神社が墓地を経営する

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寺院と違って神社に墓地がないのは、神道が死者の穢れを嫌うからだという。その理由はかならずしもあきらかではないが、神道が遺骸を忌み嫌うことは、そもそも古代日本人の宗教意識を反映していたものらしい。日本人の間に火葬が普及したのは、そんな日本人の習性にも関係があるようだ。ところが近年になって、墓地の経営に乗り出す神社が現れてきたという。たとえば日光東照宮だ。朝日新聞の11月2日付朝刊の記事によれば、神社の聖域から離れたところに墓地を造成し、分譲に乗り出したそうだ。

この記事によれば、東照宮と同じようなことは、全国50ほどの神社で行われているという。最も古い例は50年ほど前に遡るというが、神社の長い歴史の上では、ごく最近のことと言ってよい。

これらの神社が墓地の経営に乗り出した背景には、経済的な問題があるらしい。大勢の氏子を抱えた神社の場合、これまでは氏子によって存立の基盤が支えられてきたが、氏子の減少にさらされている神社では、その経済基盤が揺るぎ始めている。まして、東照宮のように氏子を持たない神社の場合には、経済的な困難はいっそう深刻なようだ。

墓地を経営することによって、安定した収益が見込める一方、寺院と旦那との関係のような新たな結びつきも期待できる。そのことで神社の経営基盤が強化されると考えて墓地の経営に乗り出す神社が出て来たということらしい。

寺院の場合には、墓地の経営は、檀家に対する宗教的儀式の提供と一体となっている。死んだときの葬儀、その後の周期ごとの法事など、みな仏教の伝統に従った儀式だ。墓地を寺院に設ける人々は、単に縁者の埋葬場所を確保するだけでなく、こうした仏教的な儀式の提供を期待しているのだと思う。

神社の場合にも、墓地の確保と併せて神道的な儀式を期待する人がどれだけいるか。それによって神社墓地の普及の度合いも決まって来るだろう。そういうものを期待しない人にとっては、なにも神社に墓地を求める動機は見当たらないと思うから。





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