久野収・鶴見俊輔「現代日本の思想」

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久野収・鶴見俊輔の共著「現代日本の思想」を読んだ。というより数十年ぶりに読み返してみた。この本が出版されたのは1956年であるから、彼らがいう現代思想とは、その時点での日本に流通していた思想ということになる。筆者が読んだのはそれから10数年後のことであったが、その時点でも、この本で触れている思想のいくつかはまだ命脈を保っていた。しかし、出版後60年もたった今日では、少なくとも若い人たちの問題意識を(積極的な意味で)刺激するような迫力を保持した思想を、この本の中に見出すことは難しくなったようである。

この本で取り上げている「現代思想」とは、Ⅰ日本の観念論(白樺派)、Ⅱ日本の唯物論(日本共産党の思想)、Ⅲ日本のプラグマティズム(生活綴り方運動)、Ⅳ日本の超国家主義、Ⅴ日本の実存主義である。このうちⅣ日本の超国家主義を久野が、残りを鶴見が執筆した。日本の超国家主義は、戦前・戦中の全体主義的な動きを思想面で基礎付けたものであり、したがって現代のというよりは、過去の一時期の思想といってよいが、残りの四つの思想流派については、執筆当時はまだまだ現役の思想であったわけである。その現役の思想諸流派を、鶴見が比較考量して見せたわけだが、彼の分析視点は、マルクス主義の影響を強く受けていることが読み取れる。彼は、気質的には無政府主義者だと思うのだが、アナーキズムでは思想の分析は出来にくいので、当時思想界を席巻していたマルクス主義の分析手法を援用して、「現代日本」の思想を腑分けして見せたということなのだろう。

鶴見が取り上げた四つの思想流派のうち、日本に土着したのは白樺派と生活綴り方だという。白樺派のことを鶴見は観念論( Idealism )と言っているが、この言葉は「思い出袋」の中で言及してもいるように、白樺派を形容する言葉としてはふさわしくないかも知れぬ。むしろ日本的理想主義と言うべきであろう。日本的理想主義と言うのは、世界でも例のない純粋な理想主義( Idealism )である。日本の理想主義がなぜそんなに純粋になれたか、そのわけは、その担い手たちがみな裕福な上流階級の出身者だった点にある。一方、生活綴り方運動のほうは、虐げられた階級の出身者たちが担い手になったことで、鋭い社会批判意識を持つようになった。日本人が、外国思想の影響を受けずに鋭い批判意識を持ったというのは、生活綴り方運動をおいて他にはなかった。その点でこの運動も、極めて日本的な現象であった。という具合に、鶴見の分析視点はきわめてマルクスを意識したものだと言えよう。

一方、マルクス主義も実存主義も外来思想である。鶴見の面白いところは、この二つの思想流派を、双子のように見ているところだ。鶴見によれば、マルクス主義に頓挫して転向した者たちが日本における実存主義の先駆者になった。だから日本の実存主義は、マルクス主義の陰画のようなものだと言うのである。これには、日本の実存主義者たちに大変人気のあったサルトルが、マルクス主義の随伴者を自認していたこととかかわりがあるのだろう。

こんな具合で、鶴見の分析手法はかなり図式的なところがあるが、それだけに、わかりやすいといえばわかりやすい。

久野は鶴見より一世代上の人で、日本の超国家主義・軍国主義を身を以て体験した。というのも彼は、滝川事件に連座したり、治安維持法違反で逮捕拘留されたこともあるからだ。それ故彼の、日本軍国主義に対する姿勢は、単に思想的(観念的)なものにとどまらず、肉体的(物質的)なものでもあった。しかし、彼は同じような眼にあった同時代のマルクス主義者たちとは違う見方をするようになった。同時代のマルクス主義者たちは、日本の軍国主義を帝国主義段階にある資本主義の高度な矛盾から生じたと解釈していたが、久野は、日本の軍国主義(超国家主義)は、日本の天皇制に特有の政治的不安定性がもたらしたものだと考えた。伊藤博文らが作り上げた天皇制という政治的な擬制が、伊藤の死によってうまく機能しなくなったところに、その間隙を埋めるようなかたちで、日本的な全体主義思想が台頭してきたというのである。その点では、日本の軍国主義を天皇制と結びつけて論じた丸山昌男に通じるところがあるが、丸山よりも天皇制についていっそう自覚的である。

こんなわけでこの本の意義は、鶴見の担当した部分よりも、久野の日本軍国主義(超国家主義)論のほうにあると言えるかもしれない。というのも、21世紀になって、日本にはあらたに全体主義を目指す政治的動きが現れてきており、それが戦前の軍事独裁型全体主義を目指さないとも限らないからだ。死んだと思われていた思想が生き返るというのは、歴史の上ではよくあることだ。








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