エマニュエル・トッド「帝国以後」

| コメント(0)
題名にある「帝国」とはアメリカ合衆国のことである。そのアメリカ帝国が没落した後の世界はどうなるか、それを分析するのがこの本のテーマである。副題に「アメリカ・システムの崩壊」とあるのが、そのことをよく物語っている。

トッドは帝国という概念の内包を、アテネとローマの国家体制の分析から導き出しているのだが、それによれば、帝国のもっとも根本的な条件は普遍主義ということになる。普遍主義というのは、征服した民族をも自分自身の民族と差別しないということである。帝国の国家体制の下では、万民が平等である。彼等は平等に租税を負担するかわりに平等な権利を享受する。この基準に照らすと、ローマは真の帝国主義と言える一方、アテネはそうは言えない。アテネは中途半端な帝国にとどまった。何故ならアテネは、被支配者に対して平等な租税負担は求めたが、平等な権利は認めなかったからだ。

いまのアメリカは、アテネに似ている、とトッドはいう。世界中から富を収奪する一方、差別原理に突き動かされているからだ。これは普遍主義に反する、というわけだ。

アメリカにも真の帝国たらんとする時期はあった。冷戦の時代である。その時代のアメリカは、イデオロギー的にも政治的にも普遍主義を標榜していた。その普遍主義の旗印の下で、ヨーロッパや日本は秩序と繁栄を保証されていると感じることができた。しかし、冷戦が終了すると、そうした普遍主義は消滅した。アメリカはいまや、利己的な動機に基づいて行動し、世界を収奪するばかりである。そのうえ、絶え間のない戦争に現を抜かし、世界にとっての最大の不安定要因となっている。「つい最近まで国際秩序の要因であったアメリカ合衆国は、ますます明瞭に秩序破壊の要因となりつつある」(石崎晴己訳)というわけである。

そんなアメリカはもういらない、というより世界の趨勢がアメリカをますます不要にしていくだろうとトッドは予言する。アメリカは次第に超大国の座から滑り落ち、普通の大国になっていくだろう。それと平行してヨーロッパやロシア、そして日本を盟主とした東アジアが、アメリカに匹敵する大国に成長するだろう。将来の世界は、そうした大国同士が共存するような形をとるだろう。そうした世界は、アメリカ帝国による一方的な秩序の押し付けには反発するだろう。大して実力が違わない大国同士の間で、あらたなルールが生まれてくるだろう。そんなふうにトッドは予想し、それは将来の世界にとってよいことだと結論付ける。アメリカが勝手にふるまっている今の世界のあり方は、異常であるばかりか危険だと言うのだ。

このようにアメリカに対しては非常に厳しいトッドが、ロシアに対しては非常に甘い。ロシアはいったん失った大国としての地位を回復し、その地位に基づいてアメリカに対する解毒剤のような役割を果たすだろうとまで言う。また、ロシアを過大評価する一方、中国のことはほとんど問題にしていない。彼が東アジアの中心と考えているのは中国ではなく、日本なのだ。この本が書かれたのが2003年であり、その当時は中国はいまだ発展途上だったことを考慮しても、予想と現実の落差は大きいと言わねばなるまい。

ところで、トッドはこの本の中でも、家族関係のあり方が政治システムに根本的な影響を及ぼしていることを、強調している。それによれば、フランスは親子関係においても兄弟同士の関係においても、平等でかつ個人主義的だ。それがフランスの政治システムの特徴である自由と平等の尊重をもたらした。一方、フランスの対極にあるドイツは、長子相続を基本とする不平等で権威主義的な家族規範が支配しているが、それが政治システムにおける権威主義的で不平等な全体主義的な価値観を生んだ。そして日本はその緩和された変種であると言うのである。

アングロサクソンの家族関係は、親子間の相互独立性と兄弟間の平等主義的基準の不在を特徴としているが、それが政治システムの上では、平等よりも差異を強調する価値観を強めた。その反対としてロシアの家族は、兄弟は父親によって平等に扱われるが、兄弟たちすべは父親の権威のもとに拘束される。そこからロシア特有の、権威主義と平等主義とが複雑にからみあったシステムをもたらした、と言うわけなのである。

イスラム圏についてのトッドの分析は、読み物としては鑑賞に耐えるかもしれないが、社会科学としては眉に唾して受け止めたほうがよいかもしれない。

こんな次第で、各民族国家の政治システムは、その民族の家族関係のあり方に深く根ざしているとする主張は、なかなか興味深いものがある。彼のそうした主張をもっと詳しく知るためには、「世界の多様性」とか「新ヨーロッパ大全」とかいった書物をひもとくのがよいだろう。







コメントする

アーカイブ