石橋:浄土欣求の能

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最近は、NHKテレビが能の舞台を放送することがめっきり少なくなり、正月も、かつては三日間通しで放送していたものが、元旦だけに限られるようになった。同好者の数が少なくなったためだろうから、致し方がないといわれればそのとおりだが、筆者のような謡曲好きとしては、やはりさびしいことだ。

今年は、元旦に「石橋」を放送した。日本の僧が唐の清涼山に至り、そこに架けられた石橋を渡って対岸の極楽浄土へ渡ろうという内容の能で、非常にめでたいことから正月を飾るに相応しい曲とされてきた。この曲の醍醐味は、後半での獅子の舞で、前段はそれを引き出すための言い訳のようなものとも言える。したがって、後段の獅子舞だけをとりだして演じられることも多い。その点では、かつては前後二段からなっていて、今日では後段だけが演じられるようになった「猩々」や「菊慈童」と同じ道をたどるようになるのではないかと言われている。

後段の舞を獅子が演じるのは、僧のめざす極楽浄土が文殊菩薩の浄土だからである。文殊菩薩は獅子に乗った姿であらわされるように、獅子は文殊菩薩に最も近い眷属なのである。

この日の能は金春流で、群勢という小書によっている。石橋の獅子舞は一頭で演じるのが古い形といわれるが、中には二頭で演じたり、この小書のように四頭で演じるものもある。一頭だけの場合は白獅子、二頭の場合は紅白というのが普通である。この日は、親獅子が白、三頭の子獅子がそれぞれ赤であった。

舞台上には、石橋の作り物である畳が二枚置かれ、それぞれ紅白の牡丹を付け合せてある。牡丹も石橋とならんで、謡のなかでは重要な役割を演じる。そこへ寂昭法師のワキが登場し、地元の人(ここでは樵の翁)に石橋の由来を聞く。この石橋は、そう簡単に渡れるものではなく、高僧でさえ難行苦行を重ねた末に初めて渡ることができる。、この石橋は人間の作ったものではなく、自然に現れたもので、空中に虹のように聳え、目もくらんで簡単には渡れないのだ。そういって樵が姿を消した後、間狂言(せがれ仙人)が現れて、この石橋の由来を改めて語る。(以下、テクストは「半魚文庫」を活用、シテは金春安明、ワキは森常好、間狂言は大蔵千太郎)


ワキ詞「これは大江の定基といはれし寂昭法師にて候。われ入唐渡天し。始めてかなたこなたを拝み廻り。唯今清涼山に参り候。これに見えたるが石橋にてありげに候。暫く人人を待ち委しく尋ね。此橋を渡らばやと存じ候。
シテ一セイ「松風の。花を薪に吹き添へて。雪をも運ぶ山路かな。
シテ「山路に日暮れぬ樵歌牧笛の声。人間万事様々の。世を渡りゆく身の有様。物毎に遮る眼の前。光の影をや送るらん
下歌「余りに山を遠くきて雲又跡を立ち隔て。
上歌「入りつる方も白波の。入りつる方も白波の。谷の川音雨とのみ聞えて松の風もなし。げにや謬つて半日の客たりしも。今身の上に知られたり。今身の上に知られたり。
ワキ詞「いかにこれなる山人に尋ぬべき事の候。
シテ「何事を御尋ね候ふぞ。
ワキ「これなるは承り及びたる石橋にて候ふか。
シテ「さん候これこそ石橋にて候。向は文殊の浄土清涼山。よくよくおん拝み候へ。
ワキ「さては石橋にて候ひけるぞや。さあらば身命の仏力にまかせて。この橋を渡らばやと思ひ候。
シテ「暫く候。そのかみ名を得給ひし高僧たちも。難行苦行捨身の行にて。こゝにて月日を送り給ひてこそ。橋をば渡り給ひしに。獅子は小虫を食はんとても。まづ勢をなすとこそ聞け。我が法力のあればとて。行く事難き石の橋を。たやすく思ひ渡らんとや。あら危しの御事や。
ワキ「謂を聞けばありがたや。唯世の常の行人は。左右なう渡らぬ橋よなう。
シテ詞「御覧候へ此瀧波の。雲より落ちて数千丈。瀧壺までは霧深うして。身の毛もよだつ谷深み。
ワキ「巌峨々たる岩石に。
シテ「僅にかゝる石の橋。
ワキ「苔は滑りて足もたまらず。
シテ「渡れば目も昏れ。
ワキ「心もはや。
地上歌「上の空なる石の橋。上の空なる石の橋。まづ御覧ぜよ橋もとに。歩み望めば此橋の。面は尺にも足らずして。下は泥梨も白波の。虚空を渡る如くなり。危しや目もくれ心も。消え消えとなりにけり。おぼろけの行人は。思ひもよらぬ御事。

ここからクリ、サシ、クセ。クセは居グセである。

ワキ詞「なほなほ橋のいはれ御物語り候へ。
地クリ「それ天地開闢のこの方。雨露を降して国土を渡る。これ即ち天の。浮橋ともいへり。
シテサシ「そのほか国土世界に於て。橋の名所様々にして。
地「水波の難を遁れ万民富める世を渡るも。即ち橋の徳とかや。
クセ「然るに此石橋と申すは。人間の渡せる橋にあらず。おのれと出現して。つゞける石の橋なれば。石橋と名をなづけたり。その面僅に。尺よりは狭うして。苔はなはだ滑かなり。其長さ三丈余。谷のそくばく深き事。千丈余に及べり。上には瀧の糸。雲より懸りて。下は泥梨も白波の。音は嵐に響き合ひて。山河震動し。天つちくれを動かせり。橋の景色を見渡せば。雲に聳ゆる粧の。たとへば夕陽の雨の後に虹をなせるすがた。又弓を引ける形なり。
シテ「遥に臨んで谷を見れば。
地「足冷ましく肝消え。進んで渡る人もなし。神変仏力にあらずは。誰か此橋を渡るべき。向は文殊の浄土にて常に笙歌の花降りて。笙笛琴箜篌夕日の雲に聞え来目前の奇特あらたなり。しばらく待たせ給へや。影向の時節も。今いくほどによも過ぎじ。

中入。間狂言による石橋の由来の説明の後、囃子に乗って三頭の紅獅子が現れて勇壮な舞を舞う。続いて白獅子が作り物に乗って現れ、紅獅子の舞に加わり、賑やかな連舞がくりひろげられる。

獅子上「獅子団乱旋の舞楽のみぎん。獅子団乱旋の舞楽のみぎん。牡丹の花房にほひ満ち満ちたいきんりきんの獅子頭。打てや囃せや。牡丹芳。牡丹芳。黄金の蕊。現れて。花に戯れ枝に伏し転び。げにも上なき獅子王の勢靡かぬ草木もなき時なれや。万歳千秋と舞ひ納め。万歳千秋と舞ひ納めて。獅子の座にこそ直りけれ。

四頭の獅子が、仕草を同調させながら勇壮豪快に舞うところは、実に気分のいいものである。








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