イタリア紀行その十七:カラカラ浴場、チルコ・マッシモ

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(カラカラ浴場)

十月一日(木)夜来雨なり。ネットにて天気予報を見れば日中には晴るべしとある故出発までの間カラカラ浴場を訪ふこととす。外に出んとするにホテルの玄関先に二人の男佇みて傘を売りをりたり。また地下鉄カストロ・プレトーリオ駅にも傘を売る者の姿を数人見る。雨が降るごとに傘を売らんとして出没するものの如し。

チルコ・マッシモ駅に下車す。地上に出てまづ目に入るはフォロ・ロマーノの一角セプティミウス・セヴェルスの浴場なり。カラカラ浴場はサン・グレゴリオ通りを挟んで反対側の方向へ数分歩みし所にあり。

ほぼ開門と同時に入場す。切符を買はんとして二十ユーロ紙幣を差し出しドゥーエ・ペルソーニと言ふに係員早口のイタリア語にてなにやらまくし立てたり。余その意を解せざればノン・カピスコ・イタリアーノと言ふに、あなたはジャポネーゼかと問ふ。然りと答ふるに彼日本語にて「おつりがナーイ、カードでハラって」と言ふ。余懐中よりカードを取り出して支払ひたり。

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(カラカラ浴場の壁)

カラカラ浴場は三世紀の初頭にカラカラ帝によって作られたり。今はその躯体部分のみ残存す。往年は壮大なる規模の公衆浴場として膨大な数のローマ市民を寛がしめたり。敷地一角にその当時の内部構造を示ししパネル設置してあり。それを見るに建物内部はかなり詳細に区分けされてあり。

ローマ時代の建築物は今日言ふところの壁構造によるものにて建物の本体を頑丈な壁を持って支ふるなり。壁はレンガと原始的コンクリートを以て製作せらる。コンクリートの成分は石灰石と砂及び砕石を混ぜたものと言ふ。今日の如き鉄骨は使用せず。

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(カラカラ浴場内の松)

構内には巨大な松の木あちこちに立ちてあり。松はローマ周辺によく見らるる由。日本の松に比すれば幹も葉も重厚なり。

カラカラ浴場前の通りを南歩すればサン・セバスティアーノ門を経てアッピア街道に続く。古代より幹線道路として使はれたるものにてフェリーニの映画カビリアの夜の舞台ともなりしなり。この日は時間の余裕あらざれば赴かず。

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(歩道上の駐車光景)

ローマは駐車場不足と見え至るところ無秩序に駐車するさまを見るなれどここも又その例に漏れず。歩道を駐車場代はりにして停まりをるなり。

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(トラム)

ローマは路面電車(トラム)を多く運行す。地下鉄にて足りぬ分を地上の路面電車もてまかなはんがためなり。おほよそ二両編成なり。これはピラミデとヴァッレ・ジュリアを結ぶ幹線トラムの車両なり。

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(チルコ・マッシモ)

チルコ・マッシモとは巨大円形競技場と言ふ意味なり。円形といひても変則の楕円形にして長方形の両端を半円形にせるのみ。馬車を用ひての戦闘競技などを主に催せしと言ふ。先日コロセオより真実の口まで歩みしときには余り気にならざりしが、改めて見れば競技場の面影残りをるなり。

チルコ・マッシモ駅より地下鉄に乗りカストロ・プレトーリオ駅に下車、傘を売るものいまだ立ち去らずしてあり。十時過ホテルに戻る。






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