諸王朝と原理主義の対立

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サウディ・アラビアとイランの対立が激化している。発端は、サウディがシーア派の指導者を処刑したことにイランのシーア派が激怒し、イラン国内のサウディの大使館を襲撃したことだ。これにサウディが国交断絶を以て対抗すると、バーレーン以下の湾岸諸国もサウディに追随し、一気に緊張が高まった。

これを、スンニー派とシーア派の対立とする見方が有力だが、ことはそんなに単純ではない。たしかにサウディ以下今回イランと断交した国々はいづれもスンニー派であり、それがシーア派の親玉とも言うべきイランと対立を深めたと見えなくもない。イランがサウディ以下の諸国の脅威になった背景には無論、アメリカとイランの歴史的な和解の動きがある。これまで国際的に殆ど影響力を持たなかったイランが、一定の影響力を持つようになり、その影響力を背景に、スンニー派諸国でのシーア派の勢力が台頭することに、これらの国々が危機感を覚えたという側面があることは間違いない。

だが、もっと違う見方をすると、今回イランと断交した国々はいづれも独裁君主国かそれに近い政体の国々である。これらの国々では、民主主義が機能しないのは無論、国家という概念も機能していない。国家があって、それを治める君主があるという構図にはなっておらず、国家は、そこに住んでいる住民ともども、君主の私有財産と考えられている。だから、そこにちょっかいを出すことは、君主たちにとっては、自分の財産に不当に手を出したというふうに映る。そういう輩は泥棒なのだ。その泥棒も、こちょこちょ動き回るくらいなら害がないが、体制を脅かすようだと見逃せない。こそ泥なら大目にみることもできるが、居直り強盗は許さないというわけである。

今回、湾岸諸国が強硬になった背景には、イランを後ろ盾にしたシーア派のごろつきたちが、自分たちの家を脅かそうとしているばかりか、あわよくば自分たちの財産をねこそぎ乗っ取ろうとしている、という認識をこれらの「国々」の首長たちがするに至ったことがあると考えられる。

こう考えるとこの対立は、スンニー派とシーア派の対立というよりも、諸王朝とイスラム原理主義の対立と言ってよい。その対立は、現象面ではアラブ諸国の中で起きているように見えるが、深いところでは、世界の大きな動きと連動していると考えた方がよい。





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