イタリア紀行その七:パンテオン、ナヴォーナ広場

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(パンテオンの正面列柱)

クィリナーレ通りの路上タクシを拾ひパンテオンに向ふ。乗り込みし直後文子タクシメータ見当たらずと言ふ。運転手にタクシメータはいずこにありや問ふにバックミラーのあたりを指さす。なるほど通常バックミラーのあるべきところにタクシメータあり。感心するに運転手曰く、モデルノなりと。タクシは狭小なる路地を右つ左つしながらパンテオン広場の手前にて止る。タクシメータには七ユーロ五十セントの表示あり。余十ユーロ紙幣を差し出す。運転手つりは一ユーロでよいかと言ふ。余二ユーロ返すべしと答ふ。運転手さしたる不満も言はず二ユーロを返したり。

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(パンテオン前の広場)

パンテオンは広場も構内も大勢の人々もてごった返してあり。広場にはコロセオにて見かけたると同じ馬車あり。この馬車に乗りて周辺を巡覧するもまた一興と覚えたり。

パンテオンは二世紀初等ハドリアヌス皇帝によって建てられしものにして世界最古又最大規模の石造建築物なる由。パンテオンなる名称はギリシャ語にてすべての神々のと言ふ意味なり。その神々の神意に守られてか千九百年もの間破壊を免れ創建当時の姿をそのままとどめをるなり。

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(パンテオン内部の天窓)

正面はコリント式の列柱の上に三角形のファサードを見せ、その背後に巨大なクーポラを戴ける円形の会堂を配す。クーポラの真中には直径九メートルと言ふ巨大な天窓開きそこより光が差し込む工夫なり。光と共に雨も降り注ぐ道理なれば床の侵食も懸念せらるるなれど、床上にその痕跡無し。

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(ナヴォーナ広場)

パンテオンより歩みてナヴォーナ広場に向ふ。紀元一世紀に競技場として整備されたと言ふローマで最も古き広場の一つなり。南北に細長き形状なり。その南北軸に沿って三つの泉あり。南端のものをモーロ人の泉と言ふ。又中心には四大河の泉なるものあり。これはオベリスクを中心軸にしてその周りに世界の四大河をイメージせる石像を配し更にその周りに泉をめぐらせたり。

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(ナヴォーナ広場の似顔絵描き)

広場には風景画を売るものやら似顔絵を売るもの多し。かかる光景は日本にてもかつて上野などにて見られしが今はいづこの都市にも見られずなりぬ。イタリアはさすが芸術の国と言ふべし。

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(ナヴォーナ広場の路上レストラン)

又広場の周辺にはレストランの路上席設けられ、人々思ひ思ひのものを食いながら長閑なひと時を過ごしつつあり。イタリア人は人生を楽しむにも長けたりと言ふべし。

ナヴォーナ広場よりバスに乗らんとしてチケットの販売店を探す。なかなか見当たらず。通りがかりの警察官に尋ねたるところ付近のタバッキにて買ふべしとその所在を教へらる。タバッキとは文字通りにはタバコを売る店と言ふ意味なれど、タバコのほかに日用品やらバス・地下鉄の切符も売りをるなり。街角のキオスクと言ふべきか。

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(コロセオの入場口)

ナヴォナー広場近くの停留所にてバスに乗り運転手に行先を告げるに逆方向なりと言はる。次の停留所にて下車し別のバスに乗りコロセオ前にて下車す。コロセオは閉館間近といふにいまだ大勢の人々行列を作りてあり。

コロセオより地下鉄に乗りカストロ・プレトーリオにて下車。そこより歩いてホテルに戻る。途次スーパーにて買物をなす。

ホテルの部屋にてひととき寛ぎし後六時半頃食事に赴く。ガイドブックに紹介されたるホテル周辺のレストラン二件を訪ねしがいづれも扉を閉ざしてあり。仕方なく昨夜のモンテアルチに入る。店員余らの顔を覚えをり大いに歓待す。しかしてテーブル上に数匹の魚を示し何を料理すべきやと言ふ。余平目はありやと問ふ。店員すずきを示してこれが平目なりと答ふ。余すずきはありやと問ふ。店員鱒の如き魚を示してこれがすずきなりと答ふ。日本とイタリアとは魚類の名称を異にすると見えたり。

野菜数種の前菜、生かき、ボロネーゼのペンネ(日本語メニューには何故か小餃子と言ふ)、サーモンステーキなどを注文し、白ワインを飲みつつ料理の味を堪能す。生かきはフランス産にて日本のものより幾分小振りなり。その割に味は大振りなりき。






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