人間の歴史の象徴像:ブレイクの「神曲」への挿絵

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二人はやがて真っ赤になって煮えたぎる流れの畔に着く。この川は、森から流れだし、熱砂を貫いて流れてゆくようである。ヴィルジリオは、この川が何処から流れて来るか、その由来について語る。

現実の人間世界の海の真ん中にクレタという島があり、そこにイーダという山がある。その山中に一老人の巨大な像が立っており、その像から涙がしみだして川となり、その川が人間世界から地獄に向って流れてきている。地獄に至った涙の流れはいくつかの川となって地獄を巡っているが、いま自分たちの見ているこの川もそのひとつなのだとヴィルジリオは語る。

ところで、ヴィルジリオが語った一老人は、人間の世界の歴史を象徴する像なのである。


 我等また語らず、さゝやかなる一の小川の林の中より迸る處にいたれり、その赤きこといまもわが身を震へしむ
 さながらブリカーメより細き流れ(罪ある女等ほどへてこれをわけもちふ)の出づる如く、この川砂を貫いて下り
 その水底、傾ける兩岸、縁はみな石と成れり、此故に我こゝに行手の路あるを知りき
 閾を人のこゆるに任す門より内に入りしこのかた、凡てわが汝に示せるものゝうちすべての焔をその上に消すこの流れの如くいちじるしきは汝の目未だ見ず 
 これわが導者の言なりき、我乃ち彼に請ひ、慾を我に惜しまざりし彼の、食をも惜しむなからんことを求めぬ
 この時彼曰ふ、海の正中に荒れたる國あり、クレータと名づく、こゝの王の治世の下、世はそのかみ清かりき
 かしこにそのかみ水と木葉の幸ありし山あり、イーダと呼ばる、今は荒れ廢れていと舊りたるものゝごとし
 そのかみレーアこれをえらびてその子の恃の搖籃となし、その泣く時特に善くかくさんためかしこに叫びあらしめき
 この山の中には一人の老巨人の直立するあり、背をダーミアータにむけ、ローマを見ること己が鏡にむかふに似たり
 その頭は純金より成り、腕と胸とは純銀なり、そこより跨にいたるまでは銅
 またその下はすべて精鐡なれどもたゞ右足のみは燒土にてしかも彼の直く立つ却つて多くこれによれり
 黄金の外はいづこにも罅生じて涙したゝり、あつまりてかの窟を穿ち
 岩また岩を傳はりてこの溪に入り、アケロンテ、スティージェ、フレジェトンタとなり、その後この狹き溝によりて落ち
 またくだるあたはざる處にいたりてそこにコチートと成る、この池の何なるやは汝見るべし、この故にこゝに語らず
 我彼に、若しこの細流かくわが世より出でなば何故にこの縁にのみあらはるゝや
 彼我に、汝此處のまろきを知る、汝の來る遠しといへども常に左に向ひて底にくだるが故に
 未だあまねく獄をめぐらず、されば新しきもの我等にあらはるとも何ぞあやしみを汝の顏に見するに足らむ
 我また、師よ、フレジェトンタとレーテはいづこにありや、汝默してその一のことをいはず、また一は此雨より成るといへり
 彼答へて曰ひけるは、汝問ふところの事みなよくわが心に適ふ、されど、煮ゆる紅の水はよく汝の問の一に答へん
 レーテは汝見るをうべし、されどこの濠の外、罪悔によりて除かれし時魂等己を洗はんとて行く處にあり
 又曰ひけるは、いまは森を離るべき時なり、汝我に從へ、燃えざる縁路を造り 
 一切の炎その上に消ゆ(地獄篇第十四曲から、山川丙三郎訳)


絵は、人間の歴史を象徴するという老人の姿。「その頭は純金より成り、腕と胸とは純銀なり、そこより跨にいたるまでは銅またその下はすべて精鐡なれどもたゞ右足のみは燒土」とある本文の記述を再現している。









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