菅野完「日本会議の研究」

| コメント(1)
安部晋三政権の登場とともに俄に脚光を浴びたものがある。日本会議と称する極右団体だ。いまや多数の国会議員が会員として名を連ね、安部晋三政権に大きな影響を及ぼしている。その活動ぶりは安部晋三政権の別働隊と言ってよい。ところがこの団体がどのような経緯で結成され、どのような思想的背景を持っているかについては、あまり知られていない。これほど大きな政治的影響力を持つに至った団体の中身が国民に知られていないのは異常だ。そんな問題意識をもって、この団体の研究に取り組んだ人がいる。フリー・ジャーナリストの菅野完だ。

日本では、右翼団体、それも極右に傾いた団体は、コワモテという印象が強くてとかく敬遠されがちだ。そんなこともあって、日本会議を正面から取り上げた研究がなかったのだろう。そこを菅野は勇気をもって取り組んだ。彼は右翼を自認しているので、同じ右翼からすこしくらい脅かされても、気にしないだけの胆力があるらしい。実際、この本の出版に当たっては、日本会議界隈とおぼしき方面からの脅しもあったらしいが、彼はそうした脅しに屈しない強さを持っているようだ。

日本会議がらみの最近の動きを見ると、憲法改正へ向けての大衆動員、従軍慰安婦問題での日本軍の関与の否定、歴史認識、夫婦別姓反対、反ジェンダーフリー、家族の絆の強調、親学普及など復古的主張があり、かかわりのある人物としては、日本会議事務局長を務める椛島有三のほか、安部晋三のブレーンとして活躍する伊藤哲夫、衛藤晟一、稲田朋美など、それに百地章のような憲法学者も加わって、極右的な言説を日々垂れ流しているということになる。

日本会議が結成されたのは1997年だが、その構成団体や有力メンバーの来歴を調べると、いづれも生長の家学生運動にゆきつくと菅野はいう。1970年前後に吹きあれた左翼学生運動への反発として始まった民族派の学生運動は、生長の家の信者たちによって担われていた。その信者たちが社会人になって以降も地道な右翼運動を続けたあげく、第一次安部晋三政権の登場をめぐって重大な役割を果たし、それをテコとして今日見るような強大な政治力を持つ団体になったというのだ。菅野によれば、椛島はじめ日本会議を支える主要メンバーの殆どは生長の家から出てきた人間だということになる。

しかし生長の家本体は、その後教祖の代替わりがあって路線を変更、政治活動から距離を置くとともに、従来の右翼的言説からエコロジー左翼というべきものに「変節」した。それを快く思わない連中が、生長の家原理主義というべきものを掲げ、極右的な運動を続けているというのが今日の日本会議の実態であるようだ。

こんな具合に菅野は、今日の日本会議の源流は生長の家原理主義にもとづく宗教右翼運動だと断定する。彼らの多くが神がかったようにみえるのは、そんな事情によるということがよくわかる。

日本会議の政治方針は安部晋三政権のそれとぴたっと一致する、と菅野は言う。たとえば憲法改正についていえば、日本会議はその優先順位を、緊急事態条項の追加、家族の尊重、九条改正、としているが、これは安部晋三政権の方針と全く同じである。というより、安部晋三政権が全面的に日本会議に取り込まれていることを物語っている、ということらしい。

日本会議の究極的な政治目的は明治憲法の復活にあるらしいが、それは生長の家の本来の政治理念でもあった。生長の家のことを筆者はよく知らないが、その主要な教義は天皇を中心とした神国思想であるらしい。明治憲法はそうした神国思想を体現したものだったわけであり、したがってその復活を図ることこそが、生長の家原理主義のスローガンとなるのはよくわかる道理である。

日本会議の主要メンバーにもこうした思想は強く働いている、というのが菅野の見立てだ。しかしいまの日本の世論を考慮すれば、一気にそれを実現するのはむつかしい。それで憲法改正を少しづつ積み重ねることで、国民をそっちの方向へ誘導していく、という路線をとっていると見ているようだ。

こんな話を聞かされると、日本にもついに本格的な草の根ファシズムの運動が現れたかと思い知らされる。戦中の日本の全体主義は、上からの強制という側面が強く、民衆はそれに踊らされた面が強いと言えるのであるが、日本会議のような民間主体の団体が草の根ファシムズを支えるようになれば、戦前の全体主義とは比較にならぬような強固な全体主義体制が日本にも出現しかねない。というかそうなる可能性が非常に大きいわけである。

ともあれこの本を読むと、戦後日本の右翼運動における生長の家の大きな役割が納得される。変った右翼として知られる一水会の鈴木邦男も、もともと生長の家の信者だったということだ。

面白いのは、この本のもともとの原稿をオンラインで掲載し、それを一冊の本にして出版したのが扶桑社だということだ。扶桑社はサンケイの子会社で、例の右翼的な歴史教科書を出版している。そんな出版社がなぜ、日本会議にメスを入れたこのようなものを出版する気になったのか。著者の菅野は日本会議とおぼしき方面から脅迫されたらしいが、彼らは菅野を脅迫するよりも、お仲間のはずの扶桑社を脅迫したほうが話が早いだろうに。






コメント(1)

折角の文章が台無しです。
「せいちょうのいえ」が間違っています。
それも一か所ではなく、全面的に。
これは文字の打ち間違いではなく、
筆者の思い違い、勘違いでありましょう。
一分一秒でも早く訂正されないと、
ひょっとしたら、とんでもないことに!?

コメントする

最近のコメント

アーカイブ