逆櫓:平家物語巻十一

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平家物語巻第十一「逆櫓」の章は、屋島の平家軍に義経が奇襲をかけるところを語る。この奇襲をめぐって、義経と梶原景時との間に論争が起こり、それがもとになって景時が義経を深く怨むようになり、やがて義経の野望を頼朝に讒言して、義経を破滅させることへとつながっていく。

逆櫓というのは、すばやく船の向きを反転させて後退するための工夫。馬ならば簡単に向きを変えることが出来るが、船はなかなかそうはいかない。そこではじめから逆櫓を設けておくことで、操縦しやすくするのが肝心だと景時が提案するのだが、それを義経が一蹴する。最初から退却を考慮にいれていては、勇ましい戦はできないという理屈だ。こう言う義経を景時は、突進するばかりで後退することを知らないイノシシ武者だと罵る。それがもとで義経と景時との間は一触即発の険悪なものとなる。

さて、海は、順風だが強い風のために大荒れに荒れている。水夫たちが怖気つくのを見た義経は、臆病者は射殺すといって脅かすのだが、水夫たちはなかなか言うことを聞かない。結局五艘ばかりの小さな船団を組んで、屋島に向かうことになる。こんなところにも、義経の向こう見ずな蛮勇ぶりが伺える。

~同二月三日、九郎大夫判官義経、都をたッて、摂津国渡辺よりふなぞろへして、八島へすでによせんとす。三河守範頼も同日に都をたッて、摂津国神崎より兵船をそろへて、山陽道へ赴かんとす。同十三日、伊勢大神宮・石清水・賀茂・春日へ官幣使をたてらる。「主上并三種の神器、こと故なうかへりいらせ給へ」と、神祇官の官人、もろもろの社司、本宮本社にて祈誓申すべきよし仰せ下さる。

~同十六日、渡辺・神崎両所にて、この日ごろそろへける舟ども、ともづなすでにとかんとす。折節北風木を折つてはげしう吹きければ、大浪に舟どもさんざんにうち損ぜられて、いだすに及ばず。修理のために其日はとどまる。渡辺には大名小名よりあひて、「抑舟軍の様はいまだ調練せず。いかがあるべき」と評定す。梶原申しけるは、「今度の合戦には、舟に逆櫓をたて候はばや」。判官「さかろとはなんぞ」。梶原「馬はかけんと思へば弓手へも馬手へもまはしやすし。舟はきッと押しもどすが大事に候。艫舳に櫓をたてちがへ、脇楫を入れて何方へもやすう押すやうにし候はばや」と申しければ、判官の給ひけるは、「いくさといふ物は一引も引かじと思ふだにも、あはひあしければ引くはつねの習なり。もとより逃げ設けしてはなんのよからうぞ。まづ門での悪しさよ。さかろをたてうとも、返様櫓をたてうとも、殿原の船には百梃千梃もたて給へ。義経はもとの櫓で候はん」との給へば、梶原申しけるは、「よき大将軍と申すは、駆くべき所をばかけ、退くべき処をばひいて、身を全うして敵をほろぼすをもッてよき大将軍とはする候。片趣なるをば、猪のしし武者とてよきにはせず」と申せば、判官「猪のしし鹿のししは知らず、いくさはただ平攻にせめて勝つたるぞ心地はよき」との給へば、侍ども梶原に恐れて高くは笑はねども、目ひき鼻ひききらめき合へり。判官と梶原と、すでに同士軍あるべしとざざめき合へり。

~やうやう日くれ夜に入りければ、判官の給ひけるは、「舟の修理してあたらしうなッたるに、各々一種一瓶していはひ給へ、殿原」とて、いとなむ様にて舟に物の具入れ、兵粮米つみ、馬どもたてさせて、「疾く疾くつかまつれ」との給ひければ、水手梶取申しけるは、「此風は追手にて候へども、普通にすぎたる風で候。奥はさぞ吹いて候ふらん。争か仕候ふべき」と申せば、判官大きにいかッての給ひけるは、「向ひ風にわたらんといはばこそ僻事ならめ、順風なるが少しすぎたればとて、是程の御大事にいかでわたらじとは申すぞ。舟つかまつらずは、一々にしやつばら射ころせ」と下知せらる。奥州佐藤三郎兵衛嗣信・伊勢三郎義盛、片手矢はげて、すすみ出でて、「何条子細を申すぞ。御ぢやうであるにとくとく仕れ。舟仕らずは一々に射殺さんずるぞ」といひければ、水手梶取是をきき、「射殺されんもおなじ事、風こはくは、ただ馳死にしねや、物共」とて、二百余艘の舟のなかに、ただ五艘出でてぞ走りける。のこりの船は風におそるるか、梶原におづるかして、みなとどまりぬ。判官の給ひけるは、「人の出でねばとてとどまるべきにあらず。ただの時は敵も用心すらん。かかる大風大浪に、思ひもよらぬ時に押し寄せてこそ、思ふかたきをば討たんずれ」とぞの給(たま)ひける。

~五艘の船と申すは、まづ判官の船、田代冠者、後藤兵衛父子、金子兄弟、淀の江内忠俊とて舟奉行の乗つたる舟也。判官の給ひけるは、「各々の船には篝な点いそ。義経が舟を本舟として、ともへのかがりを守れ。火かず多く見えば、敵恐れて用心してんず」とて、夜もすがら走る程に、三日にわたる処をただ三時ばかりにわたりけり。二月十六日の丑の剋に、渡辺・福島を出でて、あくる卯の時に阿波の地へこそ吹き着けたれ。


船は、普通なら三日かかるところをわずか三時(六時間)で着いたと言っている。うまい具合に風に乗れたからだろう。






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