(娘たちはハイと承諾して最初に来た男と婚約する)
ゴヤの自画像に続いて現れる版画の最初のものが「娘たちはハイと承諾して最初に来た男と婚約する」と題されたこの作品である。当時のスペインの富裕な階級に見られていた打算的な結婚を風刺したものだ。娘の結婚は、親にとっては自分の社会的な地位を高めるための手段だったが、当の娘にとっては、親の束縛から離れて、自由気ままな生き方を手にするきっかけだった。だから、「ハイと承諾して最初に来た男と婚約する」わけだ。結婚は、愛の問題ではなく、打算の問題というわけだ。
この絵の中の娘は、仮面をしているが、それは自分の正体を見られない工夫だ。正体を見られない方が、相手の興味を高まらせ、ひいては自分の価値を高めることともなる。
娘の前後に付き添っているのは両親だろう。後ろの方で合掌している老婆は、なんのつもりでこんなことをしているのだろう。娘の足もとには大勢の見物人たちがうごめいているが、彼らにとって、この娘の一行は格好の見世物なのだと思われる。
(誰も自分がわからない)
「誰も自分がわからない」と題されたこの作品の中でも、娘は仮面をしているが、これは謝肉祭の仮装行列の仮面だと解釈される。背後にいる、仮装した男たちが、謝肉祭の様子を伺わせるからである。
仮面は、偽りのシンボルである。仮面をかぶることで、人は自分以外の者になれる。だが、時と場合によっては、それをかぶる者の意図を超えた結果をもたらすこともある。自分自身が誰であったかわからなくなる、という笑えない事態だ。
仮面の女に向って何かささやいている女は、女衒ではないかと推測される。
コメントする