2015年12月アーカイブ

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「竹梅双鶴図」は、二本の竹と花をつけた梅を背景に二羽の鶴を描いたものである。鶴は頭頂が赤いところから丹頂鶴とわかる。丹頂鶴は雌雄同系同色なので、どちらがオスでどちらがメスか、この絵からはわからない。おそらく首を下に向けているほうがオスで、その背後から首を伸ばしているのがメスではあるまいか。

日本人とエピステーメー

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フーコーの「言葉と物」を読んで、いささかでも首肯したところのある日本人読者なら、フーコーの言うような「エピステーメー」が、日本にも存在し、かつ今でも存在しているのか、反省してみたくなるだろう。そこでまずとりかかるべきは、今現在の日本人にはそもそも、世界認識とか知の構成を規定しているエピステーメーは存在するのかということであろう。

祇王:平家物語巻第一

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(平家物語絵巻から 祇王)

権力の絶頂に上り詰めた清盛は、ますます傲慢になってゆく。そんな清盛の傲慢さを描く一方、その傲慢さに翻弄される白拍子たちの、怨念を超えた友情を育むさまを描いたのが、巻第一第六章の「祇王」である。平家物語の中でも、最も演劇的な部分の一つである。

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ハンフリー・ボガート( Humphrey Bogart )とイングリッド・バーグマン( Ingrid Bergman )が競演した映画「カサブランカ( Casablanca )」は、映画史上最高のラブ・ロマンスとの評価が高い。単にラブ・ロマンスの傑作と言うにとどまらず、オーソン・ウェルズの社会派映画「市民ケーン」、アルフレッド・ヒッチコックのサスペンス映画「めまい」と並んで、映画史上の三大傑作とも言われる。

日韓両政府が慰安婦問題で合意

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日韓間で政治問題化していた従軍慰安婦問題について、日韓両政府が合意した。合意内容の柱は、
・慰安婦問題は旧日本軍の関与の下、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題。日本政府は責任を痛感
・安倍晋三首相はすべての元慰安婦の女性に心からおわびと反省を表明
・日本は韓国が元慰安婦の支援を目的に設立する財団に10億円を拠出し、協力して事業を行う(以上「朝日」による解説から)
などというものだ。

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「雪芦鴛鴦図」は、動植綵絵の「雪中鴛鴦図」とよく似ている。背景に雪のまとわりついた植物(片方は柳の枝、こちらは芦)を配し、メーンテーマには一対の鴛鴦を描いている。しかも鴛鴦は、相互の位置関係を除いては、両図とも殆ど同じ形をしている。

女と滑稽:ゴヤの版画「妄」

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(女の妄)

数人の女たちが毛布を引っ張り合い、その上に藁人形を乗せて、トランポリンのように跳躍させている。よく見ると、毛布には一匹のロバが横たわっているが、それが本物のロバなのか、それともロバの模様なのか、はっきりとはわからない。

井上ひさし「宮沢賢治に聞く」

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井上ひさしの「宮沢賢治に聞く」は、題名にあるとおり宮沢賢治本人を登場させて自分自身について語らせたり、あるいはそれに石川啄木を加えて互いのことを語らせたりした後、井上の友人たちによる賢治論とか、井上自身による賢治の伝記的エピソードのようなものを語っている。そのどれもが、賢治の作品ではなく、賢治の生き方に焦点を当てている。というのも、このユニークな賢治論には、井上なりの特別の意図が隠されているのである。

禿髪:平家物語巻第一

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平家物語巻第一第四章「禿髪」は、清盛の絶大な権力を支えていた秘密警察のようなものについて語る。禿髪とは少年の髪型のことをいうが、そのような髪型で統一した警察部隊に都を巡回させ、平家に批判的な言動をするものを悉く弾圧した。平家の権力が磐石だったのは、こうした警察権力が機能して、対立勢力が成長しなかったからだ。

終の信託:周防正行

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周防正行の映画「終の信託」は、いわゆる尊厳死あるいは安楽死をテーマにした作品である。原作となった朔立木の同名の小説は、2002年に問題化した川崎共同病院事件を取り上げている。この事件は、重症の喘息患者から安楽死を懇願された医師が患者の意向に従って安楽死させたところ、殺人罪に問われたというものである。裁判の結果医師の有罪が確定したが(2009年12月)、何を以て尊厳死あるいは安楽死となし、何を以て殺人となすべきなのか、その境界についての社会的な合意が深まったとは、必ずしも言えなかった。周防は、そういう状況を踏まえ、尊厳死あるいは安楽死についての社会的な議論を深めたいと言う気持を込めてこの映画を作ったようである。

歴史的時代としての近代日本

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我々日本人は、自国の歴史について独特の時代区分の様式を持っている。小学校の高学年になると教えられることだが、古代から近代までの自国の歴史を、奈良時代以降、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土・桃山時代、江戸時代という具合に区分する。これは権力の所在地に従った言い方である。たとえば平安時代には平安京に権力の中心たる宮廷があり、江戸時代には江戸に権力の中心たる幕府があったということを含意している。

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「紫陽花双鶏図」は、動植綵絵の「紫陽花双鶏図」と構図がよく似ており、雄鶏は羽の色が異なるほかは全く同じ形をしている。雌鳥のほうは、違う形で描いており、この絵のなかのものは、雄鶏のほうへ向かって後ろ向きに顔を曲げている。また、雄鶏の鶏冠は、動植綵絵においては赤く塗りつぶされておるのに対して、こちらのは、小さな点で埋め尽くされている。

妄( Los Disparates ):ゴヤの版画

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今日「妄( Los Disparates )」という名で呼ばれる版画群は、ゴヤの晩年、おそらく「黒い絵」の製作と同じ時期(1819-1823)に作られたものと考えられている。主題はともかく、その雰囲気に共通性があるからである。すなわち、老い、死の苦しみ、迷信のむなしさ、悪の凶暴さといったテーマが、ここでも強調されている。これは、フェルダンド七世の王政復古がもたらした時代の閉塞性への絶望と、ゴヤ自身の老いと死の予感が、しからしめたのだと考えられる。

大岡昇平「レイテ戦記」

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大岡昇平は、「レイテ戦記」単行本あとがきの中で、この本を書こうと思い立ったのは昭和28年だったと言っている。大岡はその前に、「俘虜記」(昭和24年)と「野火」(昭和27年)を書いている。それらは、大岡自身の俘虜体験及びレイテ島における遊兵(あるいは敗残兵)の生き様を描いたもので、フィリピンにおける戦争を、いわば微視的に描いたものだった。それに対して「レイテ戦記」は、最終的に出来上がったものを見ると、レイテ戦についての包括的なクロニクルになっている。大岡は、自らも体験したフィリピン戦線での、日本兵たちの過酷な体験に巨視的な目をむけ、その体験とその意味とを、包括的・全体的に捉えようとしたのだと考えられる。

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「旭日雄鶏図」は、真紅の旭日に向かって、松の枝の上に止まった雄鶏が見上げているところを描く。構図としては単純だが、雄鶏の描き方は、毛の一本にいたるまで、実に丁寧だ。こうした鶏の描き方は、動植綵絵における初期の鶏の描き方に通じるところがある。

人間の終焉

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フーコーは、「言葉と物」の末尾を人間の消滅に関する予言の言葉で結んでいる。「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明に過ぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ・・・賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと」(「言葉と物」第10章末尾、渡辺・佐々木訳)

鱸:平家物語巻第一

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平家物語巻第一第三章「鱸」は、忠盛から清盛に至って平家が貴族として磐石の基盤を築いてゆくさまを語る。前半部分では、忠盛が貴族としての地位を確立するさまを、後半部分では忠盛の死後平家を継いだ清盛が、保元、平治の乱の勲功を経て宰相にのし上がるさまを語る。

それでもボクはやってない:周防正行

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周防正行の映画「それでもボクはやってない」は、冤罪をテーマにした作品である。「シコふんじゃった」と「Shall we ダンス?」でエンターテイメント系の映画作家として人気のあった周防が、一転して日本の司法システムの人権軽視体質を批判した社会派の作品を作ったわけだが、テーマが重い割には、人々の関心を引き、映画はヒットした。恐らく周防と同じような問題意識を持つ人々が多かったと言うことだろう。冤罪の中でも痴漢をめぐるものは、男なら誰でも巻き込まれる恐れがあるわけで、その恐怖心の表れというか、一時、電車に乗るときには両手を上に持ち上げて乗ろうというジョークめいた合言葉が流行ったくらいだった。

葡萄図:若冲プライス・コレクション

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若冲は、葡萄をテーマにした絵を、障壁画を含めて何点か描いている。葡萄は繁殖力が旺盛なことから、縁起がよいとされ、襖絵や掛軸には相応しいとされたようである。この絵も、そんな葡萄のおめでたいイメージを表したものだろう。

闘牛士の死:ゴヤの版画

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(マドリード闘牛場におけるペペ・イーリョの悲劇的な最後)

闘牛は非常に危険な競技であるから、時には闘牛士が死ぬこともあった。とりわけ、1801年5月11日に、マドリードの闘牛場でペペ・イーリョが牡牛の攻撃で死んだことは、大きな反響を沸き起こしたという。その場面は、ゴヤも現場で目撃しており、その折の鮮明な記憶をもとに、当版画集のために三点の絵を制作した。これはそのうちの一枚。三枚のうち、この版画集の初版に採用されたのはこれだけである。ゴヤは、この絵を33点の最後に位置づけたのである。

内田樹と高橋源一郎の対談集「ぼくたち日本の味方です」に収められた対談がなされたのは、2010年11月から2012年2月にかけてだから、丁度民主党政権の時代に重なっている。この対談は政治色の強い雑誌「SIGHT」のためになされており、また、内田も高橋も日頃から政治的な発言にコミットしているので、勢い政治的なメッセージが強い対談なのだが、政権に対してあまり批判的でないのは、民主党が政権を担当していたからか。この期間は3・11を挟み、日本の政治の問題点が露呈したこともあったわけだが、両人はそれを、民主党の問題というよりも、日本政治全体が劣化していることの現れと捉えている。要するに、民主党には甘いのである。

殿上闇討:平家物語巻第一

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(平家物語絵巻から 殿上闇討)

冒頭に続いて、忠盛が平家一門興隆の基礎を築いてゆくさまが語られる。その最初のきっかけは、忠盛が三十三間堂を造営して鳥羽上皇に寄進したことで、昇殿を許される身になったことである。ところが忠盛の出世を喜ばない貴族たちが、忠盛の暗殺をたくらむ。「殿上闇討」の章は、そうした貴族たちの企みに忠盛がいかに対応したかについて語る。

Shall we ダンス?:周防正行

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周防正行の映画「Shall we ダンス?」は、前作の「シコふんじゃった」との間で色々な共通点がある。まず、相撲と社交ダンスという違いはあるが両者とも競技をテーマにしていること。しかもその競技を通じて登場人物たちが友情で結ばれていくと共に人間的にも成長していく過程を描いていること。また、両者とも競技についての観客の認識を改める効果を発揮していること。そのため「シコふんじゃった」は相撲人気を高める効果をもたらしたし、「Shall we ダンス?」はそうした効果を超えてダンスブームのようなものまでもたらした。かく言う筆者も、この映画に触発されて社交ダンスを始めようと思った一人だ。

帝国の慰安婦

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韓国の官憲が「帝国の慰安婦」の著者朴裕河女史を在宅起訴した。起訴理由は、この本が元慰安婦たちの名誉を著しく毀損したということである。九人のもと慰安婦のおばあさんたちも、名誉を傷つけられたと主張している。これに対して、朴裕河女史を支援する人々は、この本は慰安婦の名誉を傷つけてなどはおらず、むしろ慰安婦に深い同情を表明していると反論すると共に、これを権力による言論の弾圧だとして、官憲を厳しく批判している。

虎図:若冲プライス・コレクション

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「虎図」は、署名と並んで「宝暦五年乙亥首夏」との記載があることから、家業を弟に譲って画業に専念し始めた年の作である。また「我画物象非真不図、国無猛虎倣毛益摸」とあることから、南宋の画家毛益の作を模倣したと若冲本人は主張しているのがわかるが、実際に若冲が模倣した原画は、正伝寺所蔵の李公麟筆「猛虎図」であるとされる。

華麗な技:ゴヤの版画

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(マドリード闘牛場でファニート・アピニャーニが見せた敏捷さと大胆さ)

版画集「闘牛技」の中核を占めるのは、闘牛士の勇気とそれが演出する華麗な技を描いた作品群である。こうした技の数々を描くときのゴヤは、心からそれを楽しんでいたに違いない。というのも、ゴヤはこれらの絵を、記憶をもとに再現したと思われるのだが、その記憶が鮮明であり続けたというのは、そこに大いなる感動と愉悦の感情がこもっていたと考えさせるからだ。

森岡孝二「雇用身分社会」

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表題の「雇用身分社会」という言葉は著者の造語である。この言葉で著者が強調しているのは、派遣や契約社員、パート労働者といったいわゆる非正規雇用が雇用全体の四割に達し、その層に貧困が広がってゆく中で、格差社会が深刻化しているという問題意識である。雇用の形態は本来身分とは異なる概念であるはずだが、一人の人間がいったん非正規雇用の状態に置かれると一生そのステータスから逃れられなくなるばかりか、その人の貧困が子供にまで受け継がれてしまう。これはもはや雇用の多様化などといった言葉で合理化できる事態ではない。雇用の形態が身分に転化している状態であり、そんな状態が蔓延している今の日本は「雇用身分社会」というべきだ、と著者は考えるのである。

夫婦同姓と女性の再婚禁止期間について定めた民法の規定について、その合憲性をめぐる最高裁の判決があった。夫婦同姓については、民法の規定は合憲だとする一方、女性の再婚禁止期間については100日を超える部分については違憲だとの内容だ。

紅葉小禽図:若冲動植綵絵

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紅く色づいたかえでのもみじを背景に、一対の小禽を描く。植物のほうが前景に出ていることは、菊花流水図と同じだ。面白いのは、モミジの葉の一枚一枚が、濃淡の差をともないながらも、ほぼ同じ形に描かれていることだ。かえでの三本の枝も、大きさの違いはありながらも、全く同じ方向をむいている。そんなわけで、この絵には反復があふれていると言ってもよい。

フーコーは「言葉と物」に「人間諸科学の考古学」という副題をつけた。人間諸科学と言うのは、西欧近代のエピステーメーが生み出した諸学問のことであり、言語学、生物学、経済学を中核として、その隙間に心理学とか社会学、文化人類学とかいった学問が成立している。

沖縄いじめをこととする沖縄担当大臣

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沖縄振興を担当する某女性大臣が、沖縄の振興予算を削るかの発言をしたそうだ。安倍政権の辺野古基地強行建設に反対している翁長知事への牽制だろうとする見方がなされている。不可解なのは、どのメディアもこの発言をそのまま垂れ流すだけで、それを批判する論調が見当たらぬことだ。あたかも、この大臣の言っていることは安倍政権の本音なのであり、今更この大臣の言葉をあげつらっても始まらない、と考えているかのような雰囲気が伝わって来る。

祇園精舎:平家物語巻第一

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(平家納経から)

~祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

シコふんじゃった:周防正行

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周防正行の映画「シコふんじゃった」は、いわゆるスポーツ根性ものの傑作である。このジャンルの作品は、テレビドラマを含めると、それこそ星の数ほど作られた。日本人の好みにあっているのだろう。この作品は、スポーツの中でも相撲という、伝統はあるがどちらかと言うとマイナーな競技にスポットライトをあててストーリーを組み立てたのが新鮮に映った。若くてイケメンな男子たちが、余り格好の良くない競技のために、青春を燃やし尽くして踏ん張る姿、それがユーモアとアイロニーを生みだし、何とも言えない雰囲気を醸し出す、そう言う感じの作品である。

フランスの地域圏議会選挙の第二回目の投票が行われた。欧米メディアの大勢はこれをFNの敗北と伝えている。FNは第一回目の投票では最多の票を集めた。第二回目の投票でもその勢いは陰らず、いくつかの地域圏では第一党になって、その地域圏を支配するようになるのではないか、との憶測が流れていた。そんな中で、FNはいづこにおいても最多数を制することができなかった。それが大方のメディアには敗北と映ったわけだ。

菊花流水図:若冲動植綵絵

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「菊花流水図」は、流水を背景にして咲き誇る菊の花を描いている。白やピンク、紅の菊の花が、空中を漂っているような感じで描かれ、菊の花弁の合間や岩の上に数羽の小鳥が遊んでいる。このように、植物を大きく描き、禽獣を添え物のように描くのは、動植綵絵シリーズの最終局面に近い頃の作風と言えよう。

無謀な技:ゴヤの版画

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(サラゴーサ闘牛場でのマルティンチョの無謀な技)

ゴヤは、闘牛技をさまざまな角度から描き出した。それらに共通するのは、闘牛士の勇敢さと彼の技の華麗さの強調だ。そうした勇敢さや華麗さは、ときには無謀さにつながるわけだが、その無謀さは、闘牛の醍醐味をいっそう高める働きをする。そんなわけでゴヤは、無謀をテーマにした絵も、何点か制作している。

保坂正康「昭和史のかたち」

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保坂正康は、昭和史を主なフィールドとするノンフィクション作家として知られる。この本はそうした立場から保坂なりの昭和史観をまとめたものと言えるのだろうが、そこには今の時代への保坂なりの危機感も働いているようである。その危機感を保坂は、「戦後七十年の節目に、無自覚な指導者により戦後民主主義体制の骨組みが崩れようとしている」と表現しているが、こうした動きはとりもなおさず、過去を真剣に反省せず、自分の都合の良いように再解釈する歴史修正主義に駆動されているという問題意識に立って、一人ひとりの国民に、昭和史を改めて考えて欲しい、という気持ちが保坂に強く働いたのであろうということを感じさせる。

方丈記(十六)

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抑一期の月かげ傾きて、餘算の山の端に近し。たちまちに三途のやみに向はんとす。何の業をかかこたむとする。佛の教へ給ふ趣は、事にふれて執心なかれとなり。今草庵を愛するも、閑寂に着するも、障りなるべし。いかゞ要なき楽しみを述べて、あたら時を過さむ。

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チャップリンの映画「ライムライト(Limelight)」は、ミュージカル・コメディともいうべき作品だ。パントマイムを身上とするチャップリンは、映画に台詞を挟むことは無用だと考え続けていたようだが、音楽の効用は認めていた。「黄金狂時代」を初めとして、多くのトーキー作品を再編集した際、音楽を活用することで、映画に新たな命を吹き込んだのは、そのしるしだ。しかも、彼自身に音楽の才能があったので、音楽のプロデュースを自らこなした。「ライムライト」は、チャップリンのこうした音楽への嗜好が反映された作品である。彼はこの映画を通じて、自分なりのミュージカルを作りたかったのだろう。

芦鵞図:若冲動植綵絵

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「芦鵞図」は、水辺の芦を背景にして一羽の白い鵞鳥を描いたものである。この作品の著しい特徴は、背景をほとんど墨で描いていることだ。水墨と絵の具で描くと言うのは、中国絵画の伝統を取り入れたのであろう。

闘牛する英雄たち:ゴヤの版画

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(カルロス五世バリャドリード闘牛場で槍で牡牛を突く)

スペインでは、闘牛は職業的な闘牛士のみではなく、騎士たちによっても行われた。モラティンの前述の書は、そうした騎士たちや英雄による闘牛について記している。ゴヤは、そうした記述に依拠しながら、何点かの図柄を製作した。

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チャップリンの映画「殺人狂時代(Monsieur Verdoux)」は、いわゆるチャップリンらしさを大きくはみ出した作品だ。それまでのチャップリン映画の基本的な要素である、あの放浪者のイメージに代わって、いささか滑稽さは伴っているとはいえ、シリアスな人物が主人公だし、その行動は、善良だが常識を逸脱した、いわば愛すべき行動ではなく、憎むべき犯罪だ。というのもこの映画の中でチャップリンが演じたのは、女たらしの結婚詐欺師であり、金のために次々と女を騙しては、都合が悪くなると殺してしまうという、身の毛もよだつような殺人者なのである。主人公自らが自分の死後に回想して言っているように、彼は20世紀の青髭なのだ。

中国で拷問が深く定着:国連委が警告

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中国で拷問が深く定着している、そう指摘するのは国連の「人権条約に基づく拷問禁止委員会(Committee Against Torture)」だ。同委員会は、中国に対して、横行する拷問を直ちにやめるとともに、弁護士や活動家に対する弾圧の不当性や、拷問した者の説明責任についても警告した。

群魚図(鯛):若冲動植綵絵

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「群魚図(鯛)」は前出の「群魚図(蛸)」と一対をなすものである。明治五年の京都博覧会に陳列されたときのチラシには、一対のものとして「魚尽くし」と命名されていた。二点のうちのこちらは鯛をもっとも大きく描いているところから、便宜上「群魚図(鯛)」とした。若冲が命名したわけではない。

古典主義時代のエピステーメーが、同一性と差異を知の構成原理として、表象の分析から巨大な表の空間を作り上げたことについては前述したとおりだ。では、この表の空間を埋めたものは、具体的には何なのか。フーコーはそれを、一般文法・博物学・富の分析だとする。つまりこれらが古典主義時代における知の形態を代表したと見るわけである。なぜこれらが古典主義時代における知の形態を代表するのか、フーコーは明示的には語っていない。ただそれらが人間の知的活動の基本的なもの、すなわち語ること、分類すること、交換することに対応すると言っているのみだ。これらはそれぞれ現代の学問としての言語学、生物学、経済学に対応する領域をカバーするものだが、フーコーは古典主義時代のエピステーメーと近代のエピステーメーとの間に連続性を認めていないので、言語学以下近代の諸学問と一般文法以下古典主義時代の諸学問とは、断絶した問題意識のうえに立っているとしている。ともあれ、「言葉と物」の第四章以下の三章は、古典主義時代の諸学問についての記述となっている。その題名にはそれぞれ、上述した三つの学問分野がカバーしている人間の知的活動、すなわち、語ること、分類すること、交換すること、をそのまま採用している。

方丈記(十五)

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夫、三界は只心一つなり。心若しやすからずば、牛馬、七珍もよしなく、宮殿、樓閣も望みなし。今さびしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝ、身の乞食となれる事を恥ずといへども、帰りてこゝに居る時は、他の俗塵に馳することをあはれむ。若し人このいへる事を疑はゞ、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林を願ふ。鳥にあらざれば其の心をしらず。閑居の氣味もまた同じ。住まずして誰かさとらむ。

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チャップリンの映画「独裁者(The Great Dictator)」は、ヒトラーの独裁専制を痛烈に批判したものとして、映画史上特筆すべき作品である。チャップリンがこの映画を公開した1940年は、第二次世界大戦が勃発してまもなくのことだったが、アメリカはまだ参戦しておらず、ドイツに対するアメリカの世論には複雑なものがあった。そういう状況の中でチャップリンは、ヒトラーの専制政治が民主主義に対する脅威であるばかりか、ユダヤ人への迫害を通じて人間性そのものをも蹂躙していると訴えた。チャップリンの映画の大きな要素であった政治的な視点が、この映画では最大限に発揮されているといえよう。

仏地域圏議会選挙で極右政党 FN が大躍進

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フランスの地方選挙である地域圏議会選挙で、極右政党のFN(国民戦線)が大躍進したことが話題になっている。総得票数で比較すると、FNが28パーセント、サルコジの率いる共和党が27パーセント、オランド与党の社会党が23パーセントと、第一位である。フランスの地方選も国政選挙同様、一回目の投票で過半数を占めた政党が無い場合には、再選挙することとなっており、今回の選挙結果で議席数が確定するわけではないが、FNは第二回目でも躍進すると見られているので、FNが地方圏を制するケースが出現する可能性が高い。

群魚図(蛸):若冲動植綵絵

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「群魚図(蛸)」は、海の中を泳ぐさまざまな生き物を描いている。蛸を中心に、その種類は十六通り。すべての生き物が左斜め下のほうへ向かって泳いでいる。このようにすべての対象を同じテーマで統一するところは、若冲の大きな特徴の一つだ。

モーロ人と闘牛:ゴヤの版画

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(昔のスペイン人が馬に乗って野原で牡牛を狩りする方法)

版画集「闘牛技」の最初の数枚は、モラティンの著作「スペインにおける闘牛の起源と発展に関する歴史的解説」を踏まえている。モラティンによれば、スペインで闘牛をスポーツとして始めたのはモーロ人、つまりイスラム教徒だった。モーロ人たちは、馬に乗って牡牛を狩りとり、競技用にしていたということらしい。

赤坂真理「東京プリズン」

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赤坂真理の小説「東京プリズン」は、赤坂本人が16歳の少女として体験したアメリカでの生活を、40台半ばの女性としての視点から見つめなおしたというような体裁になっている。とは言え、視点は一様ではない。16歳の少女としての視点から未来の自分を見つめているところもあって、時空をまたいでいるようなところもある。そこから独特のシュールな感じが醸し出される。そのあたりは、日本人の書いた小説としては、過去に例を見ない斬新さと言えよう。

方丈記(十四)

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夫、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、懇ろなるを先とす。必ずしも情あるとすなほなるとをば不愛。只絲竹、花月を友とせむにはしかじ。人の奴たるものは、賞罰のはなはだしく、恩顧厚きを先とす。更にはぐくみあはれむと、やすくしずかなるをば願はず、只わが身を奴婢とするにはしかず。いかが奴婢とするならば、若しなすべきことあれば、すなはちおのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人を従へ、人をかへりみるよりはやすし。若し歩くべき事あれば、みづから歩む。苦しといへども、馬鞍、牛車と心を悩ますにはしかず。

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チャップリンの映画「モダン・タイムズ(Modern Times)」は、20世紀の機械文明を批判した作品として映画史上屈指の名作に数えられる。人間の文明とは人間の生活を豊かにするはずのものなのに、20世紀の機械文明は、人間が機械を使うのではなく、人間が機械に使われると言う皮肉な現象を生むことによって、かえって人間の生活を惨めなものにしつつある。そんなメッセージがこの映画には含まれている。

21世紀の十字軍:欧米のシリア爆撃

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欧米の主要国が揃い踏みしてシリアの爆撃に血眼を上げている。名目はISを地上から消滅させることだ。ISはいまや世界全体にとっての深刻な危険となっている。いまのうちに殲滅しておかないと、世界は深刻に後悔する羽目になるだろう、と言う理屈だ。

老松白鳳図:若冲動植綵絵

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「老松白鳳図」は、松の木の枝に片足で止まり、大きく羽を広げた鳳凰を描いている。画面右上には旭日の一部がある点で、老松白鶏図と同じ構図だが、鶏のうちの一羽が旭日を見上げているのに対して、この鳳凰は旭日を見ていない。鳳凰の描き方は、尾羽の部分を除き、旭日鳳凰図のそれとほとんど同じである。ただ、こちらは全身が白いことが違っている。

闘牛技( La Tauromaquia ):ゴヤの版画

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ゴヤの版画集「闘牛技( La Tauromaquia )」は、1816年に刊行された。そのときの体裁は、33点からなるセットであったが、もともとは44点作られた。そのうち、ゴヤ自身が33点に絞ったのである。その44点の全体像については、ためし刷りが残されている。ゴヤの死後、1876年に、フランス人によって新版が出されたが、それは7点を追加して40点からなっていた。残りの4点については、原版が永久に失われてしまったらしい。

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「街の灯( City Lights )」は、チャーリー・チャップリンのコメディ・ロマンスの傑作である。チャップリンの映画には、放浪者の淡い恋をテーマにした一連の系列があるが、この映画はその代表として、チャップリン自身の代表作であるにとどまらず、映画史上でも傑作との評価が高い。「コメディ・ロマンス」という言葉は、チャップリンがこの映画のために考案したものだが、同じ系列のほかの作品にも当てはまる。また、この映画には「パントマイム劇」という表現も用いられているが、チャップリンの表情豊かな動作は、まさにパントマイムの伝統を引くものだといえる。

自分の気に入らない人間や、違う価値観をもって行動する人間を、「キチガイ野郎」とか「狂気に囚われている」とか思うことは、誰にでもある傾向だ。米国防総省の役人たちもその例に漏れないようだ。このたび、プーチンには「アスペルガー症候群(高機能自閉症)」があると結論付けた2008年の研究報告を発表した。この報告書の中で米国防総省は、プーチンが罹っている病気は、あらゆる決定に影響を及ぼす自閉症障害だとしたうえで、プーチンは、「危機的状況が起きた際、自分自身を落ち着かせ、また事態の進展に伴い理解を安定させるため、極端な統制へと転じる」書いている。要するにプーチンはキチガイ野郎だと言っているわけである。

貝甲図:若冲動植綵絵

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「貝甲図」は海辺近くの砂浜にいる貝の類を描いたもの。青く塗った曲線模様の部分が海水の流れをあらわしている。その波に洗われるかのように、さまざまな種類の貝や珊瑚の塊が描かれている。

「言葉と物」第三章「表象すること」は、古典主義時代のエピステーメーを論じた諸章の導入部分であるが、フーコーはこれをセルバンテスの古典「ドン・キホーテ」の読解から始めている。「ドン・キホーテ」は、スペインにおけるルネサンス文学の傑作というのが文学史上の常識になっているわけだが、フーコーはこれを、ルネサンスから古典主義時代への移行期における過渡的な作品だと位置づけている。その点は、分野は違うが、ベラスケスの絵画「侍女たち」と同じような位置づけであるわけだ。だが、「侍女たち」が、古典主義時代の先取りであったとされていたのに対して、「ドン・キホーテ」はルネサンスの残照として捉えられている。騎士ドン・キホーテは、古典主義時代の先駆者と言うよりは、遅れてきたルネサンス人という位置づけなわけである。これは、「ドン・キホーテ」と「侍女たち」の間に半世紀の時差があることを思えば、自然なことかもしれない。「ドン・キホーテ」が17世紀の冒頭に現れたのに対して、「侍女たち」のほうは17世紀なかばの人々なのである。

方丈記(十三)

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おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかど、いますでに五年を經たり。假の庵もやゝふるさととなりて、軒に朽葉深く、土居に苔むせり。おのづからことの便りに都を聞けば、この山にこもり居て後、やむごとなき人のかくれ給へるもあまた聞ゆ。ましてその數ならぬたぐひ、尽くしてこれを知るべからず。たびたび炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。たゞ仮の庵のみ、のどけくして恐れなし。程狭しといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身を宿すに不足なし。かむなはちひさき貝を好む、これ事知れるによりてなり。みさごは荒磯に居る、則ち人を恐るゝが故なり。われまたかくのごとし。事を知り世を知れれば、願はず、わしらず、たゞしづかなるを望みとし、うれへ無きを楽しみとす。

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「サーカス(The Circus)」は、チャップリンにとっては三作目の長編作品だが、作り方は短編映画をつなぎ合わせたような性格が強い。ストーリー重視ではなく、チャップリン一流のドタバタシーンのつなぎ合わせたといった形だ。そのドタバタシーンの精神は、一言で表すと、意図と行動との食い違いと言うことにある。したいと思うことと実際にやってしまうこととが一致しないばかりか、まったく意図しなかったことをやりのけてしまうと言う具合で、これはベルグソンの言う笑いの本質をよくわかった上での演出だと言えよう。

年金積立金が巨額の運用損

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公的年金資金の運用を担う年金積立金管理運用独立行政法人(GRIF)が、今年7~9月のわずか三か月間で、約7.8兆円の損失を出したと発表した。積立金の総額は130兆円余りであるから、馬鹿にならない数字だ。こんな調子で損失が重なれば、どんな事態が待っているか。そんなに想像力を働かせなくともわかろうというものだ。

自民党員の意識

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朝日新聞が、自民党の党員・党友を対象に意識調査を実施した。その結果が昨日(11月30日)の紙面で紹介されていたが、なかなか面白い内容だ。歴代総裁の中で最も評価する者として安倍晋三(19%)の名が上った。二位は小泉純一郎(17%)、四位は中曽根康弘(5%)で、いわゆるタカ派の政治家が上位を占める。彼らは同時に新自由主義者でもある。一方、ハト派で財政出動推進者だった田中角栄(16%)は三位につけている。

池辺群虫図:若冲動植綵絵

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「池辺群虫図」は、水辺に実を成らした瓢箪とそれに群がる昆虫や小動物を描いたものである。描かれた生き物は六十種類もある。それらのひとつひとつを、丁寧に描き分けているのは、若冲らしいところだ。瓢箪の実も、虫に食われた後があったりして、なかなか手が込んだ描き方になっている。

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