網走番外地:石井輝男

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「網走番外地」は「日本侠客伝」及び「昭和残侠伝」と並んで、高倉健をやくざ映画のヒーローにした作品である。この映画によって網走刑務所が一躍有名になり、この刑務所を歌った映画の主題歌は、本編とそれに続くシリーズの連作の中で歌われ続け、長らく巷の流行歌ともなった。だがそれにしてはこの映画は、今から見るとあまり迫力があるとはいえない。約一時間半の上映時間のうち、前半は網走刑務所での囚人たちの生き様が、後半では刑務所を脱走した高倉健たちが北海道の雪原を逃走するシーンが描かれているのであるが、どちらもいまひとつ迫力がないのだ。

網走刑務所内では、囚人たちは10人程度の集団で雑居生活をしているようになっている。囚人たちは色々な罪状で服役している。中にはこそどろのようなけち臭いものもあれば、8人殺したというような凶悪犯もいる。そうした連中の間で、色々な人間模様が繰り返されるというのが、前半部分の売りなのだろうが、映画を見る限り、その人間模様が、あまりにも牧歌的で、とても凶悪な犯罪者の集団とは感じられない。安部徹が演じている牢名主などは、愛嬌を感じさせるほどだ。

筆者は刑務所の中のことには全くの門外漢であるが、軽重さまざまな程度の犯罪者を同じ部屋に雑居させるのは、徳川時代からの日本の牢獄の伝統なのだろうか。徳川時代の牢獄といえば、牢名主というものがいて、それが牢内の秩序を取り仕切っていた。牢名主と牢番とは結託したところがあって、牢番ににらまれた囚人は、牢名主によって散々にいたぶられたという。囚人は牢番によるお仕置きよりも牢名主のいたぶりのほうが応えたと言われるくらいで、かの歌麿も牢名主によるいたぶりが身に応えて出獄後早死にしたほどだ。

刑務所からの脱獄も、高倉健の積極的な意思によるものとはなっていない。彼は雑居坊の仲間の脱走計画に巻き込まれて、半分いやいやながら脱走するのだ。というのも、トラックで懲役現場に運ばれる途中に、トラックから飛び降りて逃げるのだが、その際に仲間の囚人の一人と手錠でつながれていて、その男の脱走に引きずられるような形で逃走が始まるのだ。

そんなわけで、この逃走劇もあまり迫力がない。それは、広大な雪原のなかをただひたすら逃げ回るという設定によるのかもしれないが、それにしても、逃げる二人には脱獄犯としての切羽詰った迫力は感じられない。

また、高倉健演じる犯罪者には、丹波哲郎演じる保護司がかかわっていて、それが脱走シーンの後半部分で出てきて、高倉健たちを追い詰めながらも、健の脱走した事情を知るに及んで俄然同情してしまうというお人よしぶりを発揮する。そんなわけで、刑務所からの脱走という異常な事態を描いている割には、映画はどこかのどかさを感じさせるのである。

この映画は、やくざ映画としての迫力に乏しく、囚人の脱獄映画としてのスリルにも欠けているといわねばならない。にもかかわらずこの映画が、シリーズものとして10作も作られたのは、何と言っても高倉健が歌う主題歌の魅力によったのではないか。そんな風に思わせるほど、この主題歌は優れている。







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