2015年9月アーカイブ

ブログ更新一時休止のお知らせ

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翌9月25日から10月2日までの8日間、小生はイタリアに旅行します。その期間当ブログの更新を一時休止しますのでご了承ください。なお旅行中の体験等については、帰国後に紀行文にまとめ、追って紹介したいと存じます。

妖怪:ゴヤの版画

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(小悪鬼たち)

ヨーロッパには妖怪とか妖精とか呼ばれたものの実在が、中世から近世にかけて広く信じられていた。これは一方では聖書に出てくる悪魔との関連性を感じさせるが、他方ではキリスト教の普及によって抑圧されたヨーロッパ土着の信仰に起源があるとも考えられている。それには従って、邪悪な存在としての側面と同時に親しみやすいといった側面もある。シェイクスピアの喜劇に出てくるパックやアリエル、そしてキャリバンといったものたちは、こうした妖精の両義的特徴を最もよく備えたものだと言えよう。

半藤一利「日本の一番長い日」

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「日本の一番長い日」は、日本の敗戦の日に焦点を当てた半藤一利のノンフィクション作品であり、半藤の一連の昭和史研究の出発点となったものだが、戦後二十年たった昭和四十年にこれを刊行したとき、半藤はなぜか自分の名を隠し、当時ノンフィクション作家として人気のあった大宅壮一の名前を借りた。名前を借りたというのもおかしな話だが、それ以上におかしいのは名前を貸した大宅の行動のほうで、今なら著作権のあり方をめぐって大騒ぎになるところだろう。

岸田・ラブロフ会談の意味するもの

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日本の岸田外相とロシアのラブロフ外相が、ほぼ一年半ぶりに日露外相会談を行った。日本としては中断していた北方領土問題の話し合いと、その解決を踏まえて平和条約締結交渉の再開をめざしたが、ロシア側は北方領土問題は解決済みで、交渉の余地はないと、にべもない返事を返してきた。これにはさすがに温厚な岸田外相も、むっとした表情を見せざるを得なかった。

針仕事:歌麿の版画

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「針仕事」は三連式の版画組絵で、江戸時代の女性の日常生活を描いたものである。画面全体には四人の女がおり、みなで協力しあって針仕事をしているところが描かれている。四人の女とは、母親とその三人の娘たちであろう。母親は、中央の画面にいて、右手の画面の娘とともに、仕立てるべき布の寸法取りをしている。母親の背後には、別の娘が針箱を抱えもって、仕事の準備をしている。

フーコーの言う「古典主義時代」とは、彼自身の時代区分によれば、17世紀の半ばから18世紀末までのほぼ150年間をカバーする。時代の開始を告げるメルクマールとしてフーコーは、1656年に、パリにおける「一般施療院」の設立が布告されたことをあげる。この布告によって、狂人を含む反社会的と断罪された人々の大いなる閉じ込め=監禁の時代が始まる。イギリスでは、反社会的分子の閉じ込めは、もう少し早く始まったが、それが本格化するのは、やはり17世紀の半ばだとフーコーは考えている。

はいずみ(三):堤中納言物語

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今の人明日なむ渡さむとすれば、この男に知らすべくもあらず。車なども誰にか借らむ。送れ、とこそは言はめと思ふも、をこがましけれど、言ひ遣る。 「今宵なむ物へ渡らむと思ふに、車暫し」 となむ言ひやりたれば、男、「あはれ、いづちにとか思ふらむ。往かむさまをだに見む。」と思ひて、今此處へ忍びて來ぬ。女待つとて端に居たり。月の明きに、泣く事限りなし。
  我が身かくかけ離れむと思ひきや月だに宿をすみ果つる世に 
と言ひて泣く程に、來れば、さりげなくて、うちそばむきて居たり。 

青春残酷物語:大島渚

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大島渚の1960年の作品「青春残酷物語」は、興行的に成功し、「松竹ヌーヴェルヴァーグ」などと言われた。ヌーヴェルヴァーグと言うのは、フランス映画の新しい潮流のことで、前年の1959年に公開されたフランソワ・トリュフォの「大人はわかってくれない」やジャン=リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」などによって、一躍世界的な注目を集めていた。大島のこの映画はそれと比較されたわけだが、なぜか「日本」ではなく「松竹」のヌーヴェルヴァーグというところが愛嬌だったとも言える。

化粧美人:歌麿の美人画

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(化粧美人 大判錦絵)

歌麿には、鏡に映った自分の顔に見入っている娘の後姿を描いたものが多くある。これはその一枚。鏡の中の女の表情よりも、うなじの美しさにポイントを置いている。

野崎昭弘「詭弁論理学」

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数学者野崎昭弘の著作「詭弁論理学」(中公新書)は、1976年に刊行されて以来刊を重ね、今日でもなお多くの人に読まれているから、古典的な業績と言ってよい。書かれている内容は、そんなに高度なことではなく、誰にでもわかりやすいし、しかも誰にとっても切実な事柄と言えるので、今でも多くの人に繙かれる価値がある、ということだろう。著者の野崎がこの本を刊行した時に、詭弁が横行していたのかどうか、筆者にはそこまではわからぬが、詭弁が横行していなくとも、この種の本はいつの時代でも有効だと思うし、とりわけ政治家たちの詭弁がまかり通っている今日の日本のような社会では、この本の価値は余計に高まっていると言えるだろう。

非理性としての怪物:ゴヤの版画

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(理性の眠りは怪物を生む)

この絵は、もともとは版画集「きまぐれ」の扉絵として考案された。題名の「理性の眠りは怪物を生む」からして、「きまぐれ」全体に共通するテーマをあらわしているかのようである。もっとも、この作品は最終的には、第43番目の枠に挿入されることになった。

はいずみ(二):堤中納言物語

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見れば、あてにこゝしき人の、日ごろ物を思ひければ、少し面瘠せていとあはれげなり。うち恥ぢしらひて、例のやうに物言はで、しめりたるを、いと心苦しう思へど、さ言ひつれば、言ふやう、 

独立愚連隊:岡本喜八

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岡本喜八の「独立愚連隊」は、戦争映画ということになっているが、戦争映画としては変り種である。一応、戦争は描かれているし、戦争が人間にとって持つ意味のようなものも、描かれていないわけではない。しかし、それらは話の筋からすれば付け足しのようなもので、本筋は別のところにある。自分の弟を所属部隊によって謀殺されたと疑った兄が、その疑いを晴らした上で、弟の仇を討つというものだ。これはどうみても戦争映画のシナリオとしてはふさわしくない。ミステリー映画か、あるいはせいぜいアクション映画にふさわしいシナリオだ。そんなこともあってこの映画は、公開当時戦争アクション映画などと宣伝された。

何気ない仕草:歌麿の美人画

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(木挽町新やしき 小伊勢屋おちゑ)

日本橋木挽町にあった水茶屋の看板娘おちゑを描いたもの。娘が手にとって見ているものは、絵本の類だろうか。きりっとしたまなざしには、知性のようなものが感じられるが、豊満な体つきからは女の色気が強く伝わってくる。

ロバの学習:ゴヤの版画

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(弟子のほうが物知りか)

人間の愚行を動物の姿に託して描くのはゴヤの常套手段だったが、そのなかでもっとも頻繁に登場するのはロバだ。ロバは、ゴヤにとってのみならず、ヨーロッパの言説空間の中では、愚昧と無知の象徴として活躍してきたのだったが、ゴヤもまた、ロバを無知の化身として使っている。

大岡昇平「野火」

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大岡昇平の小説「野火」を、筆者は日本文学が生んだ最高傑作のひとつだと考えているが、世の受け止め方は必ずしもそうではないらしい。扱われているテーマが、人肉食いという陰惨な事柄であるためだろう。人肉を食うことは、大岡自身この小説の中で言っている通り、母親を犯すことと並んで、嫌悪の脅迫なしに想像することのできないこと、つまり人間として最もイモラルなことである。そのイモラルな行為を大岡は、異常で常軌を逸したものだと認めつつ、決してありえないことではないというような見地で描いている。どのような個人にあっても、一定の条件が重なれば、人肉を食うという選択が、無論良心の呵責を伴いながらではあるが、なされることに不思議はない。或は人は言うかもしれない。人を食って自分が生き残るよりは、自分自身を死神の手に差し出すほうがましだと。しかし、人間というものは、そんな理屈で割り切れるものではない。人を食うより以外選択の余地がない場合には、人はあっさりとその行為を選んでしまうものなのだ。こんなシニシズムがこの小説には満ち溢れている。それ故この小説は、一種の露悪趣味の小説とも言えるし、その限りにおいて、これに共感できる読者の幅を限定することにもなっている、というわけなのだろう。

教訓親の目鑑(二):歌麿の美人画

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(ぐうたら兵衛 大判錦絵)

寝起きの女を描いたものだろう。手ぬぐいを肩に、茶碗の水でうがいをしている。髪がほつれているのは、寝相の悪いためだろう。いかにも「ぐうたら」の名にふさわしい。

阿呆船:フーコー「狂気の歴史」

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フーコーは「狂気の歴史」の叙述を「阿呆船」への言及から始める。「阿呆船」というのは、北方ルネサンスを彩ったイメージの一つで、阿呆どもを大勢乗せた船が、ヨーロッパの川に浮かんで、都市から都市をさすらうということが主なテーマになっている。これをフーコーは、狂気についてのルネサンス人の感受性が反映されているものと考え、視覚的にはボスやブリューゲルの絵、文芸としてはブラントの阿呆船についての考察やエラスムスの痴愚神礼賛の精神がそれを代表していると見ている。

はいずみ(一):堤中納言物語

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下わたりに、品賤しからぬ人の、事も叶はぬ人をにくからず思ひて、年ごろ經るほどに、親しき人の許へ往き通ひけるほどに、むすめを思ひかけて、みそかに通ひありきにけり。珍しければにや、初めの人よりは志深く覺えて、人目もつゝまず通ひければ、親聞きつけて、 「年ごろの人をもち給へれども、いかゞせむ」 とて許して住ます。

真空地帯:山本薩夫

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山本薩夫の映画「真空地帯」は、野間宏の同名の小説を映画化したものである。この小説は1952年に発表され、非常に大きな反響を巻き起こしたのだが、それを山本は同じ年の暮れに映画化した。そのことで、ここで描かれているような旧陸軍のあり方についての、社会的な関心をいっそう掻き立てたといった具合になった。

教訓親の目鑑(一):歌麿の美人画

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(理口者 大判錦絵)

教訓親の目鑑シリーズは、歌麿晩年の傑作で、あわせて十枚が伝わっている。外題に眼鏡を描き、その中に「教訓親の目鑑」と記しているが、その内容は、親の目を盗んで手前勝手なことをする市井の娘たちの姿態である。女性の赤裸々な姿を描いた作品として、徳川時代後期の浮世絵師たちに大きな影響を及ぼした。

エマニュエル・トッド「帝国以後」

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題名にある「帝国」とはアメリカ合衆国のことである。そのアメリカ帝国が没落した後の世界はどうなるか、それを分析するのがこの本のテーマである。副題に「アメリカ・システムの崩壊」とあるのが、そのことをよく物語っている。

牢獄:ゴヤの版画

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(感じやすかったがために)

ゴヤの時代のスペインは、他の西洋諸国と比べて歴史の歯車がひとサイクル遅れていたので、いろいろなタイプの人々が牢獄に入れられていた。牢獄は、犯罪者を処罰する所という側面の外に、社会の常軌から外れた連中を排除し、隔離するための場でもあったわけだ。

花々のをんな子(四):堤中納言物語

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内裏にも參らず徒然なるに、かの聞きし事をぞ、「その女御の宮とて、のどかには」、「かの君こそ容貌をかしかなれ」など、心に思ふこと、歌など書きつゝ、手習にしたりけるを、又、人の取りて書きうつしたれば、怪しくもあるかな。これら作りたるさまも覺えず、よしなき物のさまかな。虚言にもあらず。世の中にそら物語多かれば、實としもや思はざるらむ。これ思ふこそ妬けれ。

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ジョシュア・オッペンハイマーのドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」は、1965年から翌年にかけてインドネシアで起こった大規模虐殺事件を取り上げたものである。この事件は日本のメディアでもとりあげられ、ブンガワン・ソロが死体で埋まったなどと伝えられたが、事件の背景や実態については、あまり明らかにはされなかった。当時高校生だった筆者などは、新聞や雑誌で事件の真相に迫ろうと思ったが、雲を掴むようで、わからないことが多かったことを覚えている。

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写真(National Geographicから)は、原始人類の可能性が高いとされるホモ・ナレディ( Homo naledi )。最近、南アフリカ・ヨハネスブルグの北西約50キロの所にあるライジング・スター洞窟の奥まったところから発見された骨の一部をもとに再現されたものである。この洞窟からは15体分の骨が回収されたが、そのうちの大部分は幼児のもので、そのほかいくつかの子どもの骨と一人分の老人の骨が見つかった。

娘日時計(二):歌麿の美人画

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(娘日時計 午ノ刻 大判錦絵)

午の刻(正午)は、湯からあがった娘たちを描く。外題にわざわざ「古代者女湯以申刻当此図」と断っているのは、昔は女が昼間から風呂に入ることはなかったと皮肉っているのだろうが、余計なお世話と言うべきだろう。

怠惰と貪欲:ゴヤの版画

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(これこそまさに読書だ)

小さな椅子にちょこんと腰かけた老人。背後の暗闇には二人の男がいて、一人は老人の髪を手入れし、もう一人は老人に靴を履かせている。当の老人は、組んだ膝の上に本を広げているが、それを読んでいるわけではない。居眠りをしているのだ。

敗戦と復員:大岡昇平「俘虜記」

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大岡昇平にとって、日本の敗戦は1945年8月10日であった。この日は、日本政府が、国体の護持が保証されるならポツダム宣言を受け入れてもよいと意思表示した日であって、降伏を決定した日ではないのだが、アメリカ軍は戦地にいる日本兵の士気を弱める意図から、日本が降伏したという情報をばらまいた。大岡ら戦地の俘虜もそうした情報を聞かされたわけだ。その日を境にして、俘虜たちの意識は敗戦モードに入っていった。大岡もその一人であったから、「我々にとって日本降伏の日付は八月十五日ではなく、八月十日であった」と言うわけなのであろう。

娘日時計(一):歌麿の美人画

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(娘日時計 辰ノ刻 大判錦絵)

娘日時計シリーズは、日中の時刻を区切って、その時々の娘たちの生態を描いたもの。取り上げられた日中の時刻とは、辰の刻(午前八時)、巳の刻(午前十時)、午の刻(正午)、未の刻(午後二時)、申の刻(午後四時)で、それぞれの時刻ごとに二人の娘を配している。

フーコー「狂気の歴史」を読む

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20世紀のフランスの哲学者たちは、過度に修辞的であるという共通の特徴を有している。彼らは分析の代わりに隠喩を用いて説明しようとする傾向が非常に強いし、また、簡潔に表現できるところを、遠まわしに勿体つけて表現したがる傾向がある。そのため、哲学の書を読んでいるのか、あるいは文芸的な著作を読んでいるのか、判別がつかないほどである。これは同時代の英語圏の哲学者たちが、分析的で簡潔な表現を好むことと著しい対照をなすばかりか、デカルト以来のフランスの知的伝統からも離れている。デカルト以来ベルグソンに至るまで、フランスの哲学者たちは、なによりも明晰かつ判明であることを無上のモットーとしてきた。ところが20世紀のフランスの哲学者たちは、必要以上に饒舌になるあまり、明晰かつ判明であることに、あまり気を使わなくなってしまったようなのである。

花々のをんな子(三):堤中納言物語

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この女たちの親、賤しからぬ人なれど、いかに思ふにか、宮仕へに出したてて、殿ばら、宮ばら、女御達の御許に、一人づゝ參らせたるなりけり。同じ兄弟ともいはせで、他人の子になしつゝぞありける。この殿ばらの女御たちは、皆挑ませ給ふ御中に、同じ兄弟の別れて候ふぞ怪しきや。皆思して候ふは知らせ給はぬにやあらむ。好色ばらの、御有樣ども聞き、嬉しと思ひ至らぬ處なければ、此の人どもも知らぬにしもあらず。 

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「ハーツ・アンド・マインズ( Hearts and minds )」は、ベトナム戦争を取り上げたドキュメンタリー映画である。公開されたのは1974年。アメリカがベトナムから撤退したのが前年の1973年、ベトナムでの内戦が終結するのが翌年の1975年、ということで、この映画の公開時には、ベトナム戦争はまだ過去のことではなく、現在進行中のことであった。そんなこともあってか、べトナム戦争に対して批判的な視点が強く現れているとはいえ、批判一辺倒ではなく、アメリカの保守派の言い分にも大きく時間を割くなど、なるべくフェアに扱おうとする意気込みも感じられる。

当時全盛美人揃(三):歌麿の美人画

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(若葉屋内 若鶴)

若葉屋の売れっ子芸者若鶴を描いたもの。前出の花紫や小紫に比べると、やや成熟を感じさせる。その女が、唇で筆を加え、巻紙を巻いているのは、恋人への手紙を書き終わったところか。

戦場の性:大岡昇平「俘虜記」

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戦場における性(セックス)といえば、強姦、慰安婦、男色ということになろうが、大岡昇平の「俘虜記」も、さらりとした筆致であるが、これらの事柄に触れている。これを読むと、大岡がこういう問題について、かなりクールな考えをしていることが透けて見える。

異端審問:ゴヤの版画

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(あの塵埃)

ゴヤの生きていた時代には、異端審問所がまだ存在して活動していた。それは、もともと宗教裁判として始まり、異端の考えを持った者を断罪していたのだが、ゴヤに時代になると、宗教的な異端者ばかりでなく、政治的な反政府分子を弾圧する手段としても使われていた。実際多くの自由主義者たちが異端審問の対象になったのであり、ゴヤ自身にも、異端審問所から呼び出されるということがおこった。ゴヤが晩年フランスへ移住したのは、ひとつには異端審問から逃れるためだったとも言われる。

ウーマノミクスとは何か

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安倍政権が目下売り物にしている女性活用策を、ウーマノミクスというのだそうだ。経済活性化を目指したアベノミクスに、ウーマンという言葉を付け替えることで、女性の活用を目指すという意味合いを含めている、というつもりらしいが、外国メディアには必ずしもそうは映らないようだ。この言葉が彼らに連想させるのは、女性の活用というよりも、女性の経済的な搾取ということのようだ。英誌エコノミストがその辺のことを取り上げて論評している。(We're busy. Get an abortion  )

花々のをんな子(二):堤中納言物語

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命婦の君は、 「蓮のわたりも、此の御かたちも、この御方など、いづれ勝りて思ひ聞え侍らむ。にくき枝おはせじかし
  はちす葉の心廣さの思ひにはいづれと分かず露ばかりにも」。
六の君、はやりかなる聲にて、 「瞿麥を床夏におはしますといふこそうれしけれ 
  とこなつに思ひしげしと皆人はいふなでしこと人は知らなむ 」
と宣へば、七の君したりがほにも、 
刈萱のなまめかしさの姿にはそのなでしこも劣るとぞ聞く 
と宣へば、皆々も笑ふ。 

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アラン・レネの「夜と霧」は、アウシュヴィッツにおけるナチスの蛮行をテーマにしたドキュメンタリー映画である。作られたのは1955年のことで、その当時のアウシュヴィッツの荒涼たる光景をカラー映像で映し出しながら、そのわずか十数年前に、そこを舞台にして行われていたナチスのおぞましい犯罪、すなわちユダヤ人をはじめとした膨大な数の人々に対するホロコーストを、記録映像をもとにして再現し、重ねあわせた。公開されるや、世界中からすさまじい反響が巻き起こり、映画の内容を含めて論争が繰り返されたという。

さまよえるシリア難民たち

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写真(APから)は、ハンガリーからオーストリアを目指して歩くシリア難民たちの群。彼らは、戦乱のシリアを逃れてヨーロッパへ向かおうとする人々だ。最終的な目的地は、豊かなドイツやスウェーデンだが、そこへたどりつく中継地としてハンガリーにやってきた。EU内の取り決めとして、域外からの移入者はまず入り口の国で手続きをする必要がある。そこでOKならばシェンゲン協定にもとづいて他の国へ自由に移動できる。そこで彼らはまずハンガリーへやってきたのだが、ハンガリー政府は手続きを進めようとしないばかりか、国外への異動も認めない。そこで進退きわまった難民の一部が、歩いてオーストリアへ向かったというわけだ。

当時全盛美人揃二:歌麿の美人画

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(玉屋内 小紫)

玉屋の売れっ子芸者小紫を描いたもの。同じく玉屋の花紫とは義理の姉妹の関係にあったのだろう。

むしられる鳥たち:ゴヤの版画

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(みんなひっかかるだろう)

この奇妙な絵で、ゴヤは一体何を言いたかったのか、様々な憶測がなされてきた。図像的には、画面の下で、人間の顔をした鳥が、女たちによって羽をむしられ尻の穴に串を突っ込まれているのと、一本の枯れ木の枝の上やその周囲にいる、これもやはり人間の顔をした鳥たちが目を引く。この鳥たちは、何の隠喩をあらわしているのだろうか。

戦友:大岡昇平「俘虜記」

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大岡昇平は「俘虜記」のなかで「戦友」という章を設けて、俘虜になる前に一緒に行動していた兵隊仲間のことを書いている。それを読むと大岡が、戦友の一人ひとりについてはかなり面白くない気持ちを抱いていた一方、日本軍全体の一員としての兵士については、かならずしも悪く思っていなかったという、ある意味矛盾した気持が伝わってくる。

当時全盛美人揃(一):歌麿の美人画

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(越前屋内 唐土)

「当時全盛美人揃」は「当時全盛似顔揃」の好評に気をよくして、美人大首絵の第二段として刊行された。「当時全盛似顔揃」十枚のうち四枚が、ほとんどそのままの形で転用されている。

即非の論理:鈴木大拙の思想

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鈴木大拙と西田幾多郎は、それこそ青春時代からの付き合いがあり、また禅という共通のテーマを巡ってやり取りをしていたから、単に友人としてではなく、思想上の同志としても互いに深く影響しあった。どちらが、どんな面で影響を与え、又受けたか、それ自体哲学史上の興味あるエピソードだが、ここでは鈴木大拙が西田に与えた影響のうちで最も重要なものと思われる「即非の論理」について取り上げてみたい。

花々のをんな子(一):堤中納言物語

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其のころの事と數多見ゆる人眞似のやうに、かたはら痛けれど、これは聞きし事なればなむ。賤しからぬすきものの、いたらぬ所なく、人に許されたる、やんごとなき所にて、物言ひ、懸想せし人は、この頃里に罷り出でてあなれば、實かと往きて氣色見むと思ひて、いみじく忍びて、唯小舍人童一人して來にけり。近き透垣の前栽に隱れて見れば、夕暮のいみじくあはれげなるに、簾捲き上げて、「只今は見る人もあらじ」と思ひ顔に打解けて、皆さまざまにゐて、萬の物語しつゝ、人のうへいふなどもあり。はやりかにうちさゝめきたるも、又恥しげにのどかなるも、數多たはぶれ亂れたるも、今めかしうをかしきほどかな。 

ゆきゆきて神軍:原一男

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「ゆきゆきて神軍」は、アナーキスト奥崎謙三の戦争犯罪追及を追ったドキュメンタリー映画である。奥崎は、昭和天皇の一般参賀の場で天皇に向けてパチンコを打ったり、東京の繁華街のデパートの屋上から皇室を中傷する卑猥なポルノ画像をばら撒いたことなどで世間の注目を浴びた。彼のそうした行為の背景には、戦争で多くの人々を殺した国家への激しい憎悪があり、その憎悪が国家の象徴である天皇に向けられたと言われた。もっとも、彼はこれらの事件の前に傷害致死事件をも起こしており、その性格には明らかに異常があったとも評された。ともあれ、普通の人間の想像を超えたところのある人間には違いない。そのユニークな人間による戦争犯罪の追及の過程を、このドキュメンタリー映画は忠実に追っていくわけである。

安保法制反対デモへのマスコミの反応

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8月30日には、安保法制に反対するデモが国会前で10万人規模に膨れ上がったのを始め、全国各地の都市でも行なわれた。しばらくデモの風景を見なかった日本でこんなに大規模なデモを見るのは1960年台後半以来ほぼ半世紀ぶりのことだ。それでこうした動きにマスコミがどう反応したか、興味深いところであろう。

当時全盛似顔揃:歌麿の美人画

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(兵庫屋内花妻 大判錦絵)

寛政六年に写楽が歌舞伎役者の似顔絵を出したのに対抗して、歌麿が吉原の芸者の似顔絵シリーズを若狭屋から刊行した。今に伝わっているのは四枚である。このシリーズの絵は、女のしぐさや表情に誇張がある。おそらく写楽の誇張した描き方を意識したのだろうと思われる。

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