倣銭貢山水図:蕪村の世界

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蕪村は明和三年(馬歯五十一)から二年間讃岐に滞在する。妻子を京へ残しての単身滞在だった。主な目的は、絵の顧客の獲得だったらしい。合せて俳句の会合も催したが、こちらのほうは余り気が乗らなかったようだ。気の利いた句を読む仲間がいなかったからだといわれる。

讃岐では琴平の菅暮牛という人の世話になった。蕪村は琴平を拠点としながら、絵の注文や招きがあるたびに、丸亀や高松に赴いた。二年間の讃岐滞在中に、蕪村の絵の技量は一段と上がった。それに応じて、絵師としての名声も次第に高くなっていったようである。

これは、菅暮牛のために描いたとされる作品。琴平象頭山下にあった暮牛の居宅をモチーフにした作品だといわれる。題名にあるとおり、明の絵師銭貢を手本にしたものだろう。蕪村の絵は、基本的には南宋画風の淡彩画なのであるが、事情に応じて色々な画風の絵を描くことがあった。(絹本着色 113.4×134.1cm)

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これは、居宅の部分を拡大したもの。中央に立っている人物は暮牛だとされる。樹木の葉の茂みの描き方は、蕪村の特徴のひとつである。






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