カサブランカ( Casablanca ):マイケル・カーティス

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ハンフリー・ボガート( Humphrey Bogart )とイングリッド・バーグマン( Ingrid Bergman )が競演した映画「カサブランカ( Casablanca )」は、映画史上最高のラブ・ロマンスとの評価が高い。単にラブ・ロマンスの傑作と言うにとどまらず、オーソン・ウェルズの社会派映画「市民ケーン」、アルフレッド・ヒッチコックのサスペンス映画「めまい」と並んで、映画史上の三大傑作とも言われる。

だが、「カサブランカ」が単なるラブ・ロマンスだったら、こんなにも高い評価を得ることはなかっただろう。この映画は、男女の愛を通して、戦争と人間というテーマをも追求している。戦争という極限状況のなかで、人はどのように生きるべきか、そんな人間的なテーマを、ハンフリー・ボガートという希代の名役者と世紀の大女優と言われたイングリッド・バーグマンが演じて見せたことで、世界中の人々の心を掴んだのだろうと思う。

映画が作られたのは、アメリカが第二次大戦に参戦した直後のことで、公開は1942年の11月だ。アメリカはドイツやイタリアなどの枢軸国を相手にして戦っていた。この映画は、そんな戦争を背景にして、正義は連合国側にあるといった政治的なメッセージを含んでいた。そのメッセージは、ナチスドイツの非人間的な側面を告発するというやり方を通じて表現された。ナチスを相手に命を賭して戦う人々の崇高な姿勢をたたえる、という要素がこの映画の中にはある。その要素がこの映画を単なるラブ・ロマンスにとどまらせず、人間にとって普遍的な価値を思い出させることにつながったのではないか。

舞台はフランス領モロッコのカサブランカ。この街は、ヨーロッパからアメリカへ亡命を求める人たちの中継地点となっていた。ヨーロッパからアメリカへの道は、ポルトガルから出る船が唯一の通路としてつないでいたが、人々はいったんカサブランカへやってきて、そこでアメリカ行きのビザを手に入れ、ポルトガルから船に乗るという方法をとっていたのだった。

映画はそんなカサブランカで一軒のカフェを経営するリックと言う男(ボガート)を中心に展開していく。リックはアメリカ人だが、わけがあってカサブランカまで流れてきた。そのカサブランカは、フランス領とはいえ、フランスのヴィシー政権が対ナチ協力姿勢をとっているおかげで、ナチスドイツの軍人たちが幅を利かせている。そんなところへ、一人の女(バーグマン)が夫とともにやってくる。この夫婦も、アメリカへの亡命を企てているのだ。だが、その女性とは、リックがかつてパリで愛し合った女性なのであった。思いがけず彼女を見たリックには、パリでの彼女とのほろ苦い思い出がよみがえる。愛し合っていた二人は、ナチスに降伏したパリを逃れ、別の土地に行こうと誓い合ったのだったが、どういう事情か彼女のほうがその約束を一方的に破ってしまった。リックはなぜ彼女に捨てられたのか、その理由がいまだにわからない。そんなリックにとって、自分の目の前に現れた彼女(イルザという)を、どう受け止めたらよいのかわからないのだ。

イルザのほうは、夫とともに無事にアメリカに渡ることを願っている。夫はナチスのお尋ね者であり、カサブランカにいるナチスどもにも狙われている。早くアメリカに渡らないと、捕まって強制収容所行きとなってしまうだろう。そこで、リックに助力を乞う。リックは、アメリカへ無条件で渡れる通行証を持っているのだ。イルザから乞われたリックは、最初はどうしてよいかわからない。自分を捨てた女が別の男と一緒にアメリカへ行くことを願っている、その願いを簡単にかなえてやるほど自分はお人よしではいられない。かといって、かつて愛した一人の女をみすみす見捨てるほど、男として廃れてもいない。

というわけで結局最後は、リックはイルザを夫ともどもアメリカへ逃がしてやるのだ。

なんとも泣かせる話ではないか。リックは、一方ではイルザを取り戻したいと思いながら、他方ではイルザの本当の望み(夫とともにアメリカへ亡命すること)をもかなえてやりたい。この辛い葛藤を乗り越えた先に、イルザの願いに応えてやるわけだ。この切ない男心を、ボガートが心憎く演じている。この映画の魅力は葛藤に苦しむ男を演じるボガートの表情にある。ボガートはその表情を通じて世界中の女たちの心を捉えた。彼こそ20世紀最大の二枚目スターだとする評判が高いのだが、その評判は、この映画の中でのボガートの苦りきった表情に魅せられた女たちから広がっていったのだった。

イルザの夫はチェコスロバキア人で、対ナチレジスタンスの闘志ということになっている。イルザがリックと出会ったとき、彼は収容所に入れられており、そこで殺されたという噂が流れていた。その噂に絶望したイルザが、リックに心の安らぎを求めたというのが、イルザとリックの出会いの背景にあった。

リック自身も、複雑な過去を持った人物ということになっている。エチオピア戦争ではエチオピアの味方をし、スペイン内乱では反フランコについた。つまり、義侠心に富んだ男なのである。ところがナチスは義侠心に富んだ男が嫌いだ。ましてその男がお尋ね者をかばうにおいてはなおさらだ。そんなわけで、リック自身の身にも危険が迫ってくるのだが、リックはその危険を承知で、イルザたちを助けてやる。

地元カサブランカの警察署長(クロード・レインズ)もまた、粋に描かれている。彼はヴィシー政権の官吏としてナチスに協力しなければならない立場にあるが、心の中ではナチスを嫌悪している。最後には、リックを助けてイルザたちを逃がしてやるのである。彼がなぜリックを助けるきになったか、そのあたりもこの映画の魅力のひとつだ。この映画は男女の愛だけではなく、男同士の友情も熱く描いているのである。

映画の中では、ナチスドイツを批判するシーンが沢山出てくる。とりわけ印象的なのは、リックのカフェのなかで、ナチスの連中がドイツ歌謡をそれみよがしに歌っているのに対抗して、客たちがラ・マルセイエーズを大合唱するシーンだ。合唱はあっという間にカフェの雰囲気を支配する。歌っている人々の表情はみな感極まった様子だ。いつまでもナチスの暴虐を許してはおかないぞ、という気迫が伝わってくる。そんなところも含めて、この映画は、第二次世界大戦の本質とは何か、という重い課題について考えさせる(ちょっと褒めすぎ賀茂しれないが)。







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