第七の封印:イングマル・ベルイマン

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イングマル・ベルイマンの映画「第七の封印」は、ヨハネの黙示録にある七つの封印の寓話をもとにし、これに中世ヨーロッパにおけるペストの猖獗をからませてある。七つの封印が解かれるごとにこの世に災いが巻き起こり、最後の封印が解かれたあと最後の審判が始まる、というのが黙示録の寓話が物語るところだが、そこに語られたこの世の災いをペストと読み替え、この疫病によって人々が死に絶えた後、最後の審判の幕が落とされる、とするのがこの映画の発しているメッセージだ。したがって、この映画が「宗教映画」と言われることには理由がある。

舞台は、最後の十字軍が終わった頃のヨーロッパ。その頃、ヨーロッパではペストが猖獗を極めていた。この疫病は致死率が高く、病人は黒くなって死んでしまうので、黒死病と呼ばれた。人々はこれを死神の仕業だとして恐れおののき、死神の手下である魔女を火あぶりにしたり、死の舞踏を踊ったりしては、恐怖を忘れようとしていた。そんななかで、十字軍の遠征に参加していた騎士が、従者と共に故郷へ戻る途中、死神に声をかけられる。騎士は、何とか死を逃れようと思い、死神にチェスの試合を挑む。チェスが続いている間は死を猶予し、もし自分が勝ったら死から解放するという条件をつけて。この申し出に興味を抱いた死神は、騎士とチェスの勝負を始める。勝負はなかなかつかない。それというもの、勝負が続いている間は、死の執行を猶予されるので、騎士がわざと勝負を長引かせているからだ。

チェスをしながらも、騎士たちの故郷への旅は続く。その度の途中で騎士たちは大勢の人々と出会い、また不思議な光景を目撃する。人々がイエス・キリストの磔刑像を先頭にして死の舞踏の行進をしたり、若い女が魔女のレッテルを貼られて火あぶりにされるところなどだ。

騎士の一行には、旅芸人たちや身寄りのない女、それに街道で出会った鍛冶屋の夫婦などが加わり、一同は騎士の館に向かって旅を続ける。その度の途中でもチェスの試合は続く。そんな折に、騎士はある教会で懺悔をし、そのなかで教戒師に自分の身の上について語る。その懺悔を語りかけた教戒師というのが、実は死神だったのだ。死神は騎士の話から、相手のチェスの戦略を知ってしまう。そのため騎士は、チェスの試合に負けることなり、いよいよ死の執行を迫られる段となる。

死の執行は、騎士とその連れたちの一行が騎士の館に到着した直後になされる。一行が、騎士の妻の読み上げる黙示録の言葉に耳を傾けていると、そこへ死神が姿をあらわし、みなをあの世へと導いてゆくのだ。

一行に死神が取り付いていることを悟った旅芸人の家族は、途中で騎士たちと袂をわかち、自分たちだけで旅を続けていた。彼らが草原で安らいでいると、そこへ騎士たちの一行が死神に先導されて、死の舞踏を踊りながら通り過ぎてゆくのが見えた。彼らだけはその踊りの列に加わらずにすんだのだ。

以上がこの映画のあらすじだ。これからもわかるように、この映画は宗教的な寓意に満ちている。ベルイマンがなぜ、20世紀半ばのヨーロッパでこんな映画を作ったのか。やはり第二次大戦の衝撃が働いているのか。よくはわからない。普通は、このように宗教的な色彩の強い映画は流行らないものだが、この映画は結構ヒットした。ベルイマンが20世紀を代表する映画作家としての名声を獲得したについても、この映画が大いに働いている。

この映画は、筋書きもさることながら、映像作りの色々なところで様々な工夫に満ちている。たとえば死神のイメージ。この映画の死神は非常に表現力に富んでおり、その後の死神のイメージに大きな影響を及ぼしたと言われる。死の舞踏の行列に現れるキリストのイメージも強烈だ。このキリストは、モックキングの要素をあわせ持っており、ヨーロッパ人の宗教意識にあるキリスト教以前の古代的な部分に訴えかけるものがあると言われる。

この映画はまた、女の生命力を賛美している。旅芸人の一家が生き延びるのは、女房の前に処女マリアが幼いキリスト共に現れたからだ。そのイメージを見たのは女房のほうだけで、亭主にはそれが見えない。だから、この一家は女の力で生き延びたということになっている。

鍛冶屋の女房は、結局は騎士たちと一緒に死神にさらわれてしまうのだが、人生の最後の日々を自分の思い通りに生きて、燃焼した。つまらぬ亭主との退屈な人生を放り出して、旅の芸人と駆け落ちするのだ。女房に逃げられて気落ちする亭主に向かって、仲間の男が言う。哀れな寝取られ亭主よ、愛は不毛だ、と。最後の審判を前にして、どのような愛が不毛でないのか、この映画からは伝わってこないのだが、すくなくとも、駆け落ちした女房のほうは、たとえ不毛でも、愛のひとときを楽しむことができた。これは女が強くて、男が弱い証拠だ、と言っているようなのである。







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