尾藤正英「日本文化の歴史」

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著者はこの本のあとがきの中で、西尾幹二なる学者について厳しい批判を行っている。著者はこの本の中で、ある学者の作成した資料を、その人の了承を得た上で掲載したのであるが、その同じ資料を西尾幹二なる学者が自分の本の中で無断で使用したのは、「常識では考えられない」といって批判しているのである。

こういう批判を、岩波新書という媒体の中でわざわざ展開するのは非常に珍しいことと言える。こういう文章を読むと筆者などは、尾藤氏が西尾なる学者に強い違和感を抱いているのではないかと思ってしまう。その違和感は、同じく日本の歴史を問題に取り上げるものとして、その歴史観に根本的な相違があることに由来するのだろうと推測したりもする。

西尾なる学者は、名うての国粋主義者として、ユニークな歴史観を展開してきたことで知られる。それは一言でいえば靖国史観ともいうべきものだ。靖国史観というのは、記紀に書かれているような古代の出来事が、ただの神話ではなく歴史上の出来事だとする一方、明治維新以後の日本の歴史は、日本が東洋の盟主となっていく過程であって、日清戦争以後の度重なる対外戦争は、西洋の暴虐から東洋を救う為の正義の戦いだったとするものである。

彼が中心となって立ち上げた「新しい歴史教科書を作る会」は、この靖国史観にもとづいて日本の歴史の教科書を作ったことで知られる。この教科書は余り普及せず、彼自身後にこの活動からは手を引いたらしいが、その精神は受け継がれ、安部晋三政権の時代になるや、靖国史観を盛り込んだ歴史教科書が、権力と結託した勢力によって一気に学校現場に普及したのは、記憶に新しいことである。

尾藤氏のこの本は2000年に出版されており、靖国史観をめぐる最近の動きとは関係がないが、日本の歴史を考える視点として、靖国史観のようなイデオロギー的なものとは異なった、実証的でかつ科学的な視点の重要性を強調しているように思える。

靖国史観の最大の特徴は、神話の時代から明治維新へといきなり跳んでしまうことである。それに挟まれた時代はほとんど無視に近い扱いを受ける。日本の歴史は、神話時代に形成された国民精神とも言うべきものが、明治維新によって一気に花開き、その精神、つまり日本精神とか大和魂とかいうべきもの、安部晋三の言葉を借りれば「うちゅくしーにっぽん」の精神ともいうべきものを、世界中に広める為の伝道の営みであったということになる。

こうした歴史観に対して尾藤氏が提示するのは、日本の歴史は、古代から現代まで、国民の延々とした営みの連続として考えなければならない、というものである。そうした歴史観からすれば、現代の日本人の考え方や生き方の背景には、長い歴史の蓄積が働いているということになる。その長い歴史の中では、無視してよいようなものはほとんどない。ましてや靖国史観のように、神話の時代から明治維新へと一気に跳んで、途中のことを無視ないし軽視してよいと言うことにはならない。そういう立場から氏は、日本の歴史を通史的に見直そうとするのである。

靖国史観が、日本の文化的特徴として強調するのは、神道的な宗教意識と権威を尊重した形での国民の一体感のようなものである。前者は、日本人の宗教意識は神話時代に形成されたまま現代まで不変だったという思い込みにつながり、後者は、日本人は権威にたいして従順だった、あるいは個人よりも公を尊重する気風を一貫してもっていたという主張につながる。尾藤氏はこうした主張に真っ向から反論する。

宗教意識については、神道が独立した宗教として形をとったのは明治維新以降のことであり、それ以前には仏教と習合した形で普及していた。その習合した宗教意識の中でも、仏教が本筋で、神道はそれに付随するような形をとってきた、と氏は指摘する。その仏教のほうも、民衆的な規模で普及したのは中世以降のことである。とりわけ応仁の乱以降に仏教が全国津々浦々まで民衆に行き渡るようになった。神道はそれに乗るようなかたちで細々と生きてきた、と氏はいうのである。

日本人の公意識については、日本人は昔から権威に対して従順で、個人よりも公共を重んじる傾向があったというのは間違っていると氏は言う。日本人は、少なくとも中世以降には、権力に対して従順どころか非常に批判的であった。その批判的な姿勢は明治維新以降にも生き続け、自由民権運動やそのほかの反権力的な戦いを巻き起こした。また、日本人は、これも中世以降に顕著であるが、自治意識が極めて高かった。門徒宗による一向一揆や日蓮宗による京都の町の自治などに典型的に見られるように、日本の民衆には権力におもねらず自治を重んじる気風がきわめて盛んだった。そうした気風が少しでも弱くなり、権力に対して迎合的な傾向が見られるようになったとすれば、それは明治維新以降における、権力による民衆支配の効果だったと言わねばならない。

こんな具合に氏は、日本人は決して神道的な宗教意識に染まっていたわけでも、また染まっているわけでもなく、権威に対して従順だったわけでもない、と強調するわけである。靖国史観の言うとおりだとすれば、日本人は権力にとって御しやすい民族ということになるだろうが、事実は決してそうではない。そう氏はいって、そのそうではないところを、日本人の自発性だと位置づけることによって、その自発性の美点を将来に向かっても大事にしたいと考えているようなのである。






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