インドネシアの大規模虐殺から50年

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イタリア旅行中、滞在先のローマのホテルで英字紙 International New York Times を読んでいたら、ジョシュア・オッペンハイマーの投書 Suharto's Purge, Indonesia's Silence が目について読んだ。今年が1965年から翌年にかけて起きた大規模虐殺から50年目の節目にあたることから、この事件の真相とそれがインドネシアの歴史にとって持つ意味を問い直そうという内容だ。

この事件の解明については、オッペンハイマー自身深くかかわり、ドキュメンタリー映画 Act of killing などを通じてその真相に迫ってきたところだ。この映画は、虐殺の被害者の視点からではなく、加害者の視点から描いたというところに特徴があるが、それは、インドネシアではこの事件について批判することがタブーとなっており、被害者の視点から描くことに非常な困難があるという事情が働いているためだ、とオッペンハイマー自身が指摘している。

そんな事情からは、インドネシア社会が、この問題といまだに真剣に向かい合っていないという状態が浮かび上がってくる。オッペンハイマーは、この大規模虐殺の後でも、東チモールや西パプアで大規模な住民虐殺が続いたのは、インドネシアが自らの負の歴史をきちんと清算しなかったことの結果だというような言い方をしている。

映画の中では、虐殺の被害者の数は100万人から300万人の範囲だと、登場人物(加害者)に言わせていたが、この小論の中では50万人が殺され、75万人が障害を負わされたとしている。殺された人の家族や障害を負わされた人々は、いまでもこの事件について声を上げることをためらっている。そんなことをしたら命にかかわるからだろう。一方、加害者たちが、いまでも責任を問われずに堂々と生きているのは、映画の中で描かれていた通りだ。

その理由は、彼らの虐殺行為が権力の支持のもとで行われたことにある。この小論の題名が(スハルトのパージ)となっているように、オッペンハイマーは様々な証拠をもとに、この虐殺がスハルトによるスカルノ勢力追い落としの一環として行なわれたと指摘する。そしてその影にはアメリカの意向があったということを、小論の中ではっきりと言っている。

スハルトがスカルノに戦いを挑んだとき、アメリカ政府はスハルト派に武器や金の援助を行う一方、スハルトに敵対する勢力の名簿を提供したという。この名簿に載っている人々は、スハルトの新しい権力にとって邪魔な連中だから、消してしまった方がいいというニュアンスを込めてである。この名簿に載せられた人々は、スハルトによって命を奪われることになるが、彼らの大部分は共産主義者だった。

オッペンハイマーのこうした指摘は、アメリカ政府による公文書の公開にもとづいたものだ。インドネシア政府からはいまだに何らの情報も公開されてはいない。しかし、虐殺にかかわる情報を積極的に公開すべきはインドネシア政府のほうだとオッペンハイマーは指摘する。インドネシアが民主的な国として発展していくためには、自らの負の歴史にも直面しなければならないというのである。

筆者が、オッペンハイマーのこの小論に関心を持ったのは、彼の映画を通じてインドネシアの歴史的な虐殺の実態を知らされたからだ。この虐殺は、インドネシアの内部における権力闘争という形を取っていたが、その背後ではアメリカも絡んでいて、虐殺する側に加担した証拠がある。そしてアメリカがそのような行動をとった背景には、当時の冷戦の構図があるといった具合に、20世紀の国際関係が、この事件に凝縮されていると思え、それが筆者の好奇心をそそったのである。





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