神楽坂で加賀料理を食う

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先日真鶴でグルメを楽しんだ仲間と神楽坂で加賀料理を食った。黄昏時に毘沙門天の境内で待ち合わせ、まず石畳の街を散策しようというので、鳥茶屋裏の路地から始めて黒塀横町を通り、神楽坂を反対側に横切って鳥茶屋支店脇の坂道を下り、毘沙門天裏にある加賀料理の店加賀に至ったという次第。途中どこでも大勢の観光客がぞろぞろ歩いているところを見た。外国人の姿も目立つ。どうやら神楽坂は、いつの間にやら観光名所になったようである。

神楽坂というところは面白いところで、京料理や加賀料理の店が多い。加賀はそのなかで古株のほうだ。とはいっても、戦後の開業だが。神楽坂が商業地になったのは明治以降のことで、戦災できれいさっぱりと焼かれてしまったこともあり、そんなに古い店は残っていないのである。

神楽坂の加賀で加賀料理を食うというのは洒落になる。洒落ついでに馬鹿話にも花が咲いた。馬鹿話が過ぎて、つい論争に及んだ。我々の中では珍しいことだ。

論争のタネは今話題のTPPだ。YがTPP推進論をぶったことから論争が始まった。TPPというのは、どんな立場に立つかによって見え方が違ってくる。グローバル企業からすれば大いに魅力的だし、農業者や勤労者それに社会的弱者と言われる人にとっては死活にかかわる問題だ。それを十把一絡げにしていいことだというのは、能天気な態度だと言わねばならない。

筆者がそう指摘すると、Yは、自由貿易の利益を根拠にしてTPPは大いに推進すべしと言い張る。もともとYは、中小企業の立場に立っており、その立場からしても、TPPはプラスに働く場合とマイナスに働く場合とが縺れ合っているというのが本当のところだろう。だがYの言い分は、TPPはいいとこだらけだというものだ。筆者にはそこのところが腑に落ちないので、随分と堕落した見方だと言ってやった。

しかし、そんなことを互いに言い合っていると、我々の日頃の友情にひびが入りかねない。筆者にもそのケがあるが、年をとると思考回路がフリーズして、なまじな理屈では、思い込みを訂正することができない。人から訂正されるとかえって思い込みを強めたりするものだ。そんなことから、これ以上TPPの是非について言いあうのは不毛なことだと肝に銘じ、日頃の友情を優先するためにも、議論を途中で切り上げた次第だ。

我々の友情がこの論争によって毀損されなかったことは、別れ際に、次の集まりは年明け早々北陸新幹線に乗って、加賀で加賀料理を食おうと約しあったことからわかる。





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