新樹郊行図:蕪村の世界

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蕪村の画業の大きな特徴として、道を繰り返し描いたことがある。その道を行く人は、深山幽谷に隠士を訪ねる人であったり、あるいは郊外や山里にピクニック気分で出かける人であったりする。「新樹郊行図」と題したこの絵は、後者のようである。

新樹の季節であるから初夏であろう。山の麓には霞がかかっている。霞の下には長閑な山村の光景が広がり、その道を馬に乗った男が二人通り過ぎる。男のうちの一人は、右手を上げて空を見上げている。季節柄杜鵑が鳴いているのかもしれない。

霞の上には山が聳えて見えるが、これは南宋画のタッチだ。一方山里の長閑な風景は日本の匂いがする。蕪村は一つの画面に、中国風と和風を同居させるのが好きだったようだ。

謝寅の署名がある。(62.7×110.7cm 紙本淡彩)






コメント(2)

壺斎様
本居宣長の歌論のことはよくしりません。しかし「もののあわれ」という言葉は仏教を深く理解しないと創造できない言葉だと私は思います。風雅と「もののあわれ」とはニュアンスが相当違うように思いますがいかが思われますか。

神奈備(かんなび)の盤瀬(いわせ)の杜(もり)の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる   鏡王女(かがみのおおきみ)
万葉集の歌ですが、意味は、神奈備のいわせ(奈良県の生駒のあたりらしい)の森の呼子鳥よ(かっこうではないかと私は思う)そんなに激しく鳴かないで、私の恋がますますつのってしまうから、というところでしょうか。
鏡王女はあの有名な万葉歌人額田王の姉(私はそう思っています)で中臣鎌足の妻となり、子供を産む。その子はやがて藤原不比等になる。
呼子鳥はほかにもいろいろあるようだが、猿の声とは?中国の長江の両岸で鳴く猿の声は哀切にみちているそうだ。李白が漢詩で詠うぐらいだから
2016/7/15 服部

壺斎様
風雅の趣に満ちている。ただ眺めていて良い気持ちでいられる。私も新緑のそんなに山深くない里へ出かけた気分になった。
2016/7/15 服部

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