2016年3月アーカイブ

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山、落、松の諸子と越中のおがわ温泉に一泊の湯治の旅を楽しんだ。北陸新幹線に乗って黒部宇奈月温泉駅で降り、そこから差し回しのバスに乗って旅館に直行し、一晩ゆったりと温泉につかったあと、翌日真直ぐ駅まで送られ、そのまま東京に戻るというもので、観光地にはいっさい寄らず、ただひたすら温泉につかるという、至極あっさりとした旅だった。

西芳寺:日本の寺院庭園

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西芳寺の庭園は、日本の室町時代以降の寺院庭園の原型となったものといわれている。これを造ったのは、室町時代初期の禅僧夢窓国師である。彼は天龍寺を作ったことで知られるが、西芳寺の中興の祖として、今に苔寺として伝わるこの庭園を造った。

「ギリシャ人は、自分と同じ性のものへの愛と別の性のものへの愛とを、二つの排他的な選択、根本的に異なる二つの行動類型というふうには対立させていなかった」(「快楽の活用」第四章、田村俶訳)。フーコーはこのように言って、ギリシャ人の間では同性愛、それも特に成人した男と若者との間の同性愛、つまり若者愛が普及していたとする。ギリシャ人の若者愛は、プラトンのテクストなどを通じて、我々にもなじみの深いものであり、恋愛の一つの類型として十分にありうることと考えられてきたが、フーコーはこの問題を、単に一つの趣味をめぐる議論、すなわちどうでもよいようなこととしてではなく、ギリシャ人の<性>にとって根本的な要素をなすものだと考えるのである。

法住寺合戦:平家物語巻第八

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(平家物語絵巻から 法住寺合戦)

義仲の横暴さに手を焼いていた後白河法皇は、壱岐判官知康を遣わして諌めたが、義仲は知康を侮辱して追い返した。そこで知康から義仲討伐を直訴された法皇は、ついに義仲討伐に踏み切った。しかし、法皇側に参じたのは、僧兵や無頼漢たちという有様だった。

処女の泉:イングマル・ベルイマン

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イングマル・ベルイマンの1960年の作品「処女の泉」は、いかにもキリスト教らしい信仰の問題をテーマにしているにもかかわらず、前作の「野いちご」に続き、欧米諸国のほか日本でもヒットした。神の沈黙という重い宗教的なテーマは、キリスト教徒にとってはなじみの深いものだが、日本人には、ほとんど無縁な事柄と言える。それなのにこの映画は日本人にも受け入れられた、というので、映画史上では画期的な作品の一つに数えられる。

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先日船橋で催した熟女たちとの新年会の席上、桜が咲く頃になったら船に乗って、隅田川に浮かびながら夜桜見物をしましょうよ、という話になった。そこで日程の都合をあわせて出かけてみた。五時に浅草の松屋デパートで待ち合わせ、まず浅草堤の桜を見物する。今年は開花が例年より早いと聞いていたのだが、その後寒のもどりがあったりして思いのほか咲き広がらず、まだほんの一分咲きといった状態だ。それでも気の早い連中はいるもので、堤は花見をあてこんで敷かれたブルーシートで埋められている。

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システィナ天井画のなかで、預言者ヨナの対角線上、つまり西側の壁の上部に描かれているのが「預言者ザカリア」の像である。ミケランジェロがシスティナ礼拝堂の天井に描いた七人の預言者のうち、唯一新約聖書に出てくる人物である。

中沢新一「はじまりのレーニン」

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中沢新一は、浅田彰とならんで日本のポストモダンのチャンピオンということになっているが、彼を評価するものはあまり多くはいない。というより、無視される場合が多いのではないか。それは彼独特のエクリチュールに原因があるのだろう。筆者が始めて彼の文章を読んだのは南方熊楠についての一連の解説だったが、それは解説というよりは、熊楠という途方もない巨人に対する中沢の共感を素直な言葉で表現したものであって、論文を読むというよりは、宣命を聞かされているような気がしたものだ。宣命には、この世の不思議に対する深い共感がこだましている、それと同じような共感を中沢は熊楠に抱いて、その驚きの感情を独特のリズムに乗った文章で表現している、そんなふうに感じたものだ。

猫間:平家物語巻第八

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関東から帰京した康貞が、法王に関東の様子を報告したところ、法皇はじめ公家たちは、頼朝の堂々たる風格に感心する一方、それに対比して木曽義仲の無骨振りが笑いの種になるのであった。そこで、義仲の無骨ぶりの例がいくつか紹介される。

野いちご:イングマル・ベルイマン

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イングマル・ベルイマンの映画「野いちご」は、老いと死を追求した作品である。ベルイマンは前作「第七の封印」において、死を人間の外から襲い掛かってくる凶暴な力として描いていたが、この作品では、老いがはぐくみ育てる果実のようなものとして描いている。それは人間にとって避けがたい宿命としては、誰もがたじろがざるをえないものだが、自分の生きてきたことの意味を考えさせずにやまないものとしては、なつかしいものでもある。少なくとも、沈黙を強いる暴力ではない。それはかえって愛の感情を掻き立てる。何故なら愛とは人間の生命に固有のものだからだ。その生命の暖かい営みが消えそうになるとき、人は愛の最後のほとばしりを感じるに違いないのだ。

毛越寺:日本の寺院庭園

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毛越寺は、12世紀の始めに奥州藤原氏によって造営された寺院であり、その庭園は平安時代の浄土式庭園を今に伝えている。堂宇の建物群はことごとく消失し、創建時の姿を伝えるものはないが、池を中心にした庭園の部分は、昔の面影を今に伝えているといわれる。

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第七圏へ下る行く手に崖があり、その一角にミノタウロスが立ちふさがっていた。ミノタウロスはクレテの王ミノスの子であるが、ミノスがポセイドンに生贄を捧げなかったことで怒りを買い、子どもを醜い怪物の姿にされてしまった。その姿は、半人半牛とされている。

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上の写真は、ドナルド・トランプがツイッターに載せたものだ。左がテッド・クルーズの妻ハイディ、右がトランプの妻メラニアのイメージだ。メラニアは若々しい女性として見え、ハイディは鬼婆のように見える。イメージに付されたコメントには、「ばらすまでもない・・・百聞は一見に如かず」とある。

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システィナ礼拝堂天井画のなかで、「最後の審判」の上部に描かれているのが「預言者ヨナ」である。預言者ヨナは、異教徒たるニネヴェの民への改心の進めや、それに続くニネヴェの陥落とアッシリアの滅亡を予言した人として知られるが、それ以上に、巨大な魚の腹の中に飲み込まれた話が、「ヨナ書」を通じて、ことのほか有名である。

ミンドロ島ふたたび

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昭和33年の1月に、南方で死んだ日本兵の遺骨収集船が始めて出るという話を聞いたとき、大岡昇平は大いに衝撃を受け、自分も是非同船したいと願った。その船がミンドロ島にも寄りそうだという話を聞いてからは、自分も行きたいという気持ちが抑えがたくなって、方々へ手を回しては同船できるように画策したが結局かなわなかった。大岡はその船が芝浦桟橋を出る光景をテレビニュースで見て、埠頭で遺族が泣いている光景に釣られて、自分も涙を流して泣いた。そして次のような詩ともつかない文章をつづって、自分を慰めた。

法金剛院:平安時代末期の浄土式庭園

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法金剛院の前身は平安時代初期に創建された天安寺に遡るが、平安時代の末、大治五年(1130)に待賢門院によって再興され法金剛院と称された。庭園はその際に極楽浄土をイメージして造園された「池泉回遊式浄土庭園」である。

古代ギリシャ人にとって、<性>の管理としての快楽の活用は、自己の身体との関係においては養生術という形をとり、女性との関係においては家庭管理術という形をとる、とフーコーは考える。ここで自己とか、女性という言葉が使われるのは、ギリシャ人において、<性>とは基本的に男性の問題だとする前提があるからである。

征夷将軍院宣:平家物語巻第八

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(平家物語から 征夷将軍院宣)

関東に覇権を確立した頼朝に征夷将軍に任命するとの院宣が下される。本来なら頼朝が京都へ院宣を賜りに赴くのが筋だが、頼朝は鎌倉に居ながらにして、朝廷から遣わされた使者の手から院宣を頂戴した。使者は中原泰定である。頼朝は鶴が丘八幡宮で泰定を迎える。泰定は頼朝の威儀に圧倒され、臣下の申し出までする始末。平家物語「征夷将軍院宣」は、そんな頼朝の威風堂々たるさまを語る。

第七の封印:イングマル・ベルイマン

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イングマル・ベルイマンの映画「第七の封印」は、ヨハネの黙示録にある七つの封印の寓話をもとにし、これに中世ヨーロッパにおけるペストの猖獗をからませてある。七つの封印が解かれるごとにこの世に災いが巻き起こり、最後の封印が解かれたあと最後の審判が始まる、というのが黙示録の寓話が物語るところだが、そこに語られたこの世の災いをペストと読み替え、この疫病によって人々が死に絶えた後、最後の審判の幕が落とされる、とするのがこの映画の発しているメッセージだ。したがって、この映画が「宗教映画」と言われることには理由がある。

オバマのレームダック化を狙うGOP

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オバマ大統領が米議会に提起している連邦最高裁の人事案件について、多数派のGOP(共和党)がノーを示している。オバマ大統領の任期がもう少しで切れるため、新大統領が選出されてからにすべきだという理由からだそうだ。

浄瑠璃寺:日本の寺院庭園

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浄瑠璃寺は、11世紀のなかば永承2年(1047年)に創建されたと寺の記録にある。創建当時は薬師如来を本尊としていた。浄瑠璃寺の名称は、薬師如来のいるとされる東方浄瑠璃世界に由来している。その後、12世紀の初め嘉承2年(1107年)に、現存する本堂が建設され、その中に阿弥陀九体仏が安置されたらしい。池の掘削は久安6年(1150年)に行われたようだ。その頃に、阿弥陀堂と池が一体となって、浄土式庭園が成立したと推測される。浄土式庭園としては、宇治の平等院と並んで、もっとも古い由来をもつものである。

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第六圏から第七圏へ下りてゆく途中に高い崖がある。そこで小休止をとりながら、ヴィルジリオは地獄の最も下の諸圏について話す。いままでの六つの圏が上層の圏とすれば、これより下の圏は下層の圏で、そこには今まで以上に罪深き人々が閉じ込められている。

安倍晋三総理大臣が、防衛大学校の卒業式に臨み、自衛隊の幹部候補生たちを前に訓辞を垂れた。曰く、「新しい任務でも、現場の隊員たちが安全を確保しながら適切に実施できるよう、あらゆる場面を想定し、周到に準備しなければならない」。ここで安倍総理が言っている「新しい任務」とか、「周到な準備」とかが何を具体的に意味しているのか気になるところだ。

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デルポイはパルナッソス山の麓にあって、アポロンを祭る神殿があったことで有名である。そこにはアポロンの神託を伝える巫女がいて、ギリシャ全土から人々が集まってきては、巫女の口からアポロンの神託を聞いたという。プルタルコスは、ギリシャの歴史において最も古い起源を有する巫女としている。

渓内謙「現代史を学ぶ」

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渓内謙といえば、日本におけるロシア革命史の第一人者として、かつては一定の影響力をもっていた。そのロシア革命史観は、ロシア革命を社会主義革命のあるべきはずだった形態からの逸脱としながら、そこに社会主義の実現に向けての一定の役割ないし歴史的意義を認めるという点で、カーやドイッチャーと共通する立場に立っていた。彼の啓蒙的な著作「現代社会主義の省察」は、レーニンが始めた社会主義革命を、スターリンがゆがめたというという見方を展開して見せたもので、レーニンからスターリン体制への移行を、革命の知的巨人から「知的ピグミー」たちへの移行として捉えていた。

今年(2016年)のアカデミー賞授賞式は、歴史上もっとも後味の悪いものになったようだ。露骨な人種差別発言が、誰はばかることなく横行したからだ。主催者はそれをチェックできず、結果として野放しにしたことで、人種差別に一役買う形となった。

経正都落:平家物語巻第七

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(平家物語絵巻から 経正都落)

都落する平家の一門の中で、忠度とならんで風流を感じさせるものは経盛の長男経正である。忠度が和歌の道を志したのに対して、経正は音楽の名手だった。経正は幼少の頃から、仁和寺の御室(後白河法皇の皇子守覚法親王)に親しく愛されていた。そこで、都落ちするにあたり、仁和寺に立ち寄って御室に別れの挨拶をする傍ら、青山という琵琶の名器を託した。

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この映画を一言で定義づければあきれた恋愛ゲームということになろうか。ゲームだからプレーヤーがいて、アンパイヤもいる。この映画の場合、アンパイヤは一人の中年女であり、プレーヤーは彼女をめぐって恋敵の関係にある二人の男だ。この二人の男を、アンパイヤの女が、男たちの妻や家族ともども、自分の母親の屋敷に招待し、そこで恋愛ゲームを繰り広げるというのが、この映画のあらすじだ。あらすじと言っても、物語としてのあらすじではない。この映画には物語はない。あるのは、ゲームに特有の、人間同士の駆け引きなのである。

峨眉山で四川料理を食う

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旧友の秋子が九州の豊前から久しぶりに東京へ出て来るというので、昔の仲間が声を掛け合って歓迎会を催した。場所は曙橋近くの外苑東通りに面した峨眉山という四川料理屋。集まったメンバーは、福、石、岩、浦、柳、鈴、梶、錦、甲谷の諸子、合せて十一名だ。中には十年ぶりに顔を合わせる者もいる。

平等院:日本の寺院庭園

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現存する日本の寺院庭園でもっとも古い起源を有するものは、宇治の平等院の庭園である。平安時代の後期に藤原頼道によって造営されたこの寺院は、極楽浄土をイメージして作られたため、その庭園は浄土式庭園と呼ばれる。今日に伝わる浄土式庭園としては、奈良北郊の浄瑠璃寺や平泉の毛越寺が上げられる。

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ダンテらが墓場のあたりを歩いていると、一人の男呼び止められる。その男はダンテと同じ故郷の者フィレンツェ人であり、ダンテにとっては敵の党派の一員ファリナータであった。彼らの党派はダンテの党派たるグェルフィ党を二度にわたってフィレンツェから追放したのであった。

安倍政権が立ち上げた「国際金融経済分析会合」に、スティグリッツ博士に続いてハーヴァード大学のジョルゲンソン教授を招き発言させた。このジョルゲンソンなる人物のことを筆者は詳しくは知らないので、あまり突っ込んだことも言えないのだが、その発言を聞いた限りでは、どうやら市場原理主義者の類に属するようだ。今の時勢に、経済を活性化するために投資を拡大する必要があり、そのためには投資減税をする一方、財政規律を保つために消費増税をするべきだといっているところからそう判断される。

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イザヤは、旧約の預言者のなかで最も偉大な預言者といわれる。旧約の数ある預言書の中で最初に来るのはイザヤの予言を記した「イザヤ書」である。また彼は、キリスト教徒にとってとりわけ評判が高い。というのも、キリストの登場とキリストによる救済を最初に予言したのがイザヤだとされているからである。

従軍記者:大岡昇平「レイテ戦記」

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レイテ島には10人の報道記者が渡った。うち9人は、第一師団の輸送船に便乗して、マニラから渡ってきた者たちだった。内訳は、影山三郎(朝日)、久松亦男(毎日)、早川憲治(読売)、野口勇一(同盟)、春日武弥(同盟カメラマン)、潮田三代治(日映カメラマン)、蔡稔(潮田助手、台湾人)、橋本修一(マニラ新聞)、佐々木暉生(同盟無線オペレーター)、残りの1人は同盟セブ支局の斎藤桂助である。

安倍政権が「国際金融経済分析会合」なるものを立ち上げ、それにノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ博士を呼んで意見を聞いた。この会合は、表向きは伊勢志摩サミットの準備のためのもので、今後の世界経済の動向を占うという意義を持たされているが、実は消費税増税の再延期のための布石ではないかとの見方がなされている。国内の議論だけではなく、国際的な議論をしたというお墨付きを得て、消費税増税再延期を理屈付けしようとしているのではないか、というわけである。とすれば安倍政権は、困ったときの神頼みではないが、ノーベル賞経済学者のブランドを利用して自分たちの思惑に箔をつけようとしていることになる。

歓修寺:日本の寺院庭園

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歓修寺は醍醐天皇によって昌泰三年(900)に創建された古い寺である。南北朝時代に後伏見天皇の皇子の寛胤法親王が長吏となって以来宮門跡寺院となったが、戦国時代以降は荒廃したものを、徳川時代に再興された。現在の宸殿は、元禄10年(1697年)に明正天皇の旧殿を下賜されたものという。

ギリシャ人における性の経験

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フーコーは「性の歴史」の中で、ギリシャ人の性についての経験を四つの「主軸」にもとづいて考察している。その四つとは、「身体との関係、妻との関係、若者との関係、そして真理との関係」(「快楽の活用」田村俶訳、以下同じ)である。身体との関係とは、性を自己管理のひとつの形式として捉えるものであり、そこでは性は快楽をもたらすものであるとともに、それ以上に自己鍛錬の問題として現れる。妻との関係は家庭管理の、若者との関係は同性愛の、それぞれ問題であるが、これらの領域では権力の要素が強く働いているとされる。最後の真理との関係とは、性を単なる快楽の問題としてではなく、真理の問題として捉えるものであり、これこそが性をめぐるギリシャ人のもっともユニークな態度なのだとフーコーは考えているようなのである。

18歳選挙権で高校生の政治活動を監視

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選挙権年齢の18歳への引き下げに伴い、高校生の政治活動を監視しようとする動きが出てきている。たとえば愛媛県では、県立高校の生徒に対して、校外の政治活動に参加する場合には学校に事前に届けることを義務づけるような動きが出ている。今のところは校則を変更する場合の参考という位置づけにして、必ずしもすべての学校にそうしろと強制するつもりはないと教育委員会は言っているらしいが、これが学校に対するプレッシャーになるだろうことは、多くの識者が指摘するとおりだ。

忠度都落:平家物語巻第七

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木曽義仲に全面的に敗退した平家は、義仲が京都に迫るのを前に大混乱に陥り、宗盛を筆頭に、安徳天皇を擁して都落ちすることとなった。当面落ち行く先は西国である。平家は、人質代わりに後白河法皇も連れてゆこうとしたが、法皇はその動きを事前に察知し、鞍馬寺に逃れた。平家は京都を去るに当たって、一門や家来たちの宿所のほか京白河辺の民家数万戸にも火をかけ焼き払った。

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イングマル・ベルイマンは、20世紀を代表する映画監督という評価が確立している。年表を見ると、第二次大戦直後から精力的に映画作りをしているが、広く知られるようになったのは、1952年公開の「不良少女モニカ(Sommaren med Monika)」である。この映画は、スウェーデンというヨーロッパの周縁部を舞台としていることや、一人の不良少女の神を恐れぬ奔放な生き方をテーマにしていることから、欧米の映画界にある種のセンセーションを巻き起こした。映画のかもし出すドライな雰囲気は、フランスのヌーヴェルヴァーグなどに大きな影響を与えもした。

神泉苑:日本の庭園

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神泉苑は、京都で最も古い由来を持つ庭園だ。そもそも平安京造成の際に、禁園として作られた。その折には南北400メートル、東西200メートルにわたる広大な庭園で、平安京の創始者桓武天皇をはじめ、歴代天皇や皇族たちが舟遊びや狩猟を楽しんだという。

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天使は怪物を一喝して門をあけさせると、彼らには何もいわずに引き返していった。さながら他に急ぎの用事があるように。そこでダンテとヴィルジリオは、ディーテの町に中へと入って行く。

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クマエの巫女は、ウェルギリウスの「アエネーイス」に冥界への案内者として登場する。また、ローマの神話では、アポロンから1000年の寿命を授けられたが、若さを保つ方法を授からなかったので、年をとって皺くちゃとなり、やがて萎んでいったと伝えられている。

内田樹、松下正己「映画は死んだ」

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内田樹と松下正己は中学生のときに不思議な縁で結びついて以来、主に映画を仲立ちとして付き合ってきたそうだ。しかし二人の映画についての趣味は全く異なっていたらしい。にもかかわらず、共同して映画についての本を書くこととなった。この本はその共同の成果というわけである。内田が前書で言っている通り、松下のものは読むと肩こりする体のものであり、内田のものは例によって肩がこらない。

実盛:平家物語巻第七

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倶利伽羅峠で敗走した平家は、体勢を立て直して、加賀の篠原で再び義仲軍と対戦する。しかし平家は、四万の軍を動員したにかかわらず、一方的に破れ、敗戦後鎧を着けていたものはわずか四・五騎という惨憺たる有様だった。そんな平家軍のなかに只一人、異彩を放った武将がいた。斎藤別当実盛である。実盛は七十歳を超える老人であったにもかかわらず、白髪を染めて、若い者に混じって戦った。その勇猛な戦いぶりを、平家物語は同情を込めて語っている。

少年:大島渚

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大島渚の映画「少年」は、所謂当り屋をテーマにした作品である。当り屋というのは、故意に車にぶつかって事故と見せかけ、相手から多額の金品を脅し取るというもので、1960年代までは、よく聞く話だった。映画化されたこともある。しかし、この映画「少年」が描いているのは、大人が少年に体当たりさせ、その痛みをたねにして金を脅し取るという尾籠な世界である。これは実際にあった事件で、当時の報道も大々的に取り上げた。大島はその内容を詳しく知るに及んで、これが現代(大島が生きていた1960年代の日本)の世相の一面を如実に反映したものだと感じ、是非映画化したいと思って、取り組んだということである。

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先日の四方山話の会の卓上、福子が「態変」という関西の劇団が東京公演するから見に行かないかと提案したことについてはこのブログでも触れたとおりだが、昨夜(3月11日)同好の諸子と見に行った。場所は高円寺北口の区立劇場「座・高円寺」だ。筆者のほか、石、浦、七谷及び岩子夫妻の6人が集まった。言いだしっぺの福子は何故か参加しなかった。開演までわずかだが時間があるというので、二階のカフェでビールを飲みながら簡単な食事をした。筆者はビーフカレーを食った。

宜雨:蕪村の十宜図

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蕪村の十宜図から「宜雨」図。もとになった李漁の漢詩「伊園十宜」のうち「宜雨」は次のとおりである。

  小漲新添欲吼灘  小さく漲り新たに添ひ灘に吼えんと欲す
  漁樵散去野簑寒  漁樵散じ去って野簑寒し
  溪山多少空濛色  溪山多少の空濛の色
  付與詩人獨自看  詩人に付與して獨り自から看ん

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ダンテとヴィルジリオがステュクスを船で渡ってディーテの町の門前に至ると、そこにはさまざまな怪物が待ち構えていて彼らを追い払おうとする。さすがのヴィルジリオも、これまでのように、彼らを脅かして無理に入ることができないでいる。怪物のなかでも手ごわく見えたのは、復讐の三女神エリニュス、その姿を目にしたものを石に変えてしまうというメドューサ、そして見た者を永遠に地獄へ閉じ込めるというゴルゴンなどであった。

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ダニエルはバビロンに捕囚された預言者で、その類稀な能力によって、ネブカドネサル、ペルシャザール、ダレイオスという三代のバビロン王に重用された。「ダニエル書」は、ダニエルの足跡を記すとともに、世界の終末についてのダニエルの予言を記述したものである。

抗日ゲリラ:大岡昇平「レイテ戦記」

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レイテ島の日本兵は、対米戦のほかにフィリピン人のゲリラ部隊とも戦わねばならなかった。第16師団がレイテ島に進駐した昭和19年の春から、早速フィリピン人ゲリラ部隊との戦いが始まり、米軍が上陸して山岳地帯に向け後退した後も、不断にゲリラの攻撃に悩まされた。レイテ島のゲリラ部隊は、カングレオン大佐率いる93師団が中心で、その規模は三個連隊、1500人程度だったと大岡は推測している。一方ゲリラ側は、5000人の兵士を擁し、19年春から同年9月末までの間に、日本軍と307回交戦し、戦士3869、戦傷485、俘虜55の戦果を上げたと自慢している。対して自分側の損害は戦死36、戦傷4、俘虜22と称しているから、これは「笑うべき天文学的誇張である」と大岡も嘲笑している。

宜風:蕪村の十宜図

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蕪村の十宜図から「宜風」図。もとになった李漁の漢詩「伊園十宜」のうち「宜風」は次のとおりである。

  鳥歸花樹蝶過墻  鳥花樹に歸って蝶墻を過ぐ
  花與鄰花貿易香  花と鄰花と香を貿易す
  聼罷松濤觀水面  松濤を聼き罷みて水面を觀れば
  殘紅皺処又成章  殘紅皺む処又章を成す

フーコー「快楽の活用」

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フーコーが「知への意思」の中で始めて「性の歴史」の全体構想について語った際には、それは時代としては古典主義時代以降をカバーし、領域としてはセクシュアリティの発現されている領域、すなわち「肉体と身体」、「少年十字軍(子どもの性の社会的管理)」、「女と母とヒステリー患者」、「性倒錯者たち」、「人口と種族」を対象としたものになるはずだった。ところが、「知への意思」から八年を経て発表された「性の歴史」第二編「快楽の活用」は、この当初の全体構想から大きくはずれたものになっていた。それは時代的には一気に古代ギリシャ(紀元前四世紀頃)に遡り、対象となる領域もギリシャ人の性へのかかわりに限定されていた。ギリシャ人が性を自己管理の一環として考えていたこと、結婚生活における性と婚外性交における性を厳しく峻別していたこと、女性への愛だけではなく若者への愛が重要な位置を占めていたことなどを、これまでとは異なった視点から分析しているのである。

倶利迦羅落:平家物語巻第七

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(平家物語絵巻から 倶利迦羅落)

義経以前に源氏側の戦上手として登場した義仲の、最初の桧舞台となるのが倶利迦羅峠の戦いである。平家が義仲追討のために遣わした七万の大軍と、越中・加賀の国境倶利迦羅峠であいまみゆる事態となった義仲は、数の不利を知略で補って、みごと平家軍を撃退する。

極道の妻たち:五社英雄

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「極道の妻たち」シリーズは、東映やくざ映画の黄金期が終わったあとに始まった、いわば付録のようなものだが、このシリーズで岩下志麻が大女優としての名声を確固たるものにした。だからこのシリーズは、岩下志麻のために作られたと言ってよいほどである。

宜陰:蕪村の十宜図

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蕪村の十宜図から「宜陰」図。もとになった李漁の漢詩「伊園十宜」のうち「宜陰」は次のとおりである。

  煙霧蒙蒙莫展開  煙霧蒙蒙として展開せず
  好詩憑著黑云催  好詩は黑云の催せるあいだ(憑著)になる
  卷帘放卻觀天眼  帘(すだれ)を卷いて放卻し天眼もて觀れば
  多少奇峰作意來  多少の奇峰作意來る

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ダンテとヴィルジリオがスチュクスの沼を船で進んで行くと、やがて一人の亡者が現れて船に乗ろうとする。その亡者をヴィルジリオは船に乗せじと、沼へ突き落そうとする。

新国立競技場の設計過程で、聖火台の設置が想定されていなかった問題で、批判の矛先になっている大会組織委員会の森某会長が、身内とも言うべきラグビー関係者の会合の席で、大いに反論したそうだ。森会長によれば、今回の問題の責任は組織委員会ではなく、建設の事業主である日本スポーツ振興センター(JSC)と馳浩文部科学相にある。とくにJSCの責任は大きい。こういう「少し頭のおかしな連中が、聖火台を忘れた設計図を作った」と言って、自分たち組織委員会は被害者だと言わんばかりだ。

米紙WPが安倍政権の言論統制を批判

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安倍政権によるメディアへの言論統制は、日本の国内では大した抵抗に合わず、着々と成果を上げているように見える。先日は、電波を所管する総務大臣が、政治的公正を逸脱したと自分の判断したものには、電波を停止すると発言し、安倍総理もそれを追認したところだが、この「脅迫」に対して各放送局は、何ら効果的な反論をしないばかりか、萎縮しているようにも見える。そこをまた安倍政権側が見透すかして、ますますかさにかかって統制の圧力を高めている、というのが今の日本の言論をめぐるお寒い状況だ。そのお寒い状況をアメリカのメディア、ワシントンポスト紙(WP)が、わざわざ社説で批判している。それを参考のために引用しておきたい。

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リビアの巫女とは、リビア砂漠のオアシス都市シワでゼウスの神託を人々に伝えていたフォモノエーという名の女性だったとされる。パウサニアスによれば、不死のニンフと人間の男とのあいだに生まれたといい、また他の伝説によれば、ゼウスがラミアに生ませた子だともいう。そういう神話的な伝説が物語るように、シビュラの中でもっとも古い時代の人である。

小林丈広外「京都の歴史を歩く」

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京都に関する数あるガイドブックの中でも、京都の歴史をテーマにしたものが結構出ていると思うが、岩波新書から最近出た「京都の歴史を歩く」はかなり本格的な本だ。三人の京都研究者が、六年もかけて、岩波新書の編集者と共に京都の様々な街を歩き回り、それぞれの街の歴史を京都全体の歴史とかかわらせながら丁寧に読み解いている。時間と労力をたっぷりとかけた贅沢な本なのである。この本を通じて筆者は、京都の街についてのまた違った見方を教えられた。

祇園女御:平家物語巻第六

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清盛の死にからめて、清盛をめぐる逸話がいくつか披露される。清盛の出生にまつわる巷説もそのひとつだ。「祇園女御」の章で語られるその巷説とは、清盛が忠盛の子ではなく、白河院の子だったと言うものだ。清盛があれほど順調に出世できたのは、清盛が天子の種だとすれば、おかしなことではない。そう言いながら、清盛の出生の秘密を、さも本当のことのように語るのである。

仁義なき戦い 頂上作戦:深作欣二

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「仁義なき戦い」シリーズの第四作目「頂上作戦」は、深作欣二の監督によるこのシリーズ最後の作品である。戦後まもなくの頃から繰り広げられてきた広島やくざの抗争が、市民社会によって糾弾され、表舞台から消滅してゆくところを描いている。そんなこともあって、この映画は、先行する作品群に比べて迫力に欠けるところがある。主人公の広能(菅原文太)は途中からいなくなってしまうし、やくざ同士の抗争も、たがが外れて筋の通ったところがない。闇雲に殺しあっているといった印象を受ける。

辺野古の米軍基地建設工事を巡って、安倍政権と沖縄県が訴訟合戦を展開して全面対決しているさなか、裁判所から出された和解勧告に、当初は従うつもりのなかった安倍政権が従う判断に傾いた。これを大方のディアは、翁長沖縄県知事の粘り勝ちのように報道しているが、ことはそう単純なものではない。

南禅寺、蓮華寺:京都観庭記続編その七

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(南禅寺山門)

二月廿五日(木)晴。八時に起床、朝餉を喫して後、十時近くにホテルを辞す。荷物を駅構内のコインロッカーに預け、5系統のバスに乗り、南禅寺・永観堂道停留所にて下車、路地を歩むこと十分ほどして南禅寺山門前に至る。

宜晴:蕪村の十宜図

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蕪村の十宜図から「宜晴」図。もとになった李漁の漢詩「伊園十宜」のうち「宜晴」はつぎのとおりである。

  水淡山濃瀑布寒  水淡く山濃くして瀑布寒し
  不須登眺自然寬  登眺するを須(もち)いずして自然寬かなり
  誰將一幅王摩詰  誰か一幅の王摩詰を將(もっ)て
  曬向當門倩我看  當門に曬(かざ)し向かひて我に看んことを倩ふ

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ダンテとヴィルジリオが塔の下にたどり着くと、やがて一艘の舟がやってきて、二人を乗せ、ディーテへ向かって進んで行く。ディーテはスチュクスの沼に囲繞された町で、堕天使と重罪人が落ちるところだとされる。

野田さん、今度はアンタの番だ

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民主党の野田前総理大臣が連合の会合で挨拶に立ち、その中で現在岡田執行部が進めている野党再編に触れて持論を述べたそうだ。岡田さんが維新と合併しようとしていることについては、自分は不本意ながら同意する。しかし、野党結集の名のもとに小沢一郎と手を結ぶことは許せない、そんな趣旨のことを述べたという。その理由は、小沢一郎がごちゃごちゃと口を出したおかげで、民主党が分裂し、いまのような体たらくに陥った、その責任はあげて小沢一人にある、といった口吻のようだ。

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(妙心寺 桂春院)

食後天龍寺の塔頭宝厳院に赴くも、門を閉ざしてあり。しかして何らの表示もなさず。定休日なるや長期間の休止なるやを知るあたはず。

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「ヨエル書」は、十二編からなる小預言書の二番目に位置するものである。時代背景についての記述がないに等しいので、いつの時代に書かれたのか厳密なことがわからない。バビロン捕囚以前に書かれたという説や、もっと新しい時代のものだとする説が入り混じっている。

遊兵と人肉食:大岡昇平「レイテ戦記」

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レイテ島の日本軍からは多くの遊兵が生まれた。激戦地での戦線から自分の意思で離脱したもの、怪我や病気がもとで友軍の足手まといになり切り捨てられてしまったもの、あるいは所属部隊が全滅状態になって、自分だけあるいは少数の兵が生き残ってしまい行き場を失って放浪するようになったもの、など理由は様々だったと思われる。大岡自身もミンドロ島で遊兵のような状態に陥ったのだが、それは友軍が壊滅状態になって、組織の態をなさなくなったことの結果だった。

桂離宮:京都観庭記続編その五

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(桂離宮 天橋立)

二月廿五日(水)半陰半晴。この日は桂離宮を見物す。十時参観組の許可証を交付せられてあれば、昨日より時間の余裕あり。朝食を喫して八時半にホテルを出で、京都駅前より八時四十五分発三十三系統のバスに乗り、九時十分頃桂離宮前停留所に至り、桂離宮正面受付に九時二十分頃到着す。正式の入場門は工事中にて閉ざされてあり、その横手に設けられたる仮説の入口をくぐって中に入る。昨日同様別棟にて事前案内を聞き、十時丁度に女性係員に先導せられて構内の見物を開始す。

宜晩:蕪村の十宜図

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蕪村の十宜図から「宜晩」図。もとになった李漁の漢詩「伊園十宜」のうち「宜晩」は次のとおりである。

  牧兒歸去釣翁休  牧兒歸り去って釣翁休む
  畫上無人分外幽  畫上に人の分外に幽たる無し
  對面好山才別去  好山に對面して才(わずか)に別れ去る
  當頭明月又相留  當頭明月又た相ひ留まる

ブルジョワジーの権力が「性=生」を中心点にして成り立っていることを指摘したフーコーは、それを「生に対する権力」あるいは「生―権力」と名づけたうえ、それを強調する意味合いで、古典的な権力である君主の権力すなわち臣民に対する「生殺与奪の権」と対比させる。「知への意思」の最終章である「死に対する権利と生に対する権力」は、この両者の対比を通じて、近代ヨーロッパ社会におけるブルジョワジーの権力の歴史的な特殊性について論じたものだ。

大徳寺、知恩院:京都観庭記続編その四

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(大徳寺山門)

曼殊院にてタクシーを呼び寄せ大徳寺に至る。大徳寺は洛北の大寺にて鎌倉時代末期創建になる禅寺なり。徳川時代には朝鮮通信使の宿所にもなれり。大規模の使節団を収容するに足る大寺院はさうはあらざれば、大徳寺の規模の壮大さを知るべきなり。

入道死去:平家物語巻第六

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(平家物語絵巻から 入道死去)

平家物語巻第六「入道死去」の章は、清盛の壮絶な最後を劇的な調子で語る。清盛は、宗盛を総大将とする平家軍が東国に向けて出陣する直前に、にわかに熱病にかかり、床に就いた。熱は尋常ならず、四五間以内に近づいただけで耐え難い暑さを感じ、水風呂に入れればたちまち沸騰する有様。もはや助かるまいと思われた。それを知った都の人々は、「それみたことか」とささやきあったが、それは清盛がいかに人徳に欠けていたかを物語る風景であった。

仁義なき戦い 代理戦争:深作欣二

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仁義なき戦いシリーズの第三作「代理戦争」は、広島のやくざ同士の対立が神戸に本拠を置く広域暴力団同士の抗争に巻き込まれ、その代理戦争の観を呈していく有様を描く。当時は米ソの冷戦時代であり、朝鮮戦争以来世界各地で米ソの代理戦争とも言うべき小競り合いが起こっていた。この映画はそれをイメージしたものである。神戸に根拠を置く二つの広域暴力団を米ソにたとえ、広島の田舎やくざが広域暴力団の傀儡となって戦いあう様を、代理戦争と言ったわけである。

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(修学院離宮 下の離宮)

二月廿三日(火)陰、時に晴る。この日は修学院離宮より九時開始の見物案内許可を得たれば、朝食後七時半頃ホテルを出で、京都駅より地下鉄烏丸線に乗って終点の国際会館前にて降り、そこよりタクシーを雇ひて離宮に至る。離宮へは八時半頃に到着す。門前に揃ひの半被を着たる集団あり。襟元に熱田神宮豊年講とあり。その数三十名ほど。いづれも老人ばかりなり。この人々とともに案内せらるるのやと思ひしや、彼等は離宮の係員に先導されて別途中に入りたり。門前に立ち止まりて開門を持ちをりし我々ほかの者は、これらの人々とは別に、簡易建物のなかに案内せられ、そこにて離宮紹介のビデオを見せられて後、離宮の係員に案内せられ離宮内を巡覧して歩く。

宜暁:蕪村の十宜図

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蕪村の十宜図から「宜暁」。もとになった李漁の漢詩「伊園十宜」のうち「宜暁」は次のとおりである。

  開窗放出隔宵雲  窗を開けて放ち出づれば宵雲隔たる
  近水樓臺易得昕  水に近き樓臺は昕(あした)を得易し
  不向池中觀日色  池中に向はずして日色を觀つつ
  但從壁上看波紋  但だ壁上に從って波紋を看る

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第五圏にはスュクスという沼がある。その沼には泥にまみれた人々が互いにきずつけあっていた。その様を二人は見る。

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