あひるの北陸の旅その三:金沢を散策する

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近江町市場の次に金沢城を訪ねた。石川門から入って、五十間長屋の脇を通り、三十間長屋のある高台に上った。金沢城は明治維新後陸軍に接収されたが、天守閣はじめ主要な建物は火災で焼失し、徳川時代のままの姿をとどめるのはこの三十間長屋だけだという。高台の周りに掘られている空堀は敵を防ぐ役目より、馬を遊ばせるために使われたそうだ。小生の出身地下総佐倉の城跡にある空堀もやはり馬を遊ばせるために作られたことを思い出した。

この高台からは、山が身近に見える。その山に庶民が上ることは許されなかったと添乗員嬢が説明してくれた。その山の頂は金沢城の天守閣よりも高いので、そこに上って天守閣を見下すのはけしからぬという理屈からだ。(上の写真は三十間長屋の高台から五十間長屋方面を見たところ)

名高き庭園兼六園は、金沢城の東隣にある。我々は、石川門の向かいにある桂坂口から入った。茶屋の社員という妙齢の媼が案内役をつとめた。何某の局を名乗るその媼によると、兼六園のガイド役は茶屋の専売特許なのだそうだ。その茶屋は七軒あって、五十人ばかりのガイドを抱えている。そのガイドたちが、園内を案内し、その後で自分の属する茶屋の土産屋に客を連れて行くのだそうだ。今は五十人ほどだが、かつては百人以上のガイドがいました。北陸新幹線の開通で金沢を訪れる人の数が増えていますので、いづれまた百人を超えるようになるでしょう。またそう期待したいものです、と媼は言うのだった。

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兼六園は、広さが十一ヘクタール以上もある。いわゆる三大名園の中では、水戸の偕楽園よりも狭く、岡山の後楽園よりは広い。いくつかの大きな池とそれを結ぶ水路を核にして、その周りに築山や樹木を配する巨大な池泉回遊式庭園である。最も名高い眺めは、唐崎の黒松の群と徽軫灯籠と呼ばれる二股の灯篭だ。二股の灯篭は非常に珍しいと言うので、風景写真の格好の標的となるほか、映画の背景としてもよく出て来るそうだ。

媼に先導されながら、園内の名所を巡って歩く。菊桜、根上の松、明治紀念之標と記された日本武尊の銅像などを見て、井戸の中から生え出た珍しい桜にさしかかった。この桜には由来があるのです、と媼が説明する。殿さまのさる側室がある夜殿さまから同衾を求められた。ところがその側室にはほかに恋人が出来ていて、殿さまと同衾する気にはなれず、断ったところが、大いに怒った殿さまが家来に命じてその側室を殺したあげくにこの井戸に放り込んでしまった。殺された側室は往生できずに、幽霊となって殿さまを呪い続けた。そしてその挙句に一樹の桜の木となって井戸から生え出たというのです。

これを聞いて小生は番町皿屋敷を思い浮かべた。番町皿屋敷の講談では、殺された女の幽霊が井戸から這い出てきて皿を数えるのだが、この腰元は井戸の底から出てきて一樹の桜となったわけである。

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次いで東茶屋街というところに案内された。徳川時代に茶屋が集まっていた街だ。金沢にはこうした茶屋街がいくつか残っているが、東茶屋街はもっとも規模の大きなものという。大して長くはない路地を挟んで古風な家並みが並んでいる。京都の祇園とはまた一味違った趣を感じさせる。町娘が小袖を着流して闊歩しているところは金沢風の心意気と言うことか。

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志摩という茶屋の中に入ってみた。ほとんどの茶屋が明治以降に損壊したなかで、この茶屋は昔のままに保存されていると言うので、全国の茶屋の中ではただひとつ国の重要文化財に指定されているそうだ。茶屋の亭主と思しき人が出てきて説明してくれたことには、金沢の庶民の家には二階建てが許されなかったが、唯一茶屋だけは二階建てが許された。そこで茶屋では、一階を番台にして、二階を座敷にした。この座敷に上がって遊べる客は、裕福な町人だけで、一限の客は無論、武士が立ち入ることも許されなかったという。

一座敷は二間からなり、床の間付きの座敷に客を案内し、二の間で芸妓が芸を披露したそうだ。金沢の芸妓は京都島原の芸妓と並んで格調が高いことで名高かったという。

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これにて見物終了とあいなり、我々一同は富山へ移動した。富山駅から北陸新幹線に乗って東京へ向かう段取りである。富山に向かうバスの窓から、立山連峰の雄大な雪景色や、田圃地帯に点在するチューリップ畑が目に入った。いまだに雪を被った立山連邦は、神々しい雰囲気に包まれていた。人々の信仰の対象となったのもムベなるかなと思われる。チューリップ畑のほうは田圃の裏作のように見えた。

乗り込んだ列車は午後五時過ぎの新幹線はくたか号。席に着くや早速、近江市場で買ってきたコロッケを肴にして缶ビールを飲んだ。何故金沢からではなく富山から乗るんだろうね、とあんちゃんあひるが不思議がる。金沢から乗ったほうが早いだろうにね、というのだ。そこは旅行会社の営業戦略がからんでいるのさ、とオーさんあひるが言う。富山から乗ったほうがツアー費用を節約できるかもしれない、我々はそれを承知でツアーを申しこんだのだから、いまさらなにかかにかと言っても始まらないよ、と。

ところで富山といえば何が名物だろうね、と少尉あひるが言う。そりゃ富山の薬売りと越中ふんどしだろうね、と筆者が言う。越中ふんどしってどんなふうに着けるのかね、と誰かが言うから、少尉あひるが身振り豊かに説明する。それを見ていた静ちゃんあひるは呆れた顔をしていたが、実は私の父親も越中ふんどしをつけていたわと言い出した。そして、あれははきやすいのかしら、と言うので、風通しがいい上に、一物がぴたりとおさまるので都合がいい、けっこういいと思うよ、とあんちゃんあひるが言った。そうかもしれないね。

こんなわけで今回も愉快な旅を楽しんだ次第。次の旅の計画は静ちゃんあひるにお願いすることとして、みな楽しみにしていましょう。







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