに描かれている。そのかわり、中心部に、女性の子宮を思わせるような深淵が位置し、それに向かって迸る波頭が、男の精子を思わせるようである。





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