井上ひさし「宮沢賢治に聞く」

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井上ひさしの「宮沢賢治に聞く」は、題名にあるとおり宮沢賢治本人を登場させて自分自身について語らせたり、あるいはそれに石川啄木を加えて互いのことを語らせたりした後、井上の友人たちによる賢治論とか、井上自身による賢治の伝記的エピソードのようなものを語っている。そのどれもが、賢治の作品ではなく、賢治の生き方に焦点を当てている。というのも、このユニークな賢治論には、井上なりの特別の意図が隠されているのである。

井上は、作家というものには、大きくわけて二つのタイプがあると言う。一つは、その作品を、作家自身の生涯とはかかわりなく、それ自身として鑑賞できるようなタイプの作家、もう一つは、作品が作家の生き方と密接な関係を持ち、作家の実生活を理解しないと作品がよくわからない、といったタイプの作家がある。後者の典型として、漱石、啄木、太宰治と並んで賢治を上げることが出来る、そう井上は言うのである。それ故、この本は、賢治の作品を理解する上で最小限必要な、賢治の実生活についての知識を読者に提供することを目的としている、というわけなのである。

啄木の詩や太宰の小説は、それ自体としても面白いと思うが、彼等の生涯を頭に入れて読むと、一層深い味わいが出てくると思えるのは確かなことだ。啄木は二十代の若さで赤貧のうちに死んだ。その薄幸な生涯をイメージして読めば、彼が何故社会に対して鋭い批判意識を持っていたか、その一方でやみがたい望郷の念に常に駆られていたかが、よくわかる気になるだろう。また、太宰については、彼の生涯がその作品以上に屈託したものであったと思いながら読めば、味わいは一層細やかなものになろう。漱石にもそういうとことがあるかどうか、筆者は必ずしも井上に同調するわけではないが、賢治については、井上の言い分に一定の根拠を認めてもいいように思う。

実生活と作品とを貫いている賢治の大きな特徴は、宗教とりわけ法華経への賢治の傾注振りにあると井上は言う。賢治が熱心な法華経信者だったということはよく知られている。しかし従来の賢治論は、賢治の法華経への傾注を、作品解釈にまで及んで取り上げたものはない。しかし、賢治の童話の多くが、法華経的な世界観の上に立っていることは、最近多くの論者の指摘するところとなってきている。筆者もまた、賢治の童話にはいたるところ法華経がこだましていると考えている。そうした筆者の考えについては、別項のなかで多少言及しておいた(宮沢賢治と法華経)。

賢治の童話には、法華経の教えがこだましているだけではない。語り方に、お経を読んでいるような、独特な音楽的リズムが感じられる。このリズムは法華経を読んでいるときのあの独特なリズムを反覆したものだといえるのだ。そのリズムは又、歩いているときの身体のリズムにも通じるところがあるが、賢治は歩くことがとても好きだった。彼は恐らく、歩きながら作品を構想したとも考えられるから、歩いているときの身体のリズムがそのまま作品の中の言葉のリズムとして乗り移るのは自然なことなのだ。

賢治はまた科学的な関心も深かった。アインシュタインの相対性原理なども理解していたと思われる。彼の作品には、そうした科学的な宇宙観が反映されているようなところがある。たとえば「春と修羅」の中で展開されているある種の宇宙観は、賢治なりの科学的宇宙館を反映したものと考えることもできる。これなども、実生活における自分の関心がそのまま作品の中にも反映している例といえるだろう。

この本は、賢治のいくつかの作品について、それを賢治の生き方と関連付けながら論じているが、その中で井上が最も推奨しているのは「グスコープドリの伝記」である。これは賢治の最後の作品であり、そうしたことからも賢治の抱いていた思想がもっとも強く反映されている。その思想が法華経の教えに基づくものであるのは言うまでもない。井上は、賢治の父親が信仰していた浄土真宗の教えと法華経の教えとを比較して、「浄土真宗は、どうせこの世は汚れ切っていて直しようがない、死んだら西方浄土の極楽に行くというのが、その基本です。けれども、日蓮宗は(法華経の教えは)、いま、ここを浄土にしよう、いま、花巻を浄土にしよう、今、苦しんでいる人をこの場で救おうというものである」と言っている。グスコーブドリの伝記は、主人公が自分の身を犠牲にして、この世を浄土にしようとした物語である。そういう点で、賢治のもっとも賢治らしいところがあらわされている。そう井上は言うのである。その点には、筆者も同感である。







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