宜春:蕪村の十宜図

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蕪村の「十宜図」シリーズは、池大雅の「十便図」とともに「十便十宜図」と称され、一括して国宝指定されている。この共作を企画したのは大雅だといわれる。大雅がまず、明の文人李漁の漢詩「伊園十便十二宜」の連作をもとに「十便図」を描き、残りの十二宜(実際には十宜)を絵にするよう蕪村に求めたのだった。蕪村はそれに応え、詩文に絵を添えて「十宜図」とした。時に明和八年、蕪村馬歯五十六の年である。

創作のイニシャティブが大雅にあっただけではなく、その内容も大雅のほうが勝っているとの評価が高い。両者の絵を見比べると、その差がわかるような気がする。大雅のほうは、彼本来の画風の延長で、のびのびと描いているという印象が強いのに対して、蕪村のほうは、得意の山水画ではなく、蕪村としては新たな手法に挑んでいるという感じが伝わってくる。そこには明らかに大雅の強い影響が感じられるのである。

こんなわけで、この競作は大雅に軍配があがるとするのがこれまでの大方の見立てだったわけだが、蕪村の絵のほうにも、国宝に指定されたというわけでもないが、それなりに優れたところがある。

両者の絵を並べてみて感じることのもうひとつは、大雅の作品が十点とも強い統一感を感じさせるのに対して、蕪村のほうは、一枚一枚がそれぞれ別のよさを主張しているところがある。たとえば、大雅の場合には、まず画面の右端に漢詩と署名を書き、その後で余白に絵を描いているのに対して、蕪村のほうは先に絵を描き、残った余白に漢詩と署名を書き加えている。その結果、漢詩や署名の位置は、作品によってばらばらである。また、大雅の絵がそれぞれ漢詩の趣をストレートに表現しているのに対して、蕪村の絵は、漢詩の趣を遠巻きに表しているという差異もある。

こんなわけで、一見似ている両者の絵の表現にも、微妙な差異を指摘できるのである。なお、絵のサイズは、20点とも、約18cm四方である。

この絵は、「伊園十二宜詩」のなかから「宜春」をテーマにした一枚。もとになった漢詩は次のようなものである。

  方塘未敢擬西湖  方塘未だ敢て西湖に擬せず
  桃柳曾栽百十株  桃柳曾て栽う百十株
  只少樓船載歌舞  只樓船の歌舞を載するもの少し
  風光原不甚相殊  風光原より甚だ相ひ殊ならず

方塘を西湖に擬しているわけでもないが、周りに(西湖同様)桃柳を百十株植えてみた。ただ歌舞音曲を載せる樓船がないんが残念だ、風光は決して劣らないのに

画面は、池に浮かんだ方塘に桃や柳の木をえがくことで原詩の雰囲気を伝えているつもりのようである。原詩ではこの池を、西湖に比較するのはおこがましいといい、また、西湖のように管弦を乗せた船がないのは遺憾だが、それでも風雅な気持ちにはなれるのではないかと居直っている。そのお直りが、この絵にも表現されているようである。







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