オバマは広島まで何をしにきたか

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オバマが現職の米大統領として始めて広島を訪れた。歴史的な出来事には違いない。日本では、あわせて行われた伊勢・志麻サミットの話題が吹き飛ぶほどのインパクトを以て迎えられたし、世界中のメディアも注目した。日本のメディアにはこれを手放しに近い歓迎振りで好意的に論評するものが多い一方、アメリカのメディアはおおむね冷静に受け止めている。アメリカ国内で根強い原爆投下必要論を配慮してこの訪問を批判する論調はあまり見られないようだ。

一連の報道を見て感じたのは、この訪問が日米双方の入念な準備でなされたということだ。原爆資料館の視察、被爆者代表との面会、そしてオバマ大統領自身のスピーチ、どれも前もって入念に準備されていたという印象を受ける。オバマのスピーチ原稿は、事前に確定していたのだろう。そのスピーチの中身は、謝罪の言葉こそなかったが、原爆被害の悲惨さに言及し、人類の未来のためにも核兵器の廃絶をすべきだと訴えたもので、あのプラザ演説の内容と重なるところが多かった。

これについて日本のメディアは、オバマの言葉には実質的に謝罪のニュアンスがあるとし、それを踏まえて日米の絆が強化されたことを評価するという論調が大部分を占める。一方アメリカのメディアは、ニューヨーク・タイムズのようなリベラルなものでも、オバマが謝罪しなかったことと、これによって日本の戦争中の加害責任が弱まるわけではないことをわざわざ断っているように、おおむね冷めた見方をするものが多いようだ。

オバマとしては、この演説をプラザ演説の精神を強化する機会としたいのだろう。プラザ演説は非常に格調高いもので、もしオバマがその言葉に沿って努力したなら、人類の未来にはいくばくかの明るい光がさすかもしれぬと思わせたものだ。だがオバマにはその後、核兵器の廃絶や減少に向けて真剣に努力した形跡が見られない。核兵器の数は、彼になってからむしろ減少傾向が弱まり、廃絶には程遠いのが現実だ。その一方で、殺傷効果を限定した、よりソフィスティケートされた次世代型核兵器の開発が進んでいる。また、アメリカ国民の中には、核の先制攻撃を支持する意見がいまだに根強い。

要するにオバマがプラザ演説で発した言葉は、まったく裏付けられていないわけだ。だから、オバマは口先だけで、行動が何も伴っていないという批判が根強くある。今回広島で核廃絶に向けたメッセージを改めて発したのは、プラザ演説の続きという意味合いを持たせて、自分がいまだに核廃絶への情熱を持っていることを、いわばアリバイ作りのようして伝えたかのように映る。

そうだとしたら、広島訪問は、日米の絆(それは日米同盟とか日本の対米従属とか呼ばれる)の強化ということもさることながら、オバマの個人的な事情にもとづいた行為だったとも受け取れる。つまり、プラザ演説でノーベル賞をもらった手前、すこしはそれをフォローしないと、いかさま師呼ばれされないともかぎらない、という配慮が働いて、今回の行為に及んだという見方だ。

いずれにせよ安部晋三政権にとっては、これによって彼らのいうところの日米同盟が強化されたと言えるわけであり、政権の人気取りに大いに貢献してもらったと感謝すべき筋合いのものだろう。





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