足摺:平家物語巻第三

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(平家物語絵巻から 足摺)

成親の子成経及び康頼、俊寛の三人は薩摩の沖の絶島鬼界が島に流される。成経と康頼は、島に熊野権現を勧請して帰京を祈ったが、不信心な俊寛はその祈りに加わらなかった。康頼は熊野権現に祈りを捧げる一方、自分の思いを書き付けた卒塔婆を千本も海に流した。その一本が安芸の厳島神社に流れ着いたのだったが、それには康頼の望郷の思いを込めた切ない歌が書かれていた。

やがてこの卒塔婆は、後白河法皇の手を経て重盛に伝えられ、重盛を通じて清盛の目にもとまった。それを読んだ清盛は、憐憫の情を催した。

清盛の娘徳子が懐妊したことに絡んで、清盛は大規模な恩赦を実施する。それには成経と康頼の赦免も含まれていたが、清盛の強い怒りを買っている俊寛は含まれなかった。

赦免状を持った使者が鬼界が島にやってくる。そこで一つのドラマが展開される。同じ罪で、同じ島に流されてきたのに、成経と康頼は許され、自分は許されない。その理不尽さを俊寛が嘆き悲しむさまが展開されるのである。そのさまを語った「足摺」の章(巻第三)は、平家物語の中でももっともドラマチックな部分である。

~御使は丹左衛門尉基康といふ者也。船よりあがッて、「是に都よりながされ給ひし丹波少将殿法勝寺執行御房、平判官入道殿やおはする」と、声々にぞ尋ねける。二人の人々は、例の熊野まうでしてなかりけり。俊寛僧都一人のこッたりけるが、是をきき、「あまりに思へば夢やらん。又天魔波旬の我心をたぶらかさむとていふやらむ。うつつ共覚えぬ物かな」とて、あはてふためき、はしるともなく、たふるる共なく、いそぎ御使のまへに走りむかひ、「何事ぞ。是こそ京よりながされたる俊寛よ」と名乗り給へば、雑色が頸にかけさせたる小袋より、入道相国のゆるしぶみ取り出いて奉る。ひらいてみれば、「重科)は遠流に免ず。はやく帰洛の思ひをなすべし。中宮御産の御祈によッて、非常の赦行なはる。然る間鬼界の島流人、少将成経、康頼法師赦免」とばかり書れて、俊寛と云ふ文字はなし。礼紙にぞあるらむとて、礼紙をみるにもみえず。奥より端へよみ、端より奧へ読みけれ共、二人とばかりかかれて、三人とはかかれず。

~さる程に、少将や判官入道も出できたり。少将のとッてよむにも、康頼入道が読みけるにも、二人とばかり書かれて三人とはかかれざりけり。夢にこそかかる事はあれ、夢かと思ひなさんとすればうつつ也。うつつかと思へば又夢の如し。其のうへ二人の人々のもとへは、都よりことづけぶみ共いくらもありけれ共、俊寛僧都のもとへは、事とふ文一つもなし。「抑われら三人は罪もおなじ罪、配所も一所也。いかなれば赦免の時、二人はめしかへされて、一人ここに残るべき。平家の思ひわすれかや、執筆のあやまりか。こはいかにしつる事共ぞや」と、天にあふぎ地に臥して、泣きかなしめ共かひぞなき。

~少将の袂にすがッて、「俊寛)がかく成といふも、御へんの父、故大納言殿のよしなき謀反ゆへ也。さればされば、よその事とおぼすべからず。ゆるされなければ、都までこそかなはずと云ふ共、此の船にのせて、九国の地へつけ給へ。をのをのの是におはしつる程こそ、春はつばくらめ、秋は田の面の鴈の音づるる様に、をのづから古郷の事をも伝へきいつれ。今より後、何としてかは聞くべき」とて、もだえこがれ給ひけり。少将「まことにさこそはおぼしめされ候はらめ。我等がめしかへさるるうれしさは、さる事なれ共、御あり様を見をき奉るに、行くべき空も覚えず。うちのせたてまッても上りたう候が、都の御使もかなふまじき由申すうへ、ゆるされもないに、三人ながら島を出でたりなンど聞えば、中々あしう候ひなん。成経まづ罷りのぼッて、人々にも申しあはせ、入道相国の気色をもうかがふて、むかへに人を奉らむ。其の間は、此の日比おはしつる様におもひなして待ち給へ。何としても命は大切の事なれば、今度こそ漏れさせ給ふ共、遂にはなどか赦免)なうて候べき」となぐさめたまへ共、人目もしらず泣きもだえけり。


圧巻は、沖へと漕ぎ行く船にとりすがり、せめて九州まで連れて行ってくれと言って泣き叫ぶ俊寛の姿を語った部分だ。泣き叫ぶ俊寛の姿は、母親や乳母をしたう幼児のようだと形容されている。

~既に船出すべしとてひしめきあへば、僧都の乗つてはおりつ、降りては乗つつ、あらまし事をぞし給ひける。少将の形見にはよるの衾、康頼入道が形見には一部の法花経をぞとどめける。ともづな解いておし出せば、僧都綱に取つき、腰になり、脇になり、たけの立までは引かれて出で、たけも及ばず成りければ、船に取りつき、「さていかに各々、俊寛をば遂に捨てはて給ふか。是程とこそおもはざりつれ。日比の情も今は何ならず。ただ理をまげて乗せ給へ。せめては九国の地まで」とくどかれけれ共、都の御使「いかにも叶ひ候まじ」とて、取つき給へる手を引きのけて、船をば遂に漕出す。僧都せん方なさに、渚にあがりたふれふし、幼き者のめのとや母なンどをしたふやうに、足ずりをして、「是乗せてゆけ、具してゆけ」と、喚き叫べ共、漕行く船の習ひにて、跡は白浪ばかり也。いまだ遠からぬ船なれ共、涙に暮れてみえざりければ、僧都高き所に走りあがり、澳の方をぞまねきける。彼の松浦佐用姫がもろこし船をしたひつつ、ひれふりけむも、是には過ぎじとぞ見えし。船も漕ぎかくれ、日もくるれ共、あやしの臥どへも帰らず。浪に足うちあらはせて、露に萎れて、其夜はそこにぞあかされける。さり共少将はなさけふかき人なれば、よき様に申す事もあらんずらむと憑をかけ、その瀬に身をもなげざりける心の程こそはかなけれ。昔壮里が海岳山へはなたれけむかなしみも、いまこそ思ひしられけれ。


足摺の章は、能や浄瑠璃にも仕立てられ、日本人の心を捉え続けてきた。

(絵は、島を離れる赦免船にとりすがる俊寛と、それを見守る島の子どもたち。船が結構大きく描かれている。)





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