寛政三美人:歌麿の美人画

| コメント(0)
uta021.jpg
(寛政三美人 大判錦絵 38.8×25.5cm)

徳川時代は美しい女がもてはやされた時代で、いつの頃にも三美人とか美人番付とかいって人々の話題の中心となった。歌麿が活躍した寛政時代も、その例に漏れず、寛政三美人といわれるものが大いに評判をとった。この評判の女たちを、歌麿は繰り返し描いている。

これは、その三人の美女たちを描いたもののなかでもっとも有名なもの。右から難波屋おきた、富本豊雛、高島屋おひさ。おきたは浅草観音の水茶屋の娘、豊雛は富本節を得意とした吉原の芸者、おひさは両国米沢町の煎餅屋兼水茶屋の娘である。

水茶屋というのは、三田村鳶魚翁によれば、素人女の売春をかねていたところと言う。歌麿より前の時代の明和年間に盛んになり、笠森おせんなどが明和の三美人などといってもてはやされた。

この絵は好評を博したらしく、同じような図柄の版画が、ほかにも何枚か作られている。それまでの美人画が、どれもこれも類型的で個性のない女ばかりを描いていたのに対して、歌麿の美人は、それぞれに個性を感じさせる。そこのところが、江戸の人々に好まれたのであろう。

uta022.jpg
(七福美人器量競 大判錦絵)

これは、上の三人を含む七人の美女を揃えて描いたもの。これだけ人数が多いと、さすがに個々の特徴は弱くなって、似顔と言うよりは、美人揃えの図と言った感じになる。








コメントする

アーカイブ