山野行楽図屏風:蕪村の世界

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(右隻 155.1×388.0cm 紙本淡彩 六曲一双)

蕪村の絵の大きな特徴は、自然の風景に必ず人物を添えることだ。その人物は、ほとんどの場合中国風の格好をしている。蕪村が何故、中国の服装に拘ったか、よくはわからない。蕪村ほどの名手ならば、和風の人物を配して、なおかつ南宋画風の情緒を感じさせる技に不足はないと思う。それをあえて、中国風の服装にこだわるのは、よほどの事情があるのか。

「山野行楽図屏風」は、風景を極力省略して、人物にスポットライトを宛てている。右隻のほうは、荒涼たる草原を、馬に乗って進む三人の人物を、左隻のほうは、山道を行く人々の一行を描いている。どちらも、人物は中国風の服装をしている。

右隻の絵は、右手に白々とした月がかかっているところから、黄昏時なのであろう。三人の男たちはおそらく、郊外への行楽から家へ戻っているところと思われる。どことなくくたびれた表情をしているし、馬たちも頭を垂れて、元気がないように見える。

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(左隻 同上)

左隻のほうは、山道を登っているところから、行楽へ向かう途中かもしれないが、それにしては、年寄りと見られる男たちは、酔っているようにも見える。

左手の人物の足が水に浸かっているように見えるところから、彼らは小川を渡っているのだろう。両作品とも、「謝春星写」の署名がある。






コメント(1)

壺斎様
蕪村は、この絵で何を言いたかったのだろうか。
「山野行楽図屏風」の右隻では、三人の人物が馬に乗ってゆったりと左の山の方へ向かっている。この三人は儒者風な人、風狂な人(?)、老荘の道の人のような感じがする、とにかく庶民とはかけ離れた人物たちであろう。画面は清冽な雰囲気を漂わせるため三日月を配したのか、透明感のある画に仕上がっている。真ん中の部分は白い靄(もや)を描き意図的に風景を消したのか?
なお一方の左隻では、何人かの人物が描かれ、小川をわたり右のほうへ歩いている。いずれも庶民の姿である。画面は明みががっている。全く対照的だ。
山野行楽の目指すものが、右隻の三人と左隻の庶民とでは全く違うのだといっているように思われてならない。
絵は描き終わったら、ひとりでに歩き出す。鑑賞者の眼や心そして想念にゆだねられるとしたら、蕪村の作品も困ったものだ。
2016/7/9 服部

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