キッド( The Kid ):チャーリー・チャップリン

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キッド( The Kid )は、チャップリン( Charlie Chaplin )の最初の長編映画である。長編と言っても、一時間ちょっとの長さだが、一応ストーリーはしっかりしているし、テーマも明確だ。母親に捨てられた少年が、貧しい男に拾われ、スラム街の一角で逞しく成長していく物語なのだが、その少年の姿というのがチャップリンの幼い頃の姿と重なりあうと同時に、少年を育てる気の優しい男もまた、チャップリンの分身と言うべきメンタリティを持っている。色々な面で、チャップリンが自分自身を語った映画と言える。

「彼女の罪は母であることだった」という字幕と同時に一人の若い女が赤ん坊を抱いて現れる。彼女にはその赤ん坊を育てる能力がないことが、すぐに画面から伝わって来る。案の定、女は赤ん坊を金持の自動車の中に置き去りにする。するとその車を盗んだ泥棒たちが赤ん坊をスラム街の一角に捨てて行く。そこを一人の男が通りかかる。それがチャップリンなのであった。チャップリンは、子供の処置に困ったが、結局自分のぼろアパートに連れていって育てる決心をする。やかんを哺乳瓶代わりにし、ぼろシャツを裂いておむつを作りながら。

こうして五年が経った。赤ん坊は可愛い男の子に成長した。チャップリンはその子を自分の商売のパートナーにしている。彼の商売はガラス修理屋だ。仕事を作るために子どもが民家のガラス窓に石をぶつけて割る、そこへ商売道具を背負ったチャップリンが現れて修理する、というわけなのだ。

二人が住んでいるのは小汚いスラム街の一角だ。そのスラム街の中で、少年はいろいろな人にもまれながら逞しく育っていく。時には悪童と喧嘩もする。そうした少年の姿には、チャップリンがロンドンのスラム街で育った頃の思い出が再現されている、と言われる。

一方、少年の母親は今や歌手として大スターになっている。豊かになった彼女は、五年前に捨てた我が子のことが気になっている。そんな彼女が偶然チャップリンらの暮らしているスラム街を通りがかる。そこで母親は、かつて捨てた我が子と出会うのだが、お互いに母子だとは気付かない。だが、やがて二人は運命の糸によって結ばれるだろう。

少年が病気になる。往診にやってきた医者は、こんな不衛生なところで子供を育てるべきではないと言って去っていく。やがて児童福祉の役人たちがやって来て、少年を連れ去ろうとする。少年はチャップリンをパパだと思っているので、別れ別れになるのを嫌がる。チャップリンも少年に対して深い父性愛を感じている。そんなわけで、チャップリンは超人的な力を発揮して少年を取り戻すのだ。この辺が、この映画最大の見どころだろう。

少年を取り戻したチャップリンは、少年と共に木賃宿に宿泊する。ぼろアパートに戻れば、役人たちにまた連れ去られる恐れがあるからだ。しかし、寝ている間に、木賃宿の亭主が少年を連れ去ってしまう。新聞で出ていた懸賞付きの人探しの対象が、この少年に違いないと直感した亭主が、懸賞金目当てに少年を役人に引き渡してしまったのだ。

少年を奪われて呆然となったチャップリンは、ぼろアパートの玄関に腰を掛けながら夢を見る。その夢の中で、チャップリンは羽の生えた天使となって、少年の行方を追うのだ。やがて夢から覚めたチャップリンは、車に乗せられて一軒の瀟洒な家に連れて行かれる。そここそは、今や大スターとなった少年の母親が暮らしている家なのだ。少年もこの家の中にいるに違いない。

こんなわけで、他愛ないストーリーだが、一応ストーリーの体裁を整えているし、また、喜劇的な要素と並んでお涙頂戴の要素もふんだんに盛り込まれている。

また、ポイントごとに差し挟まれるカットがなかなか見せる。警察との追いかけっこ、子供の喧嘩を巡るチンピラとのやりとり、他人の女房への色目使い、そしてチャップリンが天使となって飛び回る場面など、それらがチャップリン特有の身体操作を通じて、祝祭的な雰囲気を醸し出している。







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