神泉苑:日本の庭園

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神泉苑は、京都で最も古い由来を持つ庭園だ。そもそも平安京造成の際に、禁園として作られた。その折には南北400メートル、東西200メートルにわたる広大な庭園で、平安京の創始者桓武天皇をはじめ、歴代天皇や皇族たちが舟遊びや狩猟を楽しんだという。

神泉苑は、内裏から見て裏鬼門の方角にあたるところから、都の守護にとって重要な場所と観念され、国家鎮護のための様々な儀式も執り行われた。疫病封じのための儀式や、旱魃の際には雨乞いの儀式が、ここでなされたことも知られている。

だが、鎌倉時代以降は荒廃し、徳川家康による二条城築城の際に、大部分を削られ、今日見るような小さな池の周辺部分だけが残された。その後、明治時代に真言宗の道場として再興された。

神泉苑は、その名の通り泉を中心とした庭園であった。この泉は、時代によって沸き出る場所が異なり、また鎌倉時代には全く枯れていた時期もあったことが知られている。

今日では、二条城の南側にこじんまりとした空間を残すのみであるが、かつての栄光ぶりは御池通りの名にとどめている。この通りは今日祇園祭りの山鉾巡業が行われる通りとなっている。かつては神泉苑にも巡業したと言われる。

上の写真は、中ノ島にかかる法成橋。下の写真は中の島に立つ善女竜王社。法成寺池の周囲はこんもりとした林になっており、かつての寝殿作り系庭園の遺構の一部と考えられている。

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