丸谷才一「女の救はれ」

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「日本文学は中国文学に長く師事して来た。何しろ文字それ自体だって中国のものを借用したのである。決定的な影響を受けたのは当たり前ですが、それにもかかはらず意外に真似をしてゐない局面がある。したたかに拒否して、個性を発揮している。この女人成仏もその一つなのでせう。」これは、丸谷才一の著作「女の救はれ」の一節であるが、丸谷はこう言うことで、日本文学の(中国文学と異なる)大きな特徴として、男女の恋を重んじる態度と並んで、女性の尊重ということをあげている。女人成仏の思想はその象徴的な事例だというのである。

この著作は、平家物語「灌頂の巻」に描かれた薄幸の后妃建礼門院徳子の最後の日々を読み解くことから始まっている。灌頂の巻は、平家物語の本文に対する後日談のような形で、建礼門院の出家と後白河上皇の大原御幸を経て、女院の臨終を描いているのであるが、これは丸谷によれば女人成仏の体裁になっているのだという。この巻は大原御幸のほうが重視されているが、実はクライマックスとしての女院の成仏、すなわち女人成仏が重要なテーマなのであって、後白河法皇による大原御幸はそれを導き出すための導線に過ぎない。と言うか、平家物語全体が、このクライマックスへ向けての助走として考えるべきだと言うのである。平家物語の本体及び灌頂の巻において、女院のあさましい生き方(女院本人はそれを畜生道と読んでいる)を描いた後、それとの対比において、女院の成仏すなわち女人成仏を劇的に描いたのだ、と丸谷は言うのである。

女人成仏という考え方は、中国文学には入り込む余地はない。それは、中国文学が男女の恋愛を排除しているのと同じ理屈によるのであった。その理屈というのは、女は本来劣った生物なのであって、したがって男がまともに相手にすべきものではない、したがって女との恋など文学で扱うべきではないし、ましてや女が成仏するなどとは、馬鹿げた妄想に過ぎない、ということになる。

ところが日本人は、そうは考えなかった。日本人は男と女の間の恋を熱心に描いたばかりではなく、女の成仏ということも文学の題材として取り上げてきた。男女の恋については本居宣長によるすぐれた考証があるが、女人成仏については、平家物語がその最もよい見本を示している、そう丸谷は考えるのである。もっとも最近の日本人の中にはそうは考えない者も出てきたが、それは彼等が日本人の伝統を忘れた証拠なのである、そう言って丸谷は、平家物語灌頂の巻における、女人成仏にかかわりの深い部分を捨象して、これをただの臨終の話に歪曲化した国文学者を非難するのである。

平家物語のほかにも、女人成仏をテーマにした偉大な文学がある、と丸谷は言う。たとえば曽我物語と源氏物語。曽我物語は、徳川時代には最も人気のあった話だ。曽我兄弟による親の仇討を描いたものとされるが、実はそれと並んで大磯の虎と手越の少将という二人の女人の成仏が大きなテーマになっている。また、源氏物語のラストシーンは、浮船が入水したあと横川の僧都に助けられ、そこに薫の使者が訪ねて行くということになっている。だが浮船は頑なに使者に会おうとしない。その報告を受けた薫が、どういうわけなのかいぶかるところで源氏物語全五十四畳が終了するのであるが、これは大長編小説の終わり方としては、あまりにもそっけない。そこでこれをどう解釈したらよいか、さまざまな議論が巻き起こったのであるが、丸谷はこれを、浮船がそれまでの未練をすべて断ち切って成仏することに全霊を打ち込んでいるのだと解釈する。そう解釈すれば、大長編小説の終わり方として不自然ではなくなる。つまりこの小説は、男と女の愛のやり取りを延々と描いてきた挙句、最後は女の救済、すなわち女人成仏を希求することで終わっている、と丸谷は言うのである。

日本人は何故、女と男の恋のやりとりとか女の成仏について、かくもこだわって来たのか。この当然の疑問に対して丸谷は、それを古代日本における母系制社会の残滓だと考える。母系制社会は、日本だけでなく世界中の原始社会に広く認められ、無論中国にも存在したと思われるのだが、ほかの文明では早い時期に消滅したのに対して、日本の場合には源氏物語が書かれた時代まで、まだ残っていた。妻訪婚はその現れであって、これは母系制の家族のあり方を前提にしたものなのだ、と丸谷は言う。母系制というのは、母から娘へと相続がなされる文化である。したがって男である息子は家を出て、ほかに拠点を設けないと生きていけない。そこで年頃になった男は、夜な夜な自分の家を出て女を捜し求めまわり、気に入った女がいればその女の家で夜を過ごす。これがすなわち妻訪婚の典型的なかたちであるわけだが、こうした形が生じるのは、女から女への相続を中核とした母系制社会の存在があったからである(スサノオの放浪は、妻を求めて歩き回るという点で、妻訪婚の古代的な典型である)。

こんな具合に、丸谷の日本文学論は、日本文学の背景をなす日本文化の起源を母系制社会に求めることに集約される。そして一旦この視点を確立した上は、日本文学の歴史全体がその視点から整除されなおされる。現代文学もその例外ではない。たとえば谷崎潤一郎の細雪。あれは、ありふれた家族小説のように思われがちだが、じつはそのバックボーンとして女性中心の母系社会的発想が働いている、と丸谷は解釈するのである。そう言われてみれば、谷崎の女人崇拝の傾向と言い、母への異常な固着と言い、原始時代における日本人の心性をひきずっているようにも見える。

こんなわけで丸谷は、日本文学と中国文学とを最もあざやかに区別するものは日本人の女性尊重の姿勢にあるとして、つぎのように言うのである。

「わたしは、われわれの祖先がかういふ隣国に師事しつづけながら、『日の本は天の岩戸の昔から女ならでは夜の明けぬ国』などと呑気なことを言って、国の個性を守り続けたのは見上げた態度だったと思ふ」







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