八丁堀でおでんを食う

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学生時代に仲良くしていた連中と久しぶりに顔を合わせた。場所は八丁堀のおでん屋レイテンという店。集まったメンバーは、福、石、浦、岩、谷、小、田、柳に筆者を加えて九人。店に入ってみると、そこはこじんまりとした空間で、すでに、福、石、浦の諸子が席についていた。随分久しぶりだな、と声をかけ合う。筆者がこの連中と会うのは、あの3.11の年以来5年ぶりのことだ。彼らは互いに連絡があるらしく、三年ほど前から定期的に飲み会をやっているという。筆者も今回その輪に入れてもらったという形だ。

そのうち他の連中もぼちぼち顔を出した。みな道に迷ってやっとの思いでたどり着いたという。ロケーションは、新大橋通りに並行する路地に面しており、決してわかりにくいはずはないのだが、何故かみな迷ってしまうらしく、幹事役の石子にしてからが、まともには来れなかったという。若い頃はそうではなかった。これはみなそれぞれ年相応に成長していることの現れだろうと浦子が解釈する。年相応と言っても、外見の変化の度合いは人それぞれだ。筆者のようにいかにも老人然とした風貌の者もあれば、岩子や柳子のように学生時代とあまり変わらない者もいる。

その柳子は一番後にやって来た。別の宴会の帰りだと言ってワインの瓶をぶら下げている。実は前の宴会限りで帰るつもりでいたんだが、今日はH(筆者のこと)が来ると聞いてわざわざ立ち寄ったんだ。E(柳子の細君の名)に、今日はHとも会うから遅くなるよと言ったら、Hさんてあの学者みたいで、陰気な感じの人でしょ、そんな人と飲んでも楽しくないでしょうから早く帰ってきなさい、って言われたんだが、やはり来てよかったよ、などと言っている。Eも我々の学生仲間のひとりだったから、こんな遠慮のないことをあけすけに言うわけである。遠慮のないのは他の連中も同じで、当の柳子に向かって、お前はいつでも遅刻の言い訳にEの名を持ち出すなあ、この前なんかは、Eのつわりがひどくてなかなか家を出られなかったと言ってたじゃないか、と冷やかしの言葉を挿む。

ところでこの集まりはどんな形で復活したんだい、と聞くと、三年前ほどから連絡のとれる限りで集まり始めて、次第に輪が広がって来たのだそうだ。今ではほとんど毎月のように集まっている。都合のつく連中だけでやるということになっているから、その時々のメンバーは変化するが、持続性は強いということらしい。

このメンバーの大部分とは、3.11の年に牛込で会い、その流れで、少人数で新宿のバーに行ったりもした。その折に石子も同行していて、歓談中筆者のブログのことを聞いたのがきっかけで、それ以来お前のブログをのぞいているよと言う。あの時は大分遅くなったから、電車が無かったんじゃないか、と言うから、よく覚えてないが、恐らくタクシーで帰ったんだろうと答えた。

石、浦、岩の諸子は、今日は不在のもう一人の谷(七谷という)の案内で、昨年の秋に中欧の諸都市を巡覧したそうだ。ミュンヘン、ニュルンベルグ、ドレスデン、プラハ、クラカウと二週間かけて歩いた。旅行会社を一切通さず、飛行機、ホテル、現地の移動の手配まですべて谷が自分でやってくれた。おかげで俺たちは安心してついていくことができたよ、などと呑気なことを言っている。ホテルは各自シングルルームで、食事の代金なども含めて、総額三十万円代ですんだというから、たしかに安い。筆者が文子とイタリアに旅した時には、一週間の旅行費用がほぼ同じくらいかかった。我々がイタリアの陽気な街を歩いているときに、彼らは中欧の陰気な街々を歩き回っていたわけだ。陰気と言うのも、彼らが訪れた観光地というのが、アウシュヴィッツとかドレスデンとか、戦争の記憶を掻き立てるような場所ばかりだったからだ。

福子が鞄の中から一冊の本を取り出して皆に見せた。清子が書いた村上春樹論だ。福子は、村上の小説も面白いが、清子の評論も面白いから是非読んでみろよと言う。筆者はそれに相槌を打ったが、石子と浦子は異議を唱えた。清子の評論は脇へ置いて、村上春樹について言えば、実に退屈でくだらない小説だね、と言う。そこで筆者が、村上のどんな小説を読んでそんなことを言うのかと問うたところ、石子は「風の歌をきけ」を読んだと言い、浦子は「ノルウェーの森」を読んだと言い、どちらも読むに堪えない代物だったと口を揃える。そこで筆者は、文学の世界では感性が物を言うから、理性溢れる君たちの言い分にも一理ないわけではないな、と言ったところが、石子は、お前は俺たちが感性に欠けているといいたいらしいな、と小言めいたことを言った。

ところで、清子とは時々会ったりしているのかね、と聞くと、たまに会うことがあるという。清子は清子で関西にいる連中と、これと同じようなつながりを持っているらしい。もし清子と一緒に飲む機会があったら、俺も誘ってくれと言っておいた。

この店は「東京おでん」を呼び言葉にしているくらいで、おでん屋なのだが、そのほかにも色々な小料理を出す。メニューはマスター任せで、最後におでんの皿盛りが出て来るという次第だ。そのおでんを食いながら、四方山話に花が咲く。一体この集まりは「四方山話の会」というのだそうだ。次の集まりは二月某日にしようと確認しあって、とりあえず解散した。

その後筆者は、石、浦、岩の諸子と飲み直そうということになり、浦がいきつけという八丁堀界隈のバーに赴いた。ところが満員で席がない。そこで、更にその付近にあるショットバーに行ったところ、運よく席が空いていたので、そこでウィスキーを飲むこととした。席といっても、椅子があるわけではない。腰高のラウンドテーブルを囲んで、立ちながら飲むのだ。ロンドンのパブを思わせるような佇まいで、ちょっと洒落た雰囲気が味わえた。そこで飲んだジャック・ダニエルスの水割りがうまかった。





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