サーカス(The Circus):チャーリー・チャップリン

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「サーカス(The Circus)」は、チャップリンにとっては三作目の長編作品だが、作り方は短編映画をつなぎ合わせたような性格が強い。ストーリー重視ではなく、チャップリン一流のドタバタシーンのつなぎ合わせたといった形だ。そのドタバタシーンの精神は、一言で表すと、意図と行動との食い違いと言うことにある。したいと思うことと実際にやってしまうこととが一致しないばかりか、まったく意図しなかったことをやりのけてしまうと言う具合で、これはベルグソンの言う笑いの本質をよくわかった上での演出だと言えよう。

チャップリンの短編映画の主人公であった放浪者が、この映画の中ではサーカスの小道具係となって、頓珍漢な行動で一座の人気者になる一方、団長の娘に淡い恋心を描く。娘は団長の子供と言うことになっているが、団長である父親から虐待を受けている。そんな娘をチャップリンはかばおうとするのだが、自分自身の面倒も見切れない男に、他人の面倒が見られるわけはない。失敗ばかりしているのだが、その失敗振りが余りにも愉快なので、観客はいつも腹を抱えているというわけである。

こんな具合で筋書きは他愛ないが、ドタバタシーンは実に多彩だ。チャップリンのドタバタ喜劇の集大成と言ってよい。いくつか名シーンをあげると、ミラーメイズの中で自分自身が途方にくれたり、追跡者を途方にくれさせる場面、サーカスの出し物のなかに小道具係として入っていって、意図しない演技をしてしまう場面、この意図しない演技のおかげでチャップリンはサーカス最大の人気者になる。逆に、客を笑わせようと意図したときには演技はうまく行かないのだ。

圧巻は綱渡りのシーンだ。娘が思いを寄せている綱渡りの男が突然いなくなってその代役を命じられたチャップリンが馴れない綱渡りの演技をする。始めは命綱を頼りに何とか演技をこなしているが、そのうち命綱が切れてしまう。ところがそれでもチャップリンは演技を続け、あまつさえ猿たちの応援も得て、観客の大喝采を博す。このあたりは、意図とは違う行動ではなく、意図通りの行動を演じているということで、チャップリンの演技としては型破りのものだ。

娘とチャップリンの出会いがまた洒落た演出になっている。出会った時のチャップリンが腹ペコなのはいつもの通りだが、娘もまたチャップリン以上に腹ペコなのだ。その腹ペコの娘にチャップリンはなけなしのパンを与えてやる。パンをもらった娘はそれを貪り食う。その食い方が「黄金郷時代」でのチャップリンの靴を食うシーンとよく似ているのだ。

チャップリンの恋が実らないのはいつもの通りである。この映画の中のチャップリンは、自分の愛する娘の幸福のために、自分の幸福を犠牲にして、娘を彼女の愛する男と結ばせてやるのだ。そして結ばれた彼女らがサーカスの一行とともに、他の土地に向けて旅立っていった後に、孤独なチャップリンが娘との幸せだったひとときを回想する場面で映画は終わる。チャップリンの瞑想する場面をラストシーンに持ってきたのは、この映画が最初で最後だろう。







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