牛乳を注ぐ女:フェルメールの女性たち

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「牛乳を注ぐ女」は、フェルメールの絵の中では「真珠の耳飾の少女」と並んで有名な作品である。この作品は早い時期から特別の評価を得ていた。そのことは1696年にフェルメールの遺作が売りに出されたとき、小品であるにかかわらず破格の値段が付けられたことに現れている。この作品の何が、高い評価につながったのか。

この作品は、壺の中の牛乳を皿に注ぐという、日常の瑣事を熱心な表情で行っている一人の女中を描いている。当時の常識で言えば、女中が絵画の主題になることはほとんどなかったし、仮にあったとしても、浮気な女が卑猥な所作をしているといった否定的なイメージで描かれていた。ところがこの絵の中の女中は、自分の使命である仕事に真剣な表情で取り組んでいる。そこには日々の労働にいそしむ庶民の敬虔な姿が描かれている。その敬虔さは、宗教的な感情さえ引き起こすほどだ。それがこの絵に、特別な評価をもたらした所以だろうと考えることも出来る。

構図は単純そのものだが、それはこの女中の敬虔さを表現するについて余分な要素を一切省いたからだと考えられる。レントゲンでの調査によれば、女中の背後の壁には、地図が描かれていた形跡が指摘される。地図はそれ自体が目立つものであるし、当時としては高価な贅沢品だった。それをあえて消し去ることでフェルメールは、女中の敬虔な動作を浮かび上がらせようとしたのではないか。

光の処理が秀逸である。左端の窓を光源としているところは、前例があるが、この絵の中の光は室内全体にいきわたり、女中の姿やテーブルの上の品々に深い陰影をもたらしている。その陰影の中から浮かび上がった女中の姿には、神々しさを感じさせるようなところがある。

配色もよく考え抜かれている。モチーフの女中の衣服は、黄色の上着と紫のスカートが補色の対比になっているし、明るい茶色やイェローオーカーなどの暖色を要所に配して、色彩の調和を演出している。

この絵には、美術批評家たちを悩ませてきた部分がある。手間にあるテーブルの描き方だ。一見するとこのテーブルは、壁とは斜の角度に置かれているように見える。ところがよく見ると、背後の壁とは平行の角度であることがわかる。ということは、このテーブルは台形のような形をしているのではないか。そんな憶測をめぐってさまざまな議論を呼んできた。

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これは、牛乳を注いでいる女の部分を拡大したもの。左手からさしている光が作り出す陰影が丁寧に表現されている。女の顔は、牛乳を注ぐ自分の手先に向けられ、その何気ない動作に全身を傾倒している様子が伝わってくる。その様子がこの絵に、高い緊張感をもたらしているわけであろう。(カンヴァスに油彩 45.5×41cm アムステルダム、歴史博物館)






コメント(1)

壺斎様
 フェルメールは面白いですね。窓からの自然の光が女のスカートの紫に反応し、部屋の中の光は紫の色を含んだものとなった。これだけの光を受けた女の全体の影はあるかないかほんのわずかである、不思議に思われる。しかし、壁にはその紫の色を反映させている。色の主役は紫である。この紫のために緊張感をうんでいるのだろうか、不思議な色のアンバランスをうんでいる。
 <左手からさしている光が作り出す陰影が丁寧に表現されている。女の顔は、牛乳を注ぐ自分の手先に向けられ、その何気ない動作に全身を傾倒している様子が伝わってくる。その様子がこの絵に、高い緊張感をもたらしているわけであろう。>、私もこの意見に同意します。しかも牛乳を糸のように細く垂らして注いでいるが故に緊張感をうんでいる。
 壁の上の方に籠とやかんであろうか、きめ細かく描かれている。テーブルの上に籠やパン、紫の布などが乱雑に置かれている。農家の部屋であろうか。考えさせる絵である。
 2016/7/25 服部

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