大徳寺、知恩院:京都観庭記続編その四

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(大徳寺山門)

曼殊院にてタクシーを呼び寄せ大徳寺に至る。大徳寺は洛北の大寺にて鎌倉時代末期創建になる禅寺なり。徳川時代には朝鮮通信使の宿所にもなれり。大規模の使節団を収容するに足る大寺院はさうはあらざれば、大徳寺の規模の壮大さを知るべきなり。

南側に勅旨門あり、それをくぐれば山門、仏殿、法堂、方丈南北一列に並び立つなり。この日は東側の門より入り、まず龍源院を訪ぬるに、目下工事中とて非公開なり。ここには室町時代の枯山水あり。このたび最も期待せしところなれば残念なり。ついで本坊奥の大仙院を訪ぬ。ここは公開しをりたれど、撮影を一切許さず。受付の老婆よりカメラはカバンに収めるか受付に預けろといはる。いささか落胆せり。

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(高桐院)

ついで高桐院を訪ふ。ここはうるさきことを一切いはず、撮影も自由なり。もともと細川氏の菩提寺のやうなれば、縟礼にこだはらずといふことか。庭園を徘徊することも得て、なかなかいい気分なり。

庭は地面を苔もて覆ひ、ところどころ樹木を配する枯山水なり。枯山水としては型破りのところありて、ほぼ真ん中に石灯籠を立ててあり。

北大路通りに出て食堂を探せしが、それらしきものを見ず。やむを得ず通りがかりのバスに乗り、祇園の停留所にて下車、東大路に面する蕎麦屋に入って「地鶏なんば」なるうどんを注文す。関東でいふ「鶏南蛮」のことかと思いひしが、鶏肉もネギもあらかじめ焼かず、そのまま煮込んであり。これを関東にては「かしわうどん」といふなり。

ビールを飲みつつうどんを食ひをるに、中国人の家族連れ店内に入らんとするを店の女中中国人はお断りとて追ひ返す。そのやり取りを見て聊か肝を抜かる。また、和服姿の少女四人中に入って席に着くやうどんを二杯とオレンジジュースを二つ注文す。すると女中がいふには、この店は食事どころなれば食事を注文せざる客はお断りなり、人数分食事を注文するか、他の店に行くかどちらかにしてくなはれ、と。少女ら互ひの顔を見ながら思案しをりしが、やがて席を立って去れり。余この様子を見てふたたび肝を抜かる。この店の女たちは、いかなる了見からか、客を客と思はず、自らやりたい放題なり。これをなんといはんか、因業婆といひつべし。まともな死に方は期待すべからず。

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(知恩院方丈庭園)

食後知恩院に至り方丈庭園を見物。目下御影堂修理中にて、阿弥陀堂の先より入る。この庭園は、徳川時代に造営せられたる池泉回遊式庭園なり。方丈の建物をめぐって鍵型の池を掘り、池の周囲に多くの石組と鬱蒼たる樹木を配し幽玄の趣を演出す。

折から、法然上人御堂にては法事の読経催されてあり。信者の求めに応じ、適宜法要を執り行うといふ。この日は、男女二人の信者坊主の読経に耳を傾けながら念仏を唱へてあり。坊主の読経心なしかおざなりに聞こえたり。

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(円山公園のしだれざくら)

円山公園を歩むに、和服をだらしなく着たる二人の女を見る。中国語を声高に話しつつ歩きすぎぬ。また、韓国人の母子より声をかけらる。母らしき老女余に手帳を示して南門と書き、韓国語もてしきりに語りかける。余その意を解せず、どうやら八坂神社の南楼門のことのやうなれば、南楼門の方角を指すに礼をいひて去りぬ。

三時半頃ホテルに戻り、しばし休息して後、六時過にホテルを出て、バスに乗って四条河原町に下車。先斗町通りを歩みて、落合氏に紹介せられし山とみなる店を探す。見当たらずして三条通りに突き出る。土地の女性に案内を乞ひ、大方の見当をつけて、通りを引き返して店を探す。店は見つけたれどこの日は休店とあり。仕方なく付近のうなぎ屋に入り関西風のうな重を食ふ。関東のものに比して色・味ともに趣の異なるを感ず。うなぎはやはり関東風が美味といふべし。

再びバスに乗りてホテルに戻る。入浴して一日の日記を整理し、ウィスキーを舐めつつひとときをくつろぐこと昨日の如し。







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