廻文:平家物語巻第六

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頼朝の挙兵に続いて、木曽義仲の動向が語られる。義仲は、頼朝とは従弟の関係にあり、父親の義賢が兄の悪源太義平に殺された後、木曽の山中で豪族に育てられていた。頼朝の挙兵を聞き及んで、自分も信濃から呼応し、平家を滅ぼした上で、頼朝とともに二人将軍になりたいという夢を持つに至る。

廻文とは、自分と共に平家打倒に立ち上がるよう、諸国の豪族に呼びかけた文のことである。信濃と上野の豪族がその呼びかけに応える。義仲はこれらと力をあわせ、北陸道・東山道から都へ向かって軍を進めようと決意する。

以後、平家物語の中心人物は、しばらく義仲が演じることとなる。

~さる程に、其比信濃国に、木曾冠者義仲といふ源氏ありときこえけり。故六条判官為義が次男、帯刀の先生義賢が子なり。父義賢は久寿二年八月十六日、鎌倉の悪源太義平が為に誅せらる。其時義仲二歳なりしを、母なくなくかかへて信濃へこえ、木曾中三兼遠がもとにゆき、「是いかにもして育てて、人になして見せ給へ」といひければ、兼遠受取ッて、かひがひしう廿余年養育す。やうやう長大するままに、力も世にすぐれてつよく、心もならびなく甲なりけり。「ありがたきつよ弓、勢兵、馬の上、徒立、すべて上古の田村・利仁・与五将軍、知頼・保昌・先祖頼光、義家朝臣といふとも、争か是にはまさるべき」とぞ、人申しける。

~或時めのとの兼遠召しての給ひけるは、「兵衛佐頼朝既に謀叛をおこし、東八ケ国をうち従へて、東海道よりのぼり、平家を追落さんとすなり。義仲も東山・北陸両道をしたがへて、今一日も先に平家を攻落し、たとへば、日本国二人の将軍と言はればや」とほのめかしければ、中三兼遠大にかしこまり悦びて、「其にこそ君をば今まで養育し奉れ。かう仰せらるるこそ、誠に八幡殿の御末ともおぼえさせ給へ」とて、やがて謀叛を企てけり。

~兼遠に具せられて、つねは都へのぼり、平家の人々の振舞、ありさまをも見窺ひけり。十三で元服しけるも、八幡へ参り八幡大菩薩の御まへにて、「わが四代の祖父義家朝臣は、此御神の御子となッて、名をば八幡太郎と号しき。かつは其跡を追ふべし」とて、八幡大菩薩の御宝前にて髻とりあげ、木曾次郎義仲とこそつゐ付いたりけれ。兼遠「まづ廻し文候ふべし」とて、信濃国には、、根井の小野太、海野の行親をかたらう語らふに、そむく事なし。是をはじめて信濃一国の兵もの共、なびかぬ草木もなかりけり。上野国に故帯刀先生義賢がよしみにて、田子の郡の兵共、皆従ひつきにけり。平家末になる折を得て、源氏の年来の素懐をとげんとす。





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