歓修寺、随心院:京都観庭記続編その一

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余京都へ旅するごとに古刹の庭を見るを楽しみとなすも、未見の庭いまだ多し。よってそれらを一度に観了せんとて特別に計画を立てたり。あはせて桂・修学院の両離宮をも見物せんとす。老人の趣味なれば同行者を伴はず。一人旅を楽しまんとすなり。

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(歓修寺)

平成廿七年二月廿二日(月)陰。旅行用のキャリーバッグを引いて早朝家を出で、東京駅八時三分初の京都行新幹線ひかり号に乗る。座席に落ち着くや、駅構内の売店にて買ひ求めしサンドウィッチを食ひ、ビールのロング缶を飲む。列車は十時四十七分に京都駅に到着す。

宿は昨年の夏同様駅前のアパ・ヴィラホテルなり。荷物を預けて後、京都駅より電車に乗り、山科にて市営地下鉄に乗り換え、小野に至る。そこよりまづ歓修寺に赴かんとして地図を頼りに歩き出せしが、どうやら方向を誤りたるが如く、あるべくもなき高速道路に突き当たる。道を歩く二人連れの女性に案内を乞ふに、本来駅より西に向かって歩くべき所を北に向かって歩きしが如し。例の方向音痴のなせるわざなり。この日は天曇りて日差しによる方向の確認もなしがたければ、まんまと誤謬に陥りしなり。

歓修寺は醍醐天皇によって創建せられたる古刹なり。庭園は氷室池を中心とする回遊式庭園にて、平安時代の遺構をいまに伝ふる由なり。元禄時代に明正天皇に寄贈せられし宸殿を本堂となし、池の傍らに昭和初期に立てられたる観音堂あり。その観音堂を遠景として庭を撮影す。一服の絵をなすなり。

池の周りを散策するに、女の一人旅するものあり、なにかと声をかけらる。この池には様々なる種類の水鳥ありて、それらが池に憩ふさまが面白しといふ。これらは日中宇治川方面へ遠出し、夕方この池に帰り来るといふなり。いまこの池にあるものは、おそらく怠け者なるべしと、その女と語りあひたり。

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(随心院)

歓修寺を出て小野駅方向に戻り、旧奈良街道を歩みて、十五分ほどして随心院に至る。小野小町と縁の深き寺なり。ここは見事な梅園ありて、三月のなかば以降すばらしき景観を呈するといふなり。この日は梅が咲くには早すぎたれば、表書院にあがりて、座敷の上より庭を眺む。この座敷の奥には、仏壇あり、如意輪観音像を中心にして、諸如来やら金剛薩埵の像を安置す。金剛薩埵像は快慶の作なり。

庭はこじんまりながら、心字池を中心として、石や植栽調和よく配置され、平明かつ大らかな感じを醸しだしてあり。池辺のかえでは秋には見事なさまを呈すべしと見えたり。

旧奈良街道を更に進み、醍醐寺を目指す。この頃より両膝に著しき疲労を感ず。以前より不調の左膝に加へ、右膝にも痛みを感ずるなり。休憩をかねていづくかの食堂に立ち寄らばやと思ひしが、それらしき店を見ず。やっと醍醐寺門前に至って、一軒の蕎麦屋を見出したれば、是非もなく中に入ってにしんそばを注文す。かけそばの上に身欠きにしんの切り身を載せるなり。ここにてビールを飲みつつくつろぐほどに、膝の痛みも和らぐかと思いしが、なかなかさうはならず。痛みをこらへつつ、午後の見物にとりかからんとす。








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