那須与一:平家物語巻第十一

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(平家物語絵巻から 那須与一)

「那須与一」の章は、平家物語の中でもっとも演劇的な場面だ。海を挟んで対面した源平両軍の兵士たちの目の前で、船の上で扇をかざした若い女房と、これもまた若い関東武者が向かい合い、女房のかざした扇に向かって若武者が矢を射ると、それが見事に命中する。その様子を見守っていた源平両軍の人々は、互いに敵であることを忘れて拍手喝采する。戦場というよりは、野外劇場で行われるパフォーマンスを見るような具合だ。

屋島で平家に対峙していた義経軍は、日が暮れかかってきたので戦を止めて引き下がろうとする。すると、平家方の一艘の船の上で、若い女房が扇をかざして手招きをし、源氏方を挑発する様子を見せる。恐らく、短気な義経のことだから、それを射落とそうとするに違いないと踏んで、前面に出てきたところを攻撃するつもりだろうと源氏の武将が推測する。そこで義経は、自分のかわりに弓矢の名手に射落とさせようとする。その役を命じられたのが、まだ二十歳ばかりの若武者那須与一である。

~さる程に、阿波・讃岐に平家をそむいて、源氏を待ちける物ども、あそこの峯、ここの洞より、十四五騎、廿騎、打ち連れ打ち連れ参りければ、判官程なく三百余騎にぞなりにける。「けふは日くれぬ、勝負を決すべからず」とて引退く処に、おきの方より尋常にかざッたる小舟一艘、みぎはへむいてこぎよせけり。磯へ七八段ばかりになりしかば、舟をよこさまになす。「あれはいかに」と見る程に、船のうちよりよはひ十八九ばかりなる女房の、まことに優にうつくしきが、柳の五衣に、紅の袴きて、みな紅の扇の日出したるを、舟のせがいに鋏みたてて、陸へむいてぞ招いたる。

~判官、後藤兵衛実基をめして、「あれはいかに」との給へば、「射よとにこそ候ふめれ。但大将軍矢おもてにすすんで、傾城を御らんぜば、手だれにねらうて射落せとのはかりこととおぼえ候。さも候へ、扇をば射させらるべうや候らん」と申す。「射つべき仁は御方に誰かある」との給へば、「上手どもいくらも候ふなかに、下野国の住人、那須太郎資高が子に、与一宗高こそ小兵で候へども、手利で候へ」。「証拠はいかに」との給へば、「かけ鳥なンどあらがうて、三に二は必ず射おとす物で候」。「さらばめせ」とてめされたり。

~与一其比は廿ばかりの男也。褐に、あか地の錦をもッて大領端袖彩へたる直垂に、萌黄おどしの鎧きて、足じろの太刀をはき、切斑の矢の、其日のいくさに射て少々のこッたりけるを、かしらだかにおひなし、うすぎりふに鷹の羽はぎまぜたるぬた目のかぶらをぞさしそへたる。滋籐の弓脇に鋏み、甲をばぬぎたかひもにかけ、判官の前に畏る。「いかに宗高、あの扇の真ん中射て、平家に見物せさせよかし」。与一畏て申しけるは、「射おほせ候はん事は不定に候。射損じ候ひなば、ながき御方の御きずにて候ふべし。一定つかまつらんずる仁に仰付けらるべうや候らん」と申す。判官大にいかッて、「鎌倉をたッて西国へ赴かん殿原は、義経が命をそむくべからず。少しも子細を存ぜん人は、とうとう是よりかへらるべし」とぞの給ひける。

~与一かさねて辞せば悪しかりなんとや思ひけん、「はづれんは知り候はず、御定で候へばつかまッてこそみ候はめ」とて、御まへを罷立ち、黒き馬の太う逞しいに、小ぶさの鞦かけ、まろぼやすッたる鞍置いてぞ乗つたりける。弓とり直し、手綱かいくり、みぎはへむひて歩ませければ、御方の兵どもうしろをはるかに見送つて、「此若者一定つかまつり候ひぬと覚え候」と申しければ、判官も頼もし気にぞ見給ひける。

~矢ごろ少し遠かりければ、海へ一段ばかりうち入れたれども、猶扇のあはひ七段ばかりはあるらんとこそ見えたりけれ。比は二月十八日の酉の剋ばかりの事なるに、折節北風はげしくて、磯うつ浪もたかかりけり。船はゆりあげゆりすゑただよへば、扇もくしに定まらずひらめいたり。おきには平家船を一面にならべて見物す。陸には源氏くつばみをならべて是を見る。いづれもいづれも晴ならずといふ事ぞなき。与一目をふさいで、「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現宇都宮、那須のゆぜん大明神、願はくはあの扇の真ん中射させてたばせ給へ。是を射そんずる物ならば、弓きり折り自害して、人に二たび面を向ふべからず。いま一度本国へ向へんと思し召さば、この矢外させ給ふな」と、心のうちに祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹弱り、扇も射よげにぞなッたりける。

~与一鏑をとッてつがひ、よッぴいてひやうど放つ。小兵といふぢやう十二束三ぶせ、弓はつよし、浦ひびく程長鳴して、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりおいて、ひイふつとぞ射きッたる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさッとぞ散つたりける。夕日の輝いたるに、みな紅の扇の日いだしたるが、白波のうへにただよひ、うきぬしづみぬゆられければ、奥には平家ふなばたをたたいて感じたり、陸には源氏箙をたたいてどよめきけり。


大将の義経は小男だったというが、与一はことさらに小兵といわれているので、義経以上の小男だったのだろう。だから遠目には少年のように見えたに違いない。その小男が、強弓を振り絞って扇を射落とす。その様子はまさに絵になるものだったに違いない。






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