よしなしごと(三):堤中納言物語

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侘しき事なれど、露の命絶えぬ限りは食物も用侍る。妙高合子の信濃梨、斑鳩山の枝栗、三方の郡の若狹椎、天の橋立の丹後和布、出雲の浦の甘海苔、みのはしのかもまがり、若江の郡の河内蕪、野洲・栗太の近江餅、小松・かぶとの伊賀乾瓜、掛田が峯の松の実、道の奥の島のうべあけび、と山の柑子橘、これ侍らずは、やもめの邊の熬豆などやうの物、賜はせよ。 

いでや、いるべき物どもいと多く侍る。せめては、たゞ、足鍋一・なが筵一つら・盥一つなむ要るべし。もし、これら貸し給はば、すずろならむ人にな賜ひそ。ここに仕ふ童、おほそらのかけろふ、うみの水の泡といふ、二人の童に賜へ。

出で立つ所は、科戸の原のかみの方に、天の川の邊近く、鵲の橋づめに侍り。そこに必ず贈らせ給へ。此等侍らずば、え罷りのぼるまじきなめり。世の中に物のあはれ知りたまふらむ人は、これらを求めて賜へ。猶、世を憂しと思ひ入りたるを、諸心にいそがし給へ。

かゝる文など人に見せさせ給ひそ。「福つけたりけるものかな」と見る人もぞ侍る。御返裏によ。ゆめゆめ。 

徒然に侍るまゝに、よしなし事ども書きつくるなり。聞く事のありしに、いかにいかにぞやおぼえしかば。風のおと、鳥のさへづり、蟲の音、浪のうち寄せし聲に、たゞそへ侍りしぞ。 

(文の現代語訳)
情けないことですが、命のあるかぎり食べ物がいりまする。妙高合子の信濃梨、斑鳩山の枝栗、三方の郡の若狹椎、天の橋立の丹後和布、出雲の浦の甘海苔、みのはしのかもまがり、若江の郡の河内蕪、野洲・栗太の近江餅、小松・かぶとの伊賀乾瓜、掛田が峯の松の実、道の奥の島のうべあけび、と山の柑子橘、なんでも結構です。これらがなければ、やもめの邊の熬豆などのようなものをめぐんでくだされ。

いやはや、入用なものが多すぎますな。全部とはいいません、せめて、足鍋一つ、長筵一つ、盥一つは是非欲しい。もし貸してくださるなら、いい加減な人には渡さず、ここで私に仕えている「おおそらのかけろう」と「海の水の泡」という二人の童にお渡しくだされ。

出立するところは、科戸の原の上のほうで、天の川のほとりに近く、カササギの橋のたもとです。そこあてに必ずお贈りくだされ。これらのものがないと、空に上っていくことができないでしょう。世の中で物のあわれを知っておられるかたなら、是非捜し求めて贈ってくだされ。もう、世の中が嫌になりましたので、私の心を汲んで、急いでくだされ。

こんな手紙を、他人に見せないでくだされ。「欲張りだなあ」と思ってみる人だっています。お返事は裏面の住所宛に下され、ゆめゆめ他言なさらぬように。

実は、つれづれにまかせてこんなよしなし事を書いたのです。これと似たようなことを聞いて、なんとまあ、と思ったことがあったので、風の音や、鳥のさえずりや、虫の音や、波の打ち寄せる音にことよせて、その思いを込めた文を付け加えただけなのです。

(解説と鑑賞)
つづいて、食べ物のうち各地の名物といえるようなものが列挙された後、これらの全部とは言わないまでも、せめて鍋、筵、盥をひとつづつ工面して欲しいとねだっている。意外とつつましい要求に落ち着くわけである。

最後にどんでんがえしがきて、この手紙を書いたのは、実は僧侶などではなく、この話の作者である自分なのだということが明らかにされる。この作者が、つれづれを慰めるために創作した「よしなし事」なのだというわけである。









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