恵比寿ガーデンプレイスから東京の夜景を見る

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山子夫妻、落、松の諸子と遅めの新年会を兼ねて小宴を催した。場所は恵比寿ガーデンプレイスの高層ビル38階にある日本料理屋吉祥。約束の時間に一秒の狂いもなく着いて見ると、他の四人はすでに席に着いていた。挨拶をかわしながら自分の席に座る。そこは大きな窓の側にあるテーブル席で、眼下には東京の夜景が広がっている。窓は東の方向に向いているので、正面に東京タワーが、その左右には向かって右側から品川の高層ビル群とレインボーブリッジが、中央部分には赤坂辺りの高層ビル群が、そして左手には池袋や新宿の高層ビル群がつながっている。久しぶりに見る東京のスカイラインは、こうして品川辺りから新宿へかけて、切れ目なく続く高層ビル群の繋がりによって区切られているわけだ。その様子はまるで壮大なパノラマ絵巻を見るようであり、香港の夜景にも劣らぬ見事な眺めだった。

東京の都市景観は、乱雑で調和に欠け、美観とは無縁だと言われてきたが、こうして上から、それも夜景として眺め下して見るとなかなか美しい。余計な部分が暗闇の中に沈み、明るい部分が重なり合いながら浮き上がるさまが、独特の美観を醸し出しているのだろう。これはパリやローマの幾何学的な景観や、ロンドンの落ち着いたたたずまいとはまた別の、アジア的混沌の中から生まれる美観と言えよう。

料理のほうは、先付に続いてふぐの刺身とから揚げ、それに牛肉のしゃぶしゃぶを振る舞われた。しゃぶしゃぶは、肉が好きな松子の拘りである。たまに幹事を変えると、出て来る料理の趣向が異なるというのが面白い。この料理に酒の飲み放題を組み合わせたプランというので、出費について余計な心配なく飲むことができる。今夜は黒龍なる銘酒を心置きなく飲んだ。

会話のほうは、なにしろ思考回路がフリーズしかかった老人ばかりの集まりであるから、取りとめもなく広がってゆく。筆者は最近読んだ本の中から、日本人の思考はおばさん的だという話をした。論理を積み上げてゆくのではなく、ふとしたアナロジーを手掛かりにして、横へ横へと脱線してゆく、それがおばさん的思考の特徴だ。我々の思考もまさにそれで、したがって我々の会話も取り留めもなく広がってゆく。はたからは支離滅裂に聞こえるが、話している当人たちにはそれなりの必然性が働いている。その必然性とは話がアナロジーによって動いてゆくということだ。

そんなとりとめもない話にうつつを抜かしているあいだに時間は淀みなく流れ、あっという間に二時間が過ぎた。普通なら、飲み放題のコースは二時間で打ち止めというところだが、この店はなかなか鷹揚で、二時間が過ぎたあとでも酒の追加を受け入れてくれる。おかげで心置きなく飲むことができた。先日、飲み放題でもないのに時間を制限されて不愉快な思いをした梅の花(船橋店)とは大きな違いだ。

散会の前に次回の旅行のことが話題となり、松子が幹事となって、三月頃に富山方面に行こうということになった。前回の席の締め間際に、今度は加賀で加賀料理を食おうと話し合ったことは、とりあえず棚上げにされた。

山子夫妻はよほどこの店が気に入ったと見えて、仲居さんの写真を記念にとってやったり、自分らが並び立っているところを仲居さんに写してもらったりした。仲居さんの中には青い目の娘さんもいた。





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