曼殊院:日本の寺院庭園

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曼殊院はもと延暦寺の塔頭として比叡山にあったが、明暦二年(1656)に桂宮智仁親王の次男良尚法親王によって現在地に再建された。智仁親王は、桂離宮を造営しており、その長男智忠親王は桂離宮を現在の形に完成させた。また、曼殊院にほど近い修学院は、智仁親王の甥にあたる後水尾上皇によって造営されている。こういうわけで、桂離宮、修学院離宮、曼殊院は密接な因縁によって結ばれている。造園術という点においては、桂離宮と曼殊院とは深いかかわりがあるとされ、曼殊院は小さな桂離宮とも呼ばれている。

庭園は書院のまえに広がる枯山水で、小堀遠州好みのデザインが指摘されているが、この庭園が造営された年には遠州はもはや生きておらず、遠州のかかわりは否定されている。

上の写真は、書院の東側から庭を眺めたところ。右手に手水鉢が置かれ、その前に亀島がある。この庭園は、白砂を池に見立て、そこに鶴・亀二つの島と蓬莱島を配置している。

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左手前が亀島、右手が鶴島、奥が蓬莱島。石組みで蓬莱山をイメージしている。

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左手は鶴島。横様に生えている松は五葉の松と言って、樹齢四百年の古樹である。松の根元にある灯篭は、曼殊院灯篭と呼ばれ、十字架をイメージさせるユニークな形をしている。キリスト教は、当時の皇室と小堀遠州を結びつけるきっかけである。

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右手前が鶴島、その向こう側が蓬莱島、左奥に見える灯篭もユニークな形をしている。







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