京都祇園祭の旅その七:泉涌寺、東福寺

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(今熊野観音寺のぼけ封じ観音像)

七月廿六日(日)晴れて暑気甚だし。この日は泉涌寺、東福寺に参拝し、伏見桃山に遊ばんと欲す。ホテルを辞し、京都駅構内のコインロッカーに荷物を預け、東福寺行きの市バスに乗りて泉涌寺道に下車す。即ち泉涌寺の表参道なり。木立に囲まれたる道をしばらく行くに総門あり、更にその先左手に今熊野観音寺なる塔頭あり。ここにぼけ封じ観音像なるもの立つといふ。なにやら効験あるやに思はれたれば、立ち寄りて参拝す。この塔頭の一角には後堀河天皇の墓所あり。この縁により、泉涌寺は後に皇室の菩提寺とはなれると聞く。

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(泉涌寺仏堂及び舎利堂)

その泉涌寺には、後水尾天皇以下仁孝天皇に至るまで徳川時代に在位したる十三代すべての天皇の墓所あり。幕末期の孝明天皇も、荼毘に付されたる後ここに埋葬せられたりと聞く。

仏殿,舎利殿並び立てり。仏殿(本堂)には釈迦、阿弥陀、弥勒の三世仏安置せらる。三世とは、過去、現在、未来をそれぞれの仏に割り当て、この三尊によって宇宙を表象せんとの教えなるらし。

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(月輪陵)

霊明殿を回り込んだるところに月輪陵あり。即ち歴代天皇の墓域なり。墓域内に立ち入ることを得ず、門を隔てて遥拝するのみ。手前に、埋葬されをる皇族の名を記せる高札あり。それを見れば、徳川時代のすべての主要皇族の墓のここに集中しをること一目瞭然たり。

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(東福寺)

泉涌寺を辞して後、山道を迷ひ歩きつつ東福寺に至る。東福寺は臨済宗の大本山にして、鎌倉時代に創建せられて以来、火災や戦災を免れ、創建時の様子をそのままにとどむる貴重な文化遺産なり。よって全山国宝に指定されをる由なり。

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(通天橋)

堂宇もさることながら、この寺は紅葉の見事さで知らるるなり。本堂手前の崖地にそって膨大な数のもみじの木植えられてあり。その崖地には、普門院なる塔頭に通ずる木橋かけられてあり。その名を通天橋といふ。この橋より眺めたる紅葉は、日本一の名に恥じずとの評あり。

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(普門院庭園)

通天橋を渡れば開山堂なる奇抜な形の建物見ゆ。その建物の中庭に一の小宇宙あり。池泉式と枯山水を兼ねたる庭園なり。これがまた意匠微細にわたる中にも大いなる統一感を感じせしむ。これは開山堂と同じく徳川時代後期に作られたる由にて、この国の寺院庭園の爛熟を表現しをるなり。東福寺は、主要伽藍は鎌倉時代に遡るなれど、庭園は近世以降のものにて、本坊庭園の如きは昭和の作庭なりといふ。







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