イタリア紀行その八:フィレンツェ

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(フィレンツェ、シニョリーア広場)

九月廿八日(月)半陰半晴。六時半起床、七時に朝食、食堂からの帰りにイタリア人女性客とすれ違ひざまチャーミングな微笑を送らる。イタリア女は愛嬌づきたるもの多し。

この日はフィレンツェへ日帰り旅行をなさんとて八時にホテルを出づ。テルミナ駅に向ふ途中ドイツ大使館前に機関銃を構へて警備をなすもの二名あり。迷彩服を着たるところからして兵士と思はる。道の反対側よりこれを撮影せんとするに血相を変えて撮影を止めよと叫ぶ。余蒼惶としてその場を去る。大使館の警備は日本にてもものものしけれど機関銃を構へたる兵士を見ることはあらず。欧州の治安事情の一端を見るべし。

駅に至る頃便意を催したれば、地下の公衆便所にて用便す。利用料一ユーロなり。パリの公衆便所より安し。

イタリアの駅は日本の如き改札口を有せず。改札は車内にてなすなり。また行先ごとの専用ホームを決めをらず出発直前にホームの割当をなす。空港の如くなり。

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(車窓からの眺め)

八時三十五分発ヴェネチア行の特急フレッチャアルジェントに乗車す。ローマを出でて後フィレンツェまでノンストップなり。窓外の景色を眺むるにローマを出でて二十分も経れば田園地帯なり。緩やかなる丘陵広がり、たびたびトンネルをくぐる。トンネルをくぐるたびに潅木の生ひ茂る丘陵地帯の広がるさまを見るのみ。人家集落を殆ど見ず。たまたま集落を見ればそれらは殆ど集合住宅よりなる。イタリアは集落と田園と完全に分離されをるが如し。パリ、ロンドンも集落と田園分離されてありしが、イタリアはそれを上回る徹底振りのやうなり。

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(サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の尖塔)

十時五分フィレンツェ着。駅を出づるに眼前にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の建物を見る。この教会はフェレンツェ中央駅の名称に用ひらるるものにてフィレンツェ・ゴシック様式の傑作なり。尖塔の見ゆる部分は建物の背面なり。そこより正面まで百メートルもの規模を誇るといふ。

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(サンタ・マリア・ノヴェッラ教会正面)

外壁をぐるりと回り込んで正面に出づればその前に広場あり。朝市の類催され様々なもの売られてあり。天は陰りをれど長閑な雰囲気なり。そこにて一呼吸ついて後バンキ通り、ジッリオ通りを経てメディチ家礼拝堂に至る。

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(メディチ家礼拝堂)

この礼拝堂はサン・ロレンツォ教会の付属施設として建てらると言ふ。君主の礼拝堂及び聖具室よりなり、聖具室にはミケランジェロの曙以下一連の彫刻群を収む。聖具室そのものもミケランジェロの設計なり。美術史上高い価値を有するとありセキュリティチェックは空港のそれと同じレヴェルなり。

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(ミケランジェロの彫刻、曙と黄昏)

この聖具室にはメディチ家の当主ロレンツォ二世及びジュリアーノの墓を収む。しかしてそれぞれの墓の上に墓主の像と男女の像を配置す。ロレンツォ二世は瞑想する姿にあらわされその下に女性像曙及び男性像黄昏を配す。

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(ミケランジェロの彫刻、昼と夜)

またジュリアーノ像の下には男性像昼及び女性像夜を配す。黄昏といひ夜といひメディチ家の没落を暗示するが如しとの見方もある由なり。

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(サン・ロレンツォ教会)

礼拝堂を出て東へ回り込めばサン・ロレンツォ教会の石畳あり。人をして歴史の厚みを感ぜしむ。

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(フィレンツェの路地)

また、このあたりにはシックな雰囲気の路地縦横に走り、散策するには事欠かざるなり。






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