桂離宮:京都観庭記続編その五

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(桂離宮 天橋立)

二月廿五日(水)半陰半晴。この日は桂離宮を見物す。十時参観組の許可証を交付せられてあれば、昨日より時間の余裕あり。朝食を喫して八時半にホテルを出で、京都駅前より八時四十五分発三十三系統のバスに乗り、九時十分頃桂離宮前停留所に至り、桂離宮正面受付に九時二十分頃到着す。正式の入場門は工事中にて閉ざされてあり、その横手に設けられたる仮説の入口をくぐって中に入る。昨日同様別棟にて事前案内を聞き、十時丁度に女性係員に先導せられて構内の見物を開始す。

まず、桂離宮の沿革についての説明あり。桂離宮はもともと後陽成天皇の弟君八条の宮の別荘として建てらる。八条の宮智仁親王は秀吉の養子に立てられしが、秀吉に子が生まるるや厄介払となり、その埋め合せとて宮家の創設を許されたるなり。この別荘は智仁の死後一旦荒廃しかけたるものの、その子智忠親王の代になって復興増築が進み、寛文年間(1660年代)に今日の形を整ふるに至る。その後火事等の災害を蒙らず、ほぼ創建時と同じ姿を伝ふる由なり。なほ、明治に入り宮家が断絶するに及んで皇室財産に移管され、桂離宮と命名せらたりといふ

離宮の敷地は二万坪あまりにて、中央に巨大な池を掘り、池の周囲に書院をはじめ様々な建物を配す。いづれも月見を旨としたものにて、四つある茶庭はそれぞれ四季に応じて月を見るための工夫なされてあるといふ。また池の上には大小五つの島を浮かべ、それらの島々を土橋・石橋・板橋もて結びたり。

池まはりの散策路を周遊するに一時間あまりを要す。途中の地形は高低の変化に富み、眺めも頗る優雅なり。なかでも最高の眺めは、池の東側の一角にしつらへられたる洲浜と天の橋立と称する石組なり(上の写真)。

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(松琴亭)

天の橋立の南に接する細長き島の先端に松琴亭と称する茶庭あり。松琴の銘は後拾遺集の「琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ」よりとるといふ。春の月を見るために工夫せられたる茶庭なれど、春以外にも月を見ることを得るは無論なり。

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(園林堂)

松琴亭の先なる島は一段と小高く盛り上がり、その頂に賞花亭なる茶室あり。避暑を旨として作られしといふ。その高さは約六メートル、池を掘った土を盛って山となしたる由。更に一段と高くするに土は十分足りたれど、書院から月を見るためにこの高さに押さへたる由。風流のきはみといふべし。

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(書院)

書院は古書院、中書院、新書院の三棟より成る。古書院は智仁親王によって作られ、中書院は智忠親王によって増築せられ、新書院は同親王が後水尾上皇を迎ふるために作られたるよし。古書院の縁側には六畳ほどの大きさの月見台設へられてあり。古人の月を愛でたるさま、これを以て知るべし。

参観後離宮を出で、歩みて桂駅に向かふ。途中離宮外回りの生垣をよくよく観察するに、先ほどの案内人のいふとおり、笹竹を組み合せたる野趣豊かな生垣なり。笹の葉の風を受けてそよぐさま、いかにも風情を感ぜしめたり。

地図を持参せざれば、方角の見当をつけつつ道を行くに、方向音痴のこととてまたもや道に迷ひ、通りがかりの人々に尋ねつつ、二十分余りを費やしてやうやく駅に至る、普通ならば十分足らずの行程なり。

桂駅より阪急電車に乗りて嵐山に至り、渡月橋を渡って、天龍寺参道のうどん屋に入る。そこにてビールとてんぷらうどんを注文し、こはばりたる両膝を手づから按摩す。






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