平成廿八年を迎えて

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平成廿八年を迎えるに当たり、今年は申年だというので、猿の絵を描いて家人に見せたところ、悪くはないけどお猿さんの表情がもうちょとかわいらしくてもいいわね、との批評を受けた。昨年は羊の絵を描いたところが、たまごのおもちゃみたい、などと言われたのに比べれば、よしとせなばなるまい。

猿は日本列島に大昔から住みついているほか、旧大陸のあちこちに分布している。そこで、方々の国の言葉で猿がどのように呼ばれているか、例によって熊楠先生が比較考証を行なっている(十二支考)。それによれば、ヘブライ語でコフ、エチオピア語でケフ、ペルシャ語でケピまたはクピ、ギリシャ語でケポスまたはケフォス、ラテン名ケブス、梵名カピというのだそうだ。本来猿のいないはずのパレスティナに猿をさす言葉があるのは、外国から来た猿から由来しているのだろうと熊楠先生は推測している。これらを見てピンとくるように、どの言葉も似たような音を含んでいる。ちなみに中国語の「猴」にもこれと似た音が含まれており、両者の間に深い関連がありそうだ、というのが先生の推測のミソだ。

ところで日本語では猿をさして、「さる」とか「ましら」とかいう。「さる」のほうは、他の国の言葉に類似の音を持つ語がないところから、日本固有の名だろうという。日本列島が、他の文明から孤立していたことを物語ると言いたいようである。一方「ましら」のほうは、仏典からの引用らしいが、これは「さる」が「去る」を連想させて縁起が悪いという理由から転用されたらしい。

猿は人間同様二足で歩くし、また知恵もあるので、これを人間の同類として厚遇する民族が多いと先生は言う。ところが日本人は、猿が二足で歩く姿を鳥と同じだと解釈して、猿を鳥と呼ぶこともある。例えば木の実を食う猿を「コノミドリ」といい、声高く叫ぶところから「ヨブコドリ」というたぐいである。

旧大陸でもヨーロッパのあたりでは猿はいないという。そこでヨーロッパ人は、東洋人やアフリカ人ほど猿になじまないということらしい。東洋人にとって猿が果している役割は、ヨーロッパ人にあっては熊が果しているのだそうだ。道理でヨーロッパ人の童話には、熊がやたらに出てくるわけである。

中国人は、猿を水と結びつけてイメージするのが好きだったようだ。そこから水に住む猿「猩々」の伝説が生まれた。猩々は謡曲にもなっているくらいだから、日本人にもなじみがある。その曲に曰く、
~潯陽の江のほとりにて、潯陽の江のほとりにて、菊をたたへて夜もすがら、目の前にも友待つや、また傾くる盃の、影をたたへて待ちゐたり、影をたたへて待ちゐたり

菊をたたえた水は御酒のことをいう。この曲はその御酒の功徳を歌ったものであることから、縁起が良いとされ、正月に相応しい一曲という扱いを受けている。されば小生も、申年の元旦に臨むに当り、「猩々」の一節をうなりながら一献つかまつることとしよう






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