南禅寺金地院:日本の寺院庭園

| コメント(0)
g505.1.jpg

金地院は、もともと応永年間に大業和尚が北山に開山した禅寺であったものを、徳川時代の初め(慶長年間)に崇伝和尚が南禅寺の塔頭として移建したものである。移建にあたって崇伝和尚は、本坊庭園とともにここにも小堀遠州に枯山水の庭園を作らせた。鶴亀庭園と呼ばれるものである。

この庭園は、本坊方丈庭園とは違った意味で、小堀遠州の作庭哲学ともいえるものが反映されている。本坊方丈庭園の特徴は遠近法にあったが、この庭園はシンメトリーを特徴とする。

すなわち、石庭の背後にシンメトリカルに石を配置するというものである。南北方向に整然とならんだ石組みの中央に、仏に見立てた三尊石とそれを拝むための礼拝石を置き、その両側に一団の石組みをシンメトリカルに配置している。

g505.2.jpg

これは石組みの中央部分を写したもの。右手の細長い石が礼拝石、その向こう側に並んだ三つの石が三尊石である。三尊石の右となりに石の灯篭が立っているが、これはキリシタン灯篭と呼ばれている。礼拝石の左手は、亀島と呼ばれ、右手の鶴島とあいまって、鶴亀のめでたさを表現している。






コメントする

アーカイブ