森に分け入るダンテとヴィルジリオ:ブレイクの「神曲」への挿絵

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第一曲の後半部は、三匹の獣におののくダンテの前に現れたウェルギリウスが、ダンテに向って、自分の素性をあかし、ここから逃れ去るには別の道をゆかねばならぬと語る。その道とは、地獄を通り抜けて、その先にある煉獄を上りつめ、天国へと至る道だという。

ここでウェルギリウスは、トスカーナ方言に従ってヴィルジリオと呼ばれている。以後、このサイトでもその名を用いることとする。


 われかの大いなる荒野の中に彼をみしとき、叫びてかれにいひけるは、汝魂か眞まことの人か何にてもあれ我を憐れめ 
 彼答へて我にいふ、人にあらず、人なりしことあり、わが父母ちゝはゝはロムバルディアの者郷土ふるさとをいへば共にマントヴァ人びとなりき 
 我は時後れてユーリオの世に生れ、似非えせ虚僞いつはりの神々の昔、善きアウグストの下もとにローマに住めり 
 我は詩人にて驕れるイーリオンの燒けし後トロイアより來れるアンキーゼの義しき子のことをうたへり 
 されど汝はいかなればかく多くの苦しみにかへるや、いかなればあらゆる喜びの始めまた源もとなる幸の山に登らざる 
 われ面おもてに恥を帶び答へて彼にいひけるは、されば汝はかのヴィルジリオ言葉ことのはのひろき流れをそゝぎいだせる泉なりや 
 あゝすべての詩人の譽ほまれまた光よ、願はくは長き學まなびと汝の書ふみを我に索めしめし大いなる愛とは空しからざれ 
 汝はわが師わが據よりどころなり、われ美しき筆路を習ひ、譽をうるにいたれるもたゞ汝によりてのみ 
 かの獸を見よ、わが身をめぐらせるはこれがためなりき、名高き聖ひじりよ、このものわが血筋をも脈をも顫はしむ、ねがはくは我を救ひたまへ 
 わが泣くを見て彼答へて曰ひけるは、汝この荒地あれちより遁のがれんことをねがはゞ他ほかの路につかざるをえず 
 そは汝に聲を擧げしむるこの獸は人のその途を過ぐるをゆるさず、これを阻みて死にいたらしむればなり 
 またその性さが邪惡なれば、むさぼりて飽くことなく、食をえて後いよいよ餓う ・・・

 この故にわれ汝の爲に思ひかつ謀りて汝の我に從ふを最も善しとせり、我は汝の導者となりて汝を導き、こゝより不朽の地をめぐらむ。
 汝はそこに第二の死を呼び本むる古の悩める魂の望み亡き叫びを聞くべし。
 その後汝は火の中にゐてしかも心足る者等をみむ、これ彼等には時至れば幸なる民に加はるの望みあればなり。
 汝昇りて彼等のもとにゆくをねがはゞ、そがためには我にまされる魂あり、我別るゝに臨みて汝をこれと倶ならしめむ。
 そは高きにしろしめす帝、わがその律法に背けるの故をもて我に導かれてその都に入るものあるをゆるし給はざればなり。
 帝の稜威は至らぬ處なし、されど政かしこよりいでその都も高き御座もまたかしこにあり、あゝ選ばれてそこに入るものは福なるかな。
 我彼に、詩人よ、汝のしらざりし神によりてわれ汝に請ふ、この禍ひとこれより大なる禍ひとを免かれんため。
 ねがはくは我を今汝の告げし處に導き、聖ピエートロの門と汝謂ふ所の幸なき者等をみるをえしめよ。
 この時彼進み、我はその後方に從へり (地獄篇第一曲から、山川丙三郎訳)


絵は、ダンテとヴィルジリオが森を分け入って進んでゆくさまを描いている。ヴィルジリオが先に立ち、ダンテがその後に従っているが、ダンテはまだヴィルジリオの言葉を完全に受け止められないでいるのである。









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