2016年8月アーカイブ

頭部の移植

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移植医療の進歩もついにここまで来たか! これは、人間の頭部の移植が具体的な日程に上るようになったという記事に接した時の筆者の率直な驚きである。角膜や一部の内臓の移植から始まり、いまでは四肢を含め人間の殆どのパートが移植可能になったとはかねがね聞いていたが、まさか人間の頭部まで移植できるようになるとは、夢にも思わなかった。それが、条件さえ整えば具体化できる事態にまで至ったというのだ。

仏法僧(四):雨月物語

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 御堂のうしろの方に仏法々々と啼く音ちかく聞ゆるに、貴人杯をあげ玉ひて、例の鳥絶えて鳴かざりしに、今夜の酒宴に榮あるぞ、紹巴いかにと課せ玉ふ。法師かしこまりて、某が短句公にも御耳すゝびましまさん。こゝに旅人の通夜しけるが、今の世の俳諧風をまうして侍る。公にはめづらしくおはさんに召して聞かせ玉へといふ。それ召せと課せらるゝに、若きさむらひ夢然が方へむかひ、召し玉ふぞ、ちかうまゐれと云ふ。夢現ともわかで、おそろしさのまゝに御まのあたりへはひ出づる。法師夢然にむかひ、前によみつる詞を公に申し上げよといふ。夢然恐る恐る、何をか申しつる更に覺え侍らず。只赦し給はれと云ふ。法師かさねて、秘密の山とは申さゞるや。殿下の問はせ玉ふ。いそぎ申し上げよといふ。夢然いよいよ恐れて、殿下と課せ出され侍るは誰にてわたらせ玉ひ、かゝる深山に夜宴をもよほし給ふや。更にいぶかしき事に侍るといふ。

伊豆の踊子:五所平之助

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川端康成の短編小説「伊豆の踊子」は、手ごろな青春物語ということもあって、何度も映画化されてきた。五所平之助が1933年に作った映画は、その走りとなったものである。五所は、映画評論家の佐藤忠男によれば、若い男女の恋を描いた所謂青春ものを得意としていたようだから、川端のこの小説は、自分の趣味にあったのだろう。といっても、彼はこの小説の内容をそのまま忠実に映画化したわけではない。一高生が伊豆で見かけた旅芸人の一座の若い女にひかれたという枠組を借りただけのことで、筋書に共通するところはほとんどなく、全く別物といってもよい。

台風に感じて飛んでる議論をする

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先日本郷にある梶子ゆかりの社員施設で四方山会の例会をやったとき、次回もここでやろうやと言う話になったが、その後肝心の梶子が所要で出られなくなり、それでは居候のようで茶碗も出しにくいので、行きつけの新橋でやるということに変った。その夜(8月30日)は、台風が接近していて剣呑な雰囲気がただよっていたのだが、みな雨風をものとせず参集した。メンバーは筆者のほか、石、柳、六谷、田、小、岩、七谷、鷲、浦、錦の諸子合わせて十一名。常連の福子はドクターストップをかけられたといって参加しなかった。

岳陽楼図屏風:池大雅の世界

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「岳陽楼図屏風」は「酔翁亭図屏風」とともに「楼閣山水図屏風」として六曲一双をなすものである。金箔地の屏風面に岩絵の具による濃彩を施しており、非常に豪華な感じがするのは、宗達や光琳に影響されたのだろうと考えられる。

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ダンテとヴィルジリオは、アンテオの手に助けられて、ついに地獄の底の底である第九の圏に下りてきた。ここは全宇宙の底でもある。そこで彼らはまず、夥しい数の亡者が、氷の中に閉ざされて震えているのを見る。その中の二人に、ダンテは興味を抱く。すると傍らの別の亡者が、彼らの名を教えてくれた。彼らはマンゴーナ伯アルベルティの息子たちで、互いに血を流し合って争ったかどでここに落されてきたのだった。

雨を避けるオランウータン

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写真(National Geographic)は、バリ島のある場所(動物園だと思う)で偶然に撮影されたもの。一人のカメラマンがオランウータンを観察していたところ、突然雨が降り始めたので、カメラを片付けて立ち去ろうとしたら、オランウータンがタロイモの葉っぱを抜き取って、それを自分の頭の上にかざした。その姿が非常に愛嬌があったので、急いでカメラを取り出して撮影したのがこの一枚。

合奏:フェルメールの女性たち

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「合奏」は、「音楽の稽古」とよく比較される。構図や雰囲気に似ているところがあるからだろう。構図については、両者ともモチーフの人物を画面奥に配置し、その手前に大きなテーブルを持ってくることで、広い空間を感じさせる。その空間は遠近法によって演出されており、床の市松模様の角度を有効に利用することで、奥行きの深さを感じさせる工夫をしているのである。

20世紀の最後に近い年に村上はスコットランドとアイルランドに旅した。スコットランドではシングル・モルト・ウィスキーを、アイルランドではアイリッシュ・ウィスキーを味わうのが目的だったようだ。村上は小説の中ではもっぱらビールを飲む場面ばかり書いているように映るが、個人的にはウィスキーも好きだ、ということがこのエッセーを読むとよくわかる。村上が、そのウィスキーのもつ味わいを少しでも読者に共有して欲しいという願いをこめてこの文章を書いたことは、題名からもわかる。「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という題名には、自分の言葉だけで読者がウィスキーを味わえたらどんなにかすばらしいだろか、という思いがこもっているのである。無論言葉だけでウィスキーを味わうことはできない。言葉は言葉に過ぎないからだ。それでもなお村上は、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と夢想し続けるのだという。

アフリカで日中対立をあおる

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ケニアのナイロビで開かれた「アフリカ会議(TICAD)」に、安部晋三総理大臣が赴いていって、アフリカにおける日本の存在感をアピールした。それを聞いて見ると、「中国と仲良くするより日本と仲良くしましょう」というかなり政治的なメッセージが伝わってくる。アフリカの指導者たちも、この露骨なメッセージに接して、多少面喰ったのではないか。どうも日本の指導者は、我々を前にことさら日中対立に言及し、我々を日本の味方に引き入れようとしている、それがいいことなのかどうか、ここはちょっと慎重にならねばなるまい、そんなふうに受け取られたのではないか。

仏法僧(三):雨月物語

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 貴人又曰はく。絶て紹巴が説話を聞かず、召せとの給ふに、呼びつぐやうなりしが、我跪くまりし背の方より、大なる法師の、面うちひらめきて、目鼻あざやかなる人の、僧衣かいつくろひて座の未にまゐれり。貴人古語かれこれ問ひ弁へ給ふに、詳に答へたてまつるを、いといと感でさせ玉ふて、他に録とらせよとの給ふ。一人の武士かの法師に問ひていふ。此の山は大徳の啓き玉ふて、土石草木も靈なきはあらずと聞く。さるに玉川の流には毒あり。人飮む時は斃るが故に、大師のよませ玉ふ哥とて
   わすれても汲みやしつらん旅人の高野の奧の玉川の水
といふことを聞き傳へたり。大徳のさすがに、此の毒ある流をば、など涸せては果し給はぬや。いぶかしき事を足下にはいかに弁へ玉ふ。

安城家の舞踏会:吉村公三郎

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吉村公三郎は、ハイカラな感じのする、いわば洋風のメロドラマを作り続けた作家だったが、戦後の映画作りの実質的なスタートを飾った「安城家の舞踏会」もやはりハイカラなメロドラマといってよかった。吉村の映画には、社会的な関心を感じさせるものはほとんどないのだが、この作品は例外で、やはり時代の雰囲気を色濃く感じさせる。作られたのが戦後まもない1947年だから無理もない。この戦後の混乱のただなかで、吉村が描いたのは、旧華族階級に属する一家の没落だ。吉村は、日本の上流階級を描くのが好きだったので、その対象となった階級が戦争で没落したとあっては、それに対する吉村なりの感慨を、作品のなかに持ち込まずにはいられなかったということだろう。

鹿児島県知事の反乱

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これを謀反というべきか、反乱というべきか、迷うところだが、やはり反乱というべきだろう。謀反では、明智光秀が思い浮かんでくるように、無謀な反逆というイメージが強いのに対して、反乱には正義の戦いというイメージがある。これはやはり、正義の匂いがするので、反乱という言葉がふさわしい。筆者が何を言っているかというと、それは川内原発の停止を正式に求めた鹿児島県の三反園知事の行為のことだ。

銭塘観潮図屏風:池大雅の世界

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「銭塘観潮図屏風」は杭州の郊外を流れる川銭塘江の海嘯というものを描いたものである。海嘯とは、満潮時に川の水が逆流し、それが巨大な波となって押し寄せる現象で、すさまじい音を伴うことから、海嘯と呼ばれる。池大雅が描いたのは、秋の海嘯で、中秋の満潮にともなう珍しい現象を、人々が眺めている様子を描いている。

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ダンテらがさらに進んで行くと、これまでにみたどの巨人よりも巨大な者にあう。彼はほかの者たちとは異なり、戒めを受けてもおらず、また下半身を埋められてもいない。全身裸のままである。ギリシャ神話にでてくる勇者であり、ポセイドンとガイアの間に生まれた巨人だ。名をアンタイオス(アンテオ)という。

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ケンタウルス座に位置するプロキシマ・ケンタウリ(Proxima Centauri)は、太陽系に最も近い(約4.3光年)恒星系として知られており、そこには十個程度の惑星の存在が推測されていたが、この度、そのうちの一つが、国際天文学研究機関ESOのチームによって発見された。この惑星は、親星の名にちなんで Proxima Centauri b と命名された。

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「真珠の耳飾りの少女」は、フェルメールの作品の中でもっとも人気が高いといってよい。日本人にも大人気で、2000年に始めて日本にやって来たときには、すさまじい数の人々が、一目見ようと押し寄せた。フェルメール自身が日本人に深く愛されているなかで、この絵はもっとも愛されているのである。

暖流:吉村公三郎のメロドラマ

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吉村公三郎はもっぱらメロドラマを作り続けた。メロドラマと言えば一段低く見られがちで、大衆受けをねらった通俗作品だと言われることが多い。そんなこともあって、メロドラマの作り手であった吉村公三郎は、あまり高く評価されていない。しかし、それは今の時点でのメロドラマについての評価を、過去に遡って適用した結果で、あまりフェアなことだとはいえない。少なくとも吉村が作った作品は、メロドラマだとはいえ、それまでの日本の映画にはなかったタイプの作品だったわけで、そういう意味では、多少の歴史的な意義を認めてやらねばならぬと思う。

芝公園の高層ホテルで和食を食う

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芝公園の高層ホテルにある食堂で和食を食った。といっても空中の高いところからあたりを睥睨しながら、というわけではない。地下にある一和風料理屋で懐石風のコース料理を食った次第だ。だから高層ホテルと言っても、別に高層の雰囲気を楽しんだわけではない。地下の穴倉のようなところで、壁を見ながら出された料理を食い、同席の諸子と罪のない話に打ち興じたというわけだ。同席したのは、山子夫妻と松子。落子は家内に事情があるといって参加しなかった。

西湖春景図屏風:池大雅の世界

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「西湖春景」は「銭塘観潮図屏風」とともに六曲一双をなす作品である。西湖・銭塘江とも南宋の都杭州近郊にある。大雅は無論実景を見たことはなかったが、これらは南宋の画家たちがこぞって画題とした眺めであり、日本の画家もそれに倣って描いた。大雅がどれをもとに描いたかはわかってはいないが、恐らくは中国から伝わった作品を手本として、それに大雅の想像をまじえたのだと思われる。

マキャヴェリ以来、近代西欧の政治理論は、政治を権力と関連付けて論じてきた。政治というものは、権力の獲得とか配分をめぐる現象であって、権力の動機を持たない政治的な行為というものはありえない。権力をめぐる戦いがあるところには、当然敵・味方の区別が生じるが、それは権力闘争に付随する現象であって、それ自体を独立したものとして概念規定しようとするのは行き過ぎである、とされてきた。ところがカール・シュミットは、政治とは友・敵(敵・味方)の区別が生じるところに始めて成立するものだとすることで、友・敵の区別こそが政治の本質であって、権力はそれに付随するものだとする。つまり、権力と友・敵区別の関係を、伝統的な政治理論とは180度異なった仕方で捉えるのである。権力をめぐる戦いが友・敵の区別を作るのではなく、友・敵の区別の生じるところに権力をめぐる戦いが生まれる、とするわけである。

トランプとプーチン

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写真(EPAから)は、リトゥアニアの街角に描かれていた落書きだ。アメリカの大統領候補ドナルド・トランプとロシアの大統領プーチンが抱き合ってキスしている。二人の表情からは愛の恍惚が感じられる。この二人は、この絵から見る限り、相思相愛の間柄に見える。

仏法僧(二):雨月物語

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 御廟のうしろの林にと覺えて、仏法々々となく鳥の音山彦にこたへてちかく聞ゆ。夢然目さむる心ちして、あなめづらし、あの啼く鳥こそ仏法僧といふならめ。かねて此山に栖みつるとは聞しかど、まさに其の音を聞きしといふ人もなきに、こよひのやどりまことに滅罪生善の祥なるや。かの鳥は清淨の地をえらみてすめるよしなり。上野の國迦葉山、下野の國二荒山、山城の醍醐の峯、河内の杵長山。就中此の山にすむ事、大師の詩偈ありて世の人よくしれり
  寒林獨坐草堂曉  
  三寶之聲聞一鳥  
  一鳥有聲人有心  
  性心雲水倶了々  
又ふるき歌に
  松の尾の峯静かなる曙にあふざて聞けば佛法僧啼く

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マキノ雅弘は、日本映画の父ともいわれる牧野省三の長男として、子供の頃から映画作りの現場を見てきた。父親の映画に子役として登場したこともある。だから、彼が映画作家になったのは、いわば家業を引き継ぐようなものであった。彼にとっての映画とは、芸術というよりも客商売のエンタテイメントであり、その使命はあくまでも観客を楽しませることにあると考えていた。彼の映画づくりが職人技に喩えられるのには、そんな背景がある。

ドナルド・トランプの等身大ヌード像

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これは、ニューヨークのユニオン・スクエア・パークに突然出現したドナルド・トランプの等身大ヌード像。設置したのはINDECLINEというアナーキスト団体で、ニューヨークのほかサンフランシスコ、ロサンゼルス、クリーブランド、シアトルの目抜き通りにも設置したそうだ。突然の怪物の出現に、通りがかった人々は大騒ぎ。ブロンドの毛が生えたトランプの股倉を指さして、オオマイゴッドと叫んだり、この像と一緒に記念撮影した人もいた。

蘭亭修禊図屏風:池大雅の世界

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「蘭亭修禊図屏風」は、書聖といわれた王羲之が催した有名な詩宴「蘭亭修禊」をイメージ化したものである。王羲之自身はこの詩宴の様子を「蘭亭序」という文にあらわし、またそれを書とした。大雅は、その「蘭亭序」に書かれた内容をもとに、この作品を描いたわけである。画面左上に、その文章を写している。

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ダンテらが前に進んで行くと、ずぬけて猛々しい巨人が、鎖で戒められた姿のまま、上半身を現していた。ヴィルジリオが、彼の名はエピアルテスと言い、ゼウス{ジョーヴェ}に逆らった罪で戒められ、その後地獄に落されてきたと説明する。

アメリカにおける原住民(インディアン)の虐殺を追跡したベンジャミン・マッドリー(Benjamin Madley)の著作「アメリカン・ジェノサイド(An American Genocide)」が、驚きを以て受け止められている。この本は、1846年のカリフォルニアのアメリカへの編入から1873年までの二十数年の間に、カリフォルニアで起きたインディアン虐殺の実態についての記録である。この期間にカリフォルニア内のインディアンの数は15万人から3万人にまで劇的に減った。そのほとんどは、白人によって虐殺された。虐殺した者は、自警団から州兵、そして連邦政府軍にまでわたる広範なタイプの人々だったが、中心になったのは自警団と州兵だったようだ。

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「水差しを持つ女」は、構図的には「牛乳を注ぐ女」とよく似ている。女性の単身像であること、どちらも窓辺で家事にいそしんでいる女性の姿を捉えているところに共通点がある。相違と言えば、「牛乳を注ぐ女」が、自分の仕事に没頭しているのに対して、こちらの絵の中の女性は、水差しを持ったまま顔を窓のほうへ向け、仕事とは関係のない別のものに関心を取られているところだ。

村上春樹「辺境・近境」

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「辺境・近境」は、村上春樹が1990年代に書いた紀行文を一冊にしたものだ。七編の旅行記からなる。国内のものが三本、国外のものが四本だ。国内編は、1990年の夏に行った瀬戸内海の無人島滞在の記録以下、三日かけて讃岐のうどんを食い歩いた記録、そして1995年の大地震から二年後に自分の故郷である神戸の町を歩いた記録からなる。国外編は、1991年の秋に書いたイースト・ハンプトンの印象記を手始めに、メキシコ大旅行、ノモンハンの鉄の墓場、そしてアメリカ横断の記録からなる。それぞれ味わいのある紀行文だが、もっとも迫力があるのはメキシコ大旅行の記録と、ノモンハンの鉄の墓場の記録だ。

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麻薬犯罪者の殲滅を訴えて比大統領に選ばれたドゥテルテ(写真はAP)。五月九日に就任して以来わずか三か月の間に、殺害した麻薬犯罪者の数は600人とも1000人ともいわれる。それらのほとんどは、裁判手続きなしに、問答無用で撃ち殺した。こうした手法を国際世論は、尋問してから撃つのではなく、撃ったあとで尋問するものだと言って批判している。撃ったあとでは大体犯人は死んでしまうわけだから、尋問も糞もないのであるが。

仏法僧(一):雨月物語

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 うらやすの國ひさしく、民作業をたのしむあまりに、春は花の下に息らひ、秋は錦の林を尋ね、しらぬ火の筑紫路もしらではと械まくらする人の、冨士筑波の嶺々を心にしむるぞそゞろなるかな。

御誂次郎吉格子:伊藤大輔の鼠小僧もの

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伊藤大輔は、日本映画の黎明期をリードした映画作家の一人で、特に時代劇を得意とした。第二新国劇の無名の俳優だった大河内伝次郎とコンビを組み、丹下左膳シリーズを始め多くの時代劇を作った。それまではただの活劇に過ぎなかった時代劇を、日本映画の一ジャンルとして確立するうえで、大きな業績を果たしたといえる。

絶滅の危機に瀕するオランウータン

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写真(National geographic)は、オランウータンの子どもたち。無邪気に戯れ合っている姿が、人間の子どもを思わせる。ボルネオで撮影されたものだが、こういう光景もやがて見られなくなるかもしれない。個体数の減少に歯止めがかからず、このままだと遠からず絶滅すると危惧されているからだ。

龍山勝会図屏風:池大雅の世界

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「龍山勝会図屏風」は「蘭亭修禊図屏風」とともに六曲一双をなす作品である。宝暦十三年(1763)大雅馬歯四十一の年の作であり、所謂大雅様式の完成を告げる記念碑的な作品とされる。

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井戸に突き刺さったものの中で特に目立つものがいた。創世記に出て来る巨人ニムロデ(ネムブロット)である。ニムロデは、人間界にわけのわからぬ言葉を持ち込み、それ以来人間は共通の言葉を失ったとされる。それ故、彼は罪深いとされるのだ。

福島凍土壁計画破綻への東電側の言い訳

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福島の汚染水対策として今年の春から実施されている凍土壁が、所期の目的を達成できていないことが、原子力規制委員会の発表から明らかになった。この計画は、原発の上流側に820メートルにわたる凍土壁を作ることで、原発地下への地下水の流入を阻止し、汚染水が海に垂れ流しにならないようにとの目的で作られたものだが、いまのところ、機能している凍土壁は99パーセントで、残りの部分は凍っておらず、原発地下への地下水の流入が続いているという。恐ろしいのは、この流入量が、凍土壁設置以前とほとんど変わっていないということだ。つまり、99パーセントは所期の思惑通り凍ったものの、全体としては、地下水の流入はほとんど阻止できていないということだ。

音楽の稽古:フェルメールの女性たち

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「音楽の稽古」は、「紳士と共にヴァージナルの前に立つ女」とも呼ばれる。一人の若い女がヴァージナルの前に立って、鍵盤を弾き、それを脇にいる紳士が見守っている。紳士は恐らく音楽の教師で、女は彼の指導を受けながら音楽の稽古をしている、というふうに解釈できる。

資本主義には終わりがある、という見方は、かつてはマルクス主義に特有のものだったが、今では普通のエコノミストでも言うようになった。中でも水野和夫は、「資本主義の終焉と歴史の危機」について、もっとも明快に主張している。彼はメガバンク系のチーフ・エコノミストをやったこともあり、資本主義には職業的な利害を感じていたはずなのに、その彼にして資本主義は終焉を迎えつつあると言うのだから、ことの深刻性を思わせるというものだろう。

瞼の母:稲垣浩の時代劇

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稲垣浩は、「無法松の一生」のイメージが強い。戦前には坂東妻三郎、戦後には三船敏郎を松五郎役にして、二度にわたって作ったし、戦後版はヴェネチア国際映画祭でグランプリを取った。だが稲垣は時代劇のほうが性にあっていたらしく、生涯に膨大な数の時代劇作品を作り続けた。「宮本武蔵」シリーズは特に有名だが、「瞼の母」は彼の初期の代表作である。

米共和党(GOP)は、ドナルド・トランプを大統領候補に選んだものの、ここにきて彼を大統領にしないことを目的に団結する動きが強まってきた。トランプの主張は、共和党が掲げる保守主義の理念からあまりにも逸脱しているばかりか、共和党のエスタブリッシュメントにとっては危険思想である、という認識が次第に強く共有されるようになったことが背景にある。

峡中桟道図:池大雅の世界

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「峡中桟道図」(蜀桟道図ともいう)は、険阻なことで知られる蜀の桟道を描いたもの。関中(陝西省)と蜀(四川省)との境の山中にあって、絶壁にへばりつくようにして通じた道だ。その様子が粗末な桟橋を思わせることから、蜀の桟道と称された。

徂徠と宣長:野口武彦「荻生徂徠」

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本居宣長をひととおり読んでみたら、その延長で荻生徂徠に関心が向いた。宣長と徂徠は、徳川時代の思想家の双璧と言える。その思想は、対極的と言ってもよいほど、違う方向を向いている。その対極性が、日本人の思想にある種の彩を添えている。日本人はすでに徳川時代において、こうした思想の多様性を経験したおかげで、明治以降もさまざまな思想を吸収消化する態勢ができていた、というふうにも言えそうである。

ペアで漁をするハクトウワシ

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写真(National Geographic)は、湖上で漁をするハクトウワシのペア。左がオスで、右がメス。メスが湖面に最接近し、いまにも魚をハントしようとする瞬間をとらえている。ハクトウワシは漁の名手で、狙った獲物はほぼ確実にゲットするという。漁の能力は、雌雄であまり差はないようだ。

夢応の鯉魚(三):雨月物語

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 急にも飢ゑて食ほしげなるに、彼此にあさり得ずして狂ひゆくほどに、忽ち文四が釣を垂るにあふ。其の餌はなはだ香し。心又河伯の戒を守りて思ふ。我は佛の御弟子なり。しばし食を求め得ずとも、なぞもあさましく魚の餌を飮むべきとてそこを去る。しばしありて飢ますます甚しければ、かさねて思ふに、今は堪へがたし。たとへ此の餌を飮むとも嗚呼に捕れんやは。もとより他は相識るものなれば、何のはゞかりかあらんとて遂に餌をのむ。

赤西蠣太:伊丹万作と片岡千恵蔵

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伊丹万作はいまでは、俳優兼映画監督の伊丹十三の父親そして作家の大江健三郎の義理の父親として知られているが、自分自身は映画監督だった。彼の映画監督としての活動は、片岡知恵蔵と切っても切れない。彼が映画作家としてデビューしたのは、千恵蔵に迎えられたからだし、その映画作りの実績も千恵蔵プロでの活動が中心だった。だから彼は、千恵蔵プロ(昔風にいえば千恵蔵一座)の座付き作者としての道を歩んだと言ってもよい。

林外望湖図:池大雅の世界

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大雅は、宝暦五年(1755)馬歯三十三の年に出雲地方に旅している。白隠門下の円桂に招かれたというが、その折に、円桂が住職を勤める松江郊外の禅寺天倫寺の庭から宍道湖を見下ろす構図の真景図を描いた。「林外望湖図」がそれである。この作品は、大雅の画業の中でエポックメーキングな意義を持つと評価される。この作品を契機にして、それまでのやや窮屈さを感じる作風から、今日「大雅らしさ」といわれるような、のびのびとした開放的な作風へと変化していった。

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ダンテとヴィルジリオが第九の嚢の底に近づくと、なにやら塔のようなものが見えた。しかしそれは塔ではなく、おぞましい物なのだとヴィルジリオが予告する。彼らがずっと底の方へと下ってゆくと、そこは井戸の底のようになっていて、そこには下半身を埋没され、上半身だけを出した巨人たちが、底に突き刺さるように立ち並んでいたのであった。

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「真珠の首飾りの女」は、フェルメールの肖像画の一つの到達点を示すものとして、「手紙を読む青衣の女」「天秤を持つ女」と並んでフェルメールの最高傑作のひとつに数えられている。いずれもフェルメールがもっとも円熟を示した1662-1664年頃の作品である。

うずまき猫の見つけかた

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村上春樹のエッセー集「うずまき猫の見つけかた」は、村上がアメリカのケンブリッジという町(ハーヴァード大学のあるところ)に滞在していた1993年から1995年にかけての二年間の外国生活の記録ともいえるもので、本人の言うとおり、アメリカ滞在の最初の二年間をカバーしている「やがて哀しき外国語」の続編のようなものである。外国生活の記録であるから紀行文と言えなくもないが、普通の紀行文とは大分趣が違って身辺雑記のような印象も与える。中途半端といえば中途半端だが、ユニークと言えばユニークとも言える。

夢応の鯉魚(二):雨月物語

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 我此の頃病にくるしみて堪がたきあまり、其の死したるをもしらず、あつきこゝちすこしさまさんものをと、杖に扶けられて門を出れば、病もやゝ忘れたるやうにて篭の鳥の雲井にかへるこゝちす。山となく里となく行々て、又江の畔に出づ。湖水の碧なるを見るより、現つなき心に浴て遊びなんとて、そこに衣を脱ぎ去て、身を跳らして深きに飛び入りつも、彼此に游びめぐるに、幼より水に狎れたるにもあらぬが、慾ふにまかせて戲れけり。今思へば愚なる夢ごゝろなりし。

丹下左膳余話百万両の壺:山中貞雄

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丹下左膳シリーズはちゃんばら映画の定番として、戦前から戦後にかけて夥しい数の作品が作られた。左膳を演じた俳優の数も、この種のシリーズものとしては群を抜いて多い。筆者などは、団塊の世代の一員として、大友柳太郎の演じる左膳を、ことさらかっこよく感じたものだ。しかし、全時代を通じて最も人気の高かった左膳役者と言えば大河内伝次郎だろう。大河内伝次郎は、無声映画の時代から派手な立ち回りで左膳を演じ、トーキー時代になっても、「シェイはタンゲ、ナはシャジェン」というあの伝説的な台詞回しで一世を風靡した。

四国の伊方原発が再稼動した。九州の川内原発の二基に続いて、実質的には三基目の再稼動になる。先日鹿児島県知事になった人が川内原発停止の意向を強く示しているなかでもあり、また、伊方原発自体にも様々な問題が指摘されている中での再稼動とあって、どうみても無謀な見切り発車といわざるを得ない。

浅間山真景図:池大雅の世界

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「浅間山真景図」は、信州の浅間山を描いたとする説と、伊勢の朝熊岳を描いたとする説と、ふたつある。ここでは、信州の浅間山を描いたものとする。池大雅は宝暦十年(1760)の夏から秋にかけて、親友の高芙蓉らとともに、白山,立山、富士山を上り巡る所謂山岳紀行の旅をした。その際に、信州の浅間山をスケッチしたものをもとに、あとで完成させたのがこの絵だと考えられる。

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第九嚢でうごめいている亡霊の中に、悪鬼に苛まれているものがあった。ダンテの知人でフィレンツェ人のカポッキオである。二体の悪鬼が、カポッキオに襲い掛かり苛んでいる。二体の悪鬼の名は、ジャンニ・スキッキとミルラ。彼らは生前の悪行により豚の姿に変えられ、地獄に落ちてきたものに襲い掛かる使命を与えられているらしい。

新しいランニングシューズで歩く

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ネットで注文していたミズノのランニングシューズが届いたので、早速履いて近所の公園を散歩してみた。ところがどうも足に馴染まない感じがある。密着しすぎていて圧迫感を感じるのだ。いままではミズノ以外のブランドを履いていて、サイズに違和感を感じたことは無かったのに、これはどうしたことか。実は先日村上春樹のエッセーを読んでいて、シドニーで買い求めたミズノのランニングシューズが実に快適で、さすがは日本のメーカーだ、日本人が履きやすいように念を入れて作ってある、と褒めていたのを読んだのがきっかけで、サイズを実地で確認することもなく、衝動的に、ネットで注文してしまったのだったが、どうも思慮が足りなかったようだ。

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フェルメールは、音楽をモチーフにした絵を何点か描いている。そのなかには楽器を演奏する場面を描いたものがいくつかあるが、「リュートを弾く女」はその早い時期の作品だ。一人の若い女が、窓辺に置かれたテーブルの前に座り、リュートを弾いているさまを描いたものだ。

小林秀雄の西行論

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小林秀雄には、何にでも首を突っ込んではわけのわからぬことを書き散らす癖があったが、西行論もその一例である。

五人の斥候兵:田坂具隆

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先の戦争中にはおびただしい数の戦意高揚映画が作られた。大別すると戦場の模様をリアルに伝えるドキュメンタリー風の映画と、兵士の戦いや暮らしをテーマにした劇映画に分けられる。ドキュメンタリー映画については、亀井文夫がもっとも優れた業績を残したといえよう。一方劇映画については、田坂具隆が特筆されるべきだろう。「五人の斥候兵」は「土と兵隊」と並び、田坂の戦争映画の傑作と言うべき作品だ。

たとえ親と雖も、自分の菜食主義を子どもに強要してはならない。子どもに菜食主義を強要し、その結果子どもを深刻な栄養失調に至らせた場合には、最大七年の禁固刑に処す、こんな内容の法案がイタリア議会に提出され、目下それを巡って熱い議論が展開されているそうだ。

指墨幽渓釣艇図:池大雅の世界

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「指墨幽渓釣艇図」は、池大雅の指頭図の傑作である。指頭図というのは、筆のかわりに指を用いる描法で、墨を塗った指で色を置くというものである。大雅はこの技法を柳沢淇園から学んだという。席画として即興的に描いたものが多かったが、この作品は137×57.5cmと、かなりの大画面である。

日の神論争:呵刈葭(二)

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「呵刈葭」後編では、「日の神論争」として知られる日本の思想史上有名な論争が展開される。この論争は、藤貞幹が「衝口発」という著作で宣長の国粋主義を笑ったことに対して、宣長が「鉗狂人」を著して反論したことを踏まえ、秋成がさらに宣長を再批判した、それについて宣長が再反論を行った、というものである。「鉗狂人」は「狂人」を「たわめる(鉗)」という意味で、その狂人とはとりあえず藤貞幹をさしている。

クーデターで成立したタイの軍事政権が、憲法改正案を国民投票にかけたところ(8月7日のこと)、過半数の賛成票を獲得して成立した。この改正案は、上院の権力を強化しながら、その任命権を軍部にほぼ全面的に付与しているので、現在の軍部主導の政権運営をほぼ永久化する反民主的なものだとして、国際的な評判は悪かったのだが、タイの国民は民主主義よりも国の安定を望んだとして、一定の評価も成り立たないわけではない。

夢応の鯉魚(一):雨月物語

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 むかし延長の頃、三井寺に興義といふ僧ありけり。繪に巧なるをもて名を世にゆるされけり。嘗に画く所、佛像山水花鳥を事とせず。寺務の間ある日は湖に小船をうかべて、網引釣する泉郎に錢を与へ、獲たる魚をもとの江に放ちて、其魚の遊躍を見ては画きけるほどに、年を經て細妙にいたりけり。或ときは繪に心を凝して眠をさそへば、ゆめの裏に江に入て、大小の魚とともに遊ぶ。覺れば即見つるまゝを画きて壁に貼し、みづから呼て夢應の鯉魚と名付けり。其繪の妙なるを感でて乞ひ要むるもの前後をあらそへば、只花鳥山水は乞にまかせてあたへ、鯉魚の繪はあながちに惜みて、人毎に戲れていふ。生を殺し鮮を喰ふ凡俗の人に、法師の養ふ魚必しも与へずとなん。其の繪と俳諧とゝもに天下に聞えけり。

狂った一頁:衣笠貞之助

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衣笠貞之助が1926年に作った映画「狂った一頁」は、佐藤忠男によれば、日本の映画史上最初の芸術的な作品ということである。それまでの日本映画は、ただの娯楽であって、芸術とは縁がないと思われていた。ところがこの映画が出たことで、日本の映画もやっと芸術に目覚めた。日頃映画について無関心であった日本のインテリ層も、この映画を見ることで、映画を見直すようになった、というのである。

葬祭業は日本最後の成長産業?

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日本に残された最後の成長産業、それは葬祭業だ、というような記事を英誌エコノミストで読んで、思わず苦笑した(Peak death)。普段はあまり気にしていないが、改めて言われればそのような気がする。筆者を含めた団塊の世代が、すこしづつあの世へ旅立つようになり、あと十数年もすれば同時に大量にあの世へ行く事態がやってくる。それを踏まえて、これからの日本の死亡者数は、当分右肩上がりで増えつづけるだろう。葬祭業が多忙になるのは、自然の勢いだ。

楽志論図巻:池大雅の世界

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楽志論とは、後漢の仲長統の書であり、乱れた世相を慨嘆し、隠遁の生活を賛美したものである。この絵は、その書の内容をイメージ化したもので、山荘のなかで悠々自適の生活をおくる隠者たちを描いている。なお、巻物の冒頭には柳沢其園による題字が書かれ、巻末には祇園南海によって全文が書かれている。

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ダンテは第九嚢に自分の縁者がいることに気が付き、その者に会いたがるが、ヴィルジリオに制止される。ダンテが他の者に気を取られているうちに、その者は行き過ぎてしまったし、ここにいつまでも長居するわけにはいかないと言って。

天秤を持つ女:フェルメールの女性たち

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「天秤を持つ女」は「手紙を読む青衣の女」とほぼ同じ時期に描かれた。どちらも女性の立ち姿を大写しで描いているところが共通している。また、一方は手紙を読み、もう一方は天秤を測る、と言う具合に、していることは異なるが、その行為に熱中している女性の表情を描いているところは共通している。

村上春樹「雨天炎天」

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村上春樹はヨーロッパ滞在中の1988年にギリシャのアトス半島とトルコにショート・トリップを行った。いつもと違って細君を同行せず、かわってカメラマンと編集者を同行した。村上は詳しく語っていないが、このショート・トリップは出版社の企画に乗る形で、ロハで旅を楽しんだのだと思う。だがそれにしては、ハードな体験になったようだ。彼はそのハードな体験を一冊の紀行文にまとめた。「雨天炎天」がそれである。

イチローの偉大な、偉大な、偉大な記録

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イチローが2009年に、大リーグデビュー9年連続200本安打を達成したとき、筆者はそれを「イチローの偉大な記録」と称して賞賛した。翌年にその記録が10年連続に伸びると、今度は「イチローの偉大な、偉大な記録」と称して賞賛した。また2013年に日米通算4000本安打を達成したときには、「イチローの途方もない記録」という言葉を使ってその偉業を賞賛した。そして今日(3月8日、現地時間7日)である。この日イチローは、大リーガーとして3000本安打を達成した。星の数ほどいる退役・現役大リーガーのなかでも、30人目という希少な記録だ。同じ日本人として、誇りを覚えずにはいられない。そんなイチローを讃えるのに筆者に残された言葉は、「イチローの偉大な、偉大な、偉大な記録」以外になかった。

浅茅が宿(五):雨月物語

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 勝四郎、翁が高齡をことぶきて、次に京に行きて心ならずも逗まりしより、前夜のあやしきまでを詳にかたりて、翁が塚を築きて祭り玉ふ恩のかたじけなきを告げつゝも涙とゞめがたし。翁いふ。吾主遠くゆき玉ひて後は、夏の比より干戈を揮ひ出て、里人は所々に遁れ、弱き者どもは軍民に召さるゝほどに、桑田にはかに狐兎の叢となる。只烈婦のみ主が秋を約ひ玉ふを守りて、家を出で玉はず。翁も又足蹇ぎて百歩を難しとすれば、深く閉じこもりて出でず。一旦樹神などいふおそろしき鬼の栖所となりたりしを、幼き女子の矢武におはするぞ。老が物見たる中のあはれなりし。秋去り春來りて、其の年の八月十日といふに死に玉ふ。惆しさのあまりに、老が手づから土を運びて柩を藏め、其の終焉に殘し玉ひし筆の跡を塚のしるしとして、みづむけの祭りも心ばかりにものしけるが、翁もとより筆とる事をしもしらねば、其の月日を紀す事もえせず。寺院遠ければ贈号を求むる方もなくて、五とせを過し侍るなり。今の物がたりを聞くに、必づ烈婦の魂の來り給ひて、舊しき恨みを聞え玉ふなるべし。復びかしこに行きて念比にとふらひ給へとて、杖を曳きて前に立ち、相ともに塚のまへに俯して聲を放ちて歎きつゝも、其の夜はそこに念佛して明かしける。

鳥:アルフレッド・ヒッチコック

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ヒッチコックは「サイコ」で、従来の正統派のミステリー・サスペンスからはみ出したホラー映画というべきものを作ったわけだが、それが新しさを感じさせたのは、狂った人間を主人公にした点にあった。狂った人間というのは、予測不可能な行動をする。そこが正常な人間にとっては不気味である。人間というものは、世界についての一定の了解の上に立って生きているわけだから、その了解が足場を失うと、不安に陥らざるを得ない。狂った人間ほどこの了解を破壊するものはないゆえ、彼らは人を不安にさせるわけである。その不安は無論、ホラーをもたらす。「サイコ」が映画として成功したのは、このホラーをもたらしたことにある。

陸奥奇勝図巻:池大雅の世界

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池大雅は寛延元年(1748)馬歯二十七の年に江戸へ赴き、足を伸ばして松島に遊んだ。その翌年、今度は金沢に遊んだが、その折に金沢藩士小堀永頼の願いに応じて、松島の風景を図巻の形にして描いた。図巻は長さ八メートル半に及び、そこに松島の遠景を、水墨を主体に、ところどころ淡彩を交えて、パノラマ模様のようにして展開して見せた。

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マホメットが去った後、両腕の先を切り取られた者が現れる。彼はモスカと言って、トスカーナ人の間に不和をもたらした咎でここに落されたという。続いて自分の首を高く抱え上げた者が現れる。こちらはベルトラム・ダル・ボルニオと言って、父と子を互いに仲たがいさせた咎でここに落されてきた。

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「手紙を読む青衣の女」は、女性のとっているポーズが「窓辺で手紙を読む女」とよく似ているが、似ているのはそれだけで、他の部分には共通点はない。にもかかわらず全体的なイメージとして両者は非常に似た作品だとの印象を与える。おそらく女性のとっている姿勢が、強いインパクトを持っているからだろう。そのインパクトとは、無心に手紙を読む一人の女性の内面から浮き出てくるような精神性だと考えられる。

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アルフレッド・ヒッチコックの映画「サイコ(Psycho)」は、今日サイコ・スリラーと呼ばれている映画のジャンルを確立した作品である。1960年にこの作品が公開されて以来、すべてのサイコ・スリラー映画はこの作品を手本にしているといってよい。ということは、この映画によってかなり強固なステロタイプが成立したということだ。そのステロタイプとは、人間の精神異常は他の人間の気晴らしになりうるという信念をさす。ステロタイプいうのは、ある種の信念無しには成立しないものなのである。

吉本隆明の西行論

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西行ほどの複雑な人間像ともなれば、その解釈には様々な緒がある。筆者が最近接したものとしては、西行の武士としての出自に注目し、彼が生涯武門の誇りに拘って生きていたとする見方(高橋英夫、武門論的アプローチというべきもの)及び西行と鳥羽上皇の后待賢門院との関係に注目し、西行の歌は待賢門院への片恋が結晶したものだとする見方(瀬戸内寂寂聴、片恋論的アプローチというべきもの)が目に付いたが、その他に僧侶としての西行に注目した僧形論的アプローチと言うべきものもある。吉本隆明の西行論は、その代表的なものである。

赤壁両遊図屏風:池大雅の世界

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池大雅は、赤壁をテーマにした作品を、生涯のそれぞれの時期に作った。「赤壁両遊図屏風」は、その中で最も早い時期のものの一つで、寛延二年(1749)大雅馬歯27の年の作品である。

本居宣長は天明六年(1786)頃に上田秋成と二度にわたって論争した。その結果を、宣長は「呵刈葭」という形で、秋成は「安々言」という形で著した。「呵刈葭」は「かかいか」と読んだり「あしかりよし」と読んだりされるが、意味は「あしかる(刈葭)」人、つまり悪人を、「しかる(呵)」ということらしい。ここで宣長に叱られている対象が、論争の相手である上田秋成というわけだ。

浅茅が宿(四):雨月物語

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 窓の紙松風を啜りて夜もすがら凉しきに、途の長手に勞れうまく寢ねたり。五更の天明けゆく比、現なき心にもすゞろに寒かりければ、衾かづかんとさぐる手に、何物にや籟々<さやさや>と音するに目さめぬ。面にひやひやと物のこぼるゝを、雨や漏りぬるかと見れば、屋根は風にまくられてあれば、有明月のしらみて殘りたるも見ゆ。家は扉もあるやなし。簀垣朽ち頽れたる間より、荻薄高く生ひ出て、朝露うちこぼるゝに、袖濕ぢてしぼるばかりなり。壁には蔦葛延ひかゝり、庭は葎に埋れて、秋ならねども野らなる宿なりけり。

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アルフレッド・ヒッチコックには、国際スパイ組織の暗躍をテーマにした「スパイアクション」というべき一連の作品があるが、「北北西に進路を取れ(North by NorthWest)」はその集大成と言ってよい。ヒッチコックの映画の中でも、もっとも成功したものの一つだ。その理由は、タフな男の息をつかせぬ活躍ぶりに、美人の女スパイとの恋を絡ませたところにある。派手なアクションと男女の恋はアメリカ人のもっとも好むところであるから、それらをともに満喫させてくれるこの映画が大ヒットしたのは当然だろう。

平成の明智光秀が見苦しい責任逃れ

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平成の明智光秀の愛称で親しまれている某代議士は、都連の会長として今回の都知事選の陣頭指揮にあたったが、武運拙く惨敗するや、その責任を問われて曰く、この選挙は本部マターだから、責任は自民党幹事長の某氏にある、と。彼が言及した某氏は、得意の自転車から転落して大怪我を負い、都知事選挙の采配どころでなかったことは誰しも知っているところだ。その人に責任をなすりつけるのは、あまりにも見苦しいと、政局通の間では無論、自民党内でも不評だそうだ。

風雨起龍図:池大雅

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池大雅は若い頃から絵の才能を発揮して、二十代の前半で傑作を描いている。特定の画風に限らず、さまざまな画風を学んだ。なかでも中心となったのは南宗画であり、この画風を洗練してゆく過程を通じて、彼独特の文人画といわれるものを創造していった。

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第八の嚢では、ユリシーズとディオゲネスを包んだ炎に続いて、グイド・ダ・モンテフェルロの魂魄を包んだ炎が現れ、ダンテらに向かって言葉をかける。グイドは、ロマーニャの出身者にして、ダンテが隣のフィレンツェ人だと知り、故郷がいまどうなっているか聞かせて欲しいと頼む。それに応えてダンテは、ロマーニャ地方の街々の現在の様子を話して聞かせる。(以上第廿七曲)

稽古の中断:フェルメールの女性たち

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「稽古の中断」も、愛の誘惑をモチーフにしたものだとの解釈がなされている。ワイングラスを手にしたり、グラスからワインを飲んでいる女性たちとは異なり、この絵の中の女性は、男から手渡された手紙を読もうとしているところだ。ワインが女性への誘惑を直接感じさせるのに対して、手紙からはそのような感じはストレートには伝わってこない。しかし、この絵をよく見ると、愛への誘惑を感じさせる要素がいくつか認められる。

村上春樹「遠い太鼓」

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村上春樹は1986年の秋から89年の秋までの三年間ヨーロッパで過ごした。「遠い太鼓」はその間の生活記録である。この三年間村上はしょっちゅう小さな旅行を繰り返していたこともあって、外国での生活記録というよりも、紀行文のような体裁を呈している。本人もこれはヨーロッパ旅行中の紀行だというようなことを言っている。彼ははじめから紀行を発表するつもりで、この長期の旅行に臨んだようなのだ。

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